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第0章:世界遺産(の中の人)のこれまでの海外経験について

本記事をご覧頂きありがとうございます。
この記事では世界遺産(の中の人)の過去の海外経験をまとめ、無料で公開させていただきます。

【以下本編】
私は直近の世界一周を除いて、これまでの人生で4回海外に行く経験に恵まれました。その時の経験と覚えていることを簡単にまとめています。

〈 世界遺産(の中の人)のこれまでの海外経験 〉
①1回目オーストラリア ケアンズ編・ホームステイ/語学短期留学 (中学)
②2回目アメリカ テキサス州編 日米国際交流(大学)
③3回目フィジー 語学短期留学編(大学)
④4回目スペイン 卒業旅行編(大学)

の計4回です。2024年春に5回目の海外旅行として「世界一周に行くこと」になり、おかげさまで無事に生きて帰ってくることができました😊🌸

①オーストラリア ケアンズ編・ホームステイ/語学短期留学 (中学)
の経験について
【オーストラリア短期留学のきっかけ】
・私には10歳ほど年上のいとこが3人います。3人とも親の英才教育方針の下、高校生までに海外短期留学(ホームステイ)を経験していました。その数なんと高校生までに1人 4回ずつ!そのことをとても羨ましく思っていました。その影響もあり、私もいとこ家族に短期留学をお勧めされ、だんだんと海外に行ってみたい!と思うようになりました。
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海外への短期留学機会を強く願い続けていると、私が中学2年生(14歳)の夏休みに約18日間の短期留学を親が経験させてくれました。その際に選んだ国がたまたまオーストラリアでした。私は子どもの頃から家族で外食することがほとんどなく、お出かけする機会も少なかったのですが、私の母親が私が将来「お母さんは、私が子どもの頃どこにも連れて行ってくれなかった…!」と言ってくるのを恐れ、私を留学に行かせることにしたと冗談めきながらも話してくれました。
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本短期留学の費用は覚えている限り56万円ほどしたと記憶しています。18日間にしては高いですよね。。中学生ながらに非常に高額だと感じたのを覚えています。語学留学のプログラムを含んでいるからとはいえ、自分で旅行するだけならもっと安価に出来るのではないかとこの頃から考えていました。

【学んだこと】
・ホームステイ先のお家で、シャワーを15分ほど浴びたらとても怒られ驚きました。どうやらオーストラリアは乾燥している国らしく水が貴重なものであると理解しました。確かにグーグルマップで見ると国のほとんどの面積が砂漠でした。この経験から、日本は水に恵まれている国なのだと気が付きました。シャワーを好きな時に好きなだけ浴びられることはとても有難いことなのだと、今まで当たり前だった日本での日常に感謝できるようになりました。

グーグルマップで見るとオーストラリアの面積のほとんどは砂漠!!

・ホームステイ先の家にて。私がスーパーで買ってきた飴(チュッパチャップスのようなもの)を舐め始めたころ、「夕飯ができたから下に降りてきて!」とホームステイファミリーに呼ばれ、ひとまず飴を包み紙にくるみ、机に置いて、リビングに食事に向かいました。そして食後に部屋に戻ると、アリが列をなして飴に群がっていたのです!!なんと部屋の外からやってきていました。海外のアリは、こんなにも鼻がいいのか!この飴はもう舐められたもんじゃない!次は甘い匂いのするものは、食べかけのまま部屋に放置することはやめよう。そんな風に思った瞬間でした。オーストラリアのアリは、ワイルドです笑

本当にアリが飴に向かい列を成していました!!画像のように。

以上が①の経験です。中学生らしい感想になりましたが何卒ご了承下さい。

②アメリカ テキサス州編 日米国際交流(大学)の経験について
【アメリカ テキサス州 日米国際交流のきっかけ】
・①の話に出てきたいとこの話の続きになはなりますが、いとこは3名ともアメリカの4年制大学へ進学しました。いとこの父親は大企業ではないのですが、ある会社の副社長をしていたため、家計に余裕があり留学が可能となったと理解しています。まぁ、いとこ自身も3人とも学年トップの成績をとるような勉強家で何か留学の成績の要件などに該当し、費用をあまり掛けずに留学できていたのかもしれませんが、真相は私にもわかりません。。
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私の家は、父は会社員、母は専業主婦の一般家庭です。よそはよそ、うちはうちとは言うものの、いとこの家の環境が非常に羨ましかったのは事実です。大学4年間を海外で過ごすのは金銭的に難しいとしても、高校3年間なら留学を検討できるかもという話を母親がしてくれたこともありました。
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しかしながら、私が中学3年生の時、父親が転職し家計状況が前より思わしくなくなりました。その結果、高校・大学共に留学は夢となったのです。その後、私は費用の安い国公立大学に行くべく必死に勉強しました。塾にも通わず意地で独学を貫きました。その時は、高校で体育会系の部活に取り組んでいたため、日々が体力との戦いでした。大学に落ちた将来をイメージできなかったため、背水の陣で頑張りました。その結果、地方の国立大学に合格することになります。
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そして大学1年生の時、KAKEHASHIプロジェクトというものに出会いました。カケハシ・プロジェクト(KAKEHASHI Project)は、外務省から委託を受けた一般財団法人日本国際協力センター(JICE)が実施する米国交流派遣事業です。本事業は、アメリカ人は日本に、日本人はアメリカに対する潜在的な関心を増進させる目的があります。日本にとっては、訪日外国人の増加を図るとともに、クール・ジャパンを含めた日本の強みや魅力等の日本ブランド、日本的な「価値」への国際理解を増進させることを目指しているものです。
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簡単に言うと、日本の大学生をアメリカの大学へ送り国際交流会を行う、その後、アメリカの大学生に日本の大学に来てもらい国際交流会を行うといった相互作用的な内容のものです。異文化理解のための交流会事業というところです。
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また皆さんは、ダニエル・K・イノウエさんをご存じでしょうか。
ダニエル・K・イノウエさんは日系アメリカ人でして、アメリカ人であるというアイデンティティと日本人の精神を併せ持ち、軍人として、政治家としてアメリカで活躍したハワイ生まれの日系二世です。彼は、第二次世界大戦において日系人でありながらもアメリカ軍の兵士として活躍しました。日本人の家に生まれた彼ですが、アメリカ人としての自己認識も強く持ち、日系アメリカ人のアメリカにおける今後の名誉のためにも、アメリカ人として戦うことを志します。
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彼の戦争での功績はのちに軍人に贈られる最高位の勲章『名誉勲章』が贈られるほどのものでした。ダニエル・K・イノウエさんの功績により、2007年、ホノルル国際空港が『ダニエル・K・イノウエ国際空港』に名を変えることになります。(URL記事より抜粋)
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纏めると、日系二世としてハワイで生活していたダニエル・K・イノウエさんは真珠湾攻撃をした日本人の血が自分に流れていることを後ろめたく感じながらも、今後のアメリカでの日系人の立場を守るため、アメリカ軍の兵士として、アメリカのために他国と戦い活躍し功績を上げた偉人です。まさに、日本とアメリカの懸け橋となる人と言えます。
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彼が創設した事業が、このカケハシ・プロジェクト(KAKEHASHI Project)です。そのような背景・歴史のある国際交流事業に日本の大学生として参加させて頂く機会に恵まれましたこと、本当に光栄でした。

ご参考URL:
北米地域との青少年交流 KAKEHASHI Project(概要)|外務省 (mofa.go.jp)
空港名にもなった「ダニエル・イノウエ」ってどんな人?功績をご紹介! | たび日和 (tabi-biyori.jp)

【学んだこと】
・アメリカ テキサス州では、①ヒューストン大学 ②University of St. Thomasの2大学に訪問させて頂きました。訪問に向け、日本の文化をパワーポイントに事前にまとめ発表をさせて頂きました。アメリカの大学にも国公立や私立大学の概念があること、伝統料理のバーベキュー(やや特徴的な味付け)、カウボーイの文化など、実際に現地の大学生や先生方と触れ合うことで学びとなったことが沢山ありました。そこで出会ったアメリカの学生たちとは、FaceBookで今もつながっています。NABY(アメリカ海軍)になった友人や、ウエディング関連の会社員となり、今はママになった友人と知り合えることができ、この上ない人生の宝物の経験となりました。

ヒューストン大学の学生との交流の様子の一枚!

・Make up stuffs?(メイキャップスタッフス?)
アメリカでの国際交流を終え、今度はUniversity of St. Thomasの学生が日本に来てくれました。一緒に大学近くのカフェに行き、夕方に差し掛かるころ、私は留学生に「日本でやりたいと思っていたことはある?」と聞きました。すると、「日本の化粧品(Make up stuffs)が欲しい!」とリクエストがあり、閉店間際のLOFTへ留学生を連れて走って向かいました。💨 瓶に入った椿ヘアオイルや、事前にネットで調べていたキャンメイクの限定チークなどをゲットした留学生は非常に喜んでくれました。私はこの時、"あ、言葉が異なるだけで、同じ歳位の留学生は化粧品が好きだったり、カフェやお酒、おしゃれを楽しんだり、考えが似ているのだな" ととても親近感を持つことができました。忘れられない経験です。
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今大学生の方、これから大学生になる方、国際交流に興味のある方は、是非大学の国際交流会館を訪れKAKEHASHIプロジェクトのようなものに参加してみてほしいなと思います。皆さんの人生が豊かになることをお約束します。
異文化を背景とする友人ができるのはとても嬉しいですし、楽しいですよ!
このno+eが読者様の背中を押す一助となりましたら誠に幸いです。

③フィジー 語学短期留学編(大学)について
【フィジー語学短期留学のきっかけ】
私がフィジーに短期留学をしたのは、大学2年生の夏休みのことです。今になっては羨ましい限りなのですが、大学生は、春休みと夏休みがそれぞれ2か月間あり、しかも普通の土日祝日の休みも合わせると年間のお休みが約6か月近くもあるのです。いいなぁ~!!まぁ、大人には経済力という楽しみがありますのでおあいこということで許しましょう。笑
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ということで、私は夏休みの2か月間の内、約1か月間を使ってフィジーに短期留学に行くことを決意します。費用は約30万円でした。親から半分支援してもらい、あと半分は自分のアルバイト代から工面しました。
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フィジーを選んだ理由としては、青い海白い砂浜空は澄み渡り、というイメージで、夏休みにはぴったりの渡航先だと思ったのです。また、私は英語を先行していたので、勉強の目的も大いにありました。

【学んだこと】
・インド移民系家族との生活
フィジーは国旗に示されている通り、もともとイギリスの植民地です。フィジーの人口は、もともとフィジーに住んでいたフィジー人が約60%と、植民地時代にイギリス人がシュガープランテーションをさせるべく、連れてきたインド移民系の人が約40%で構成されています。なぜ、イギリス人はインド人を連れてきたのか?ネットをざっとサーフィンしたところ、それは、イギリス人がフィジー人にシュガープランテーションに従事させようとしても、彼らがよく働かなかったからと書いてありました。ホームステイファミリーも、そのようなことを言っていました。「インド人はよく働くが、フィジー人は働かないと。」それはなぜかと疑問に思いました。
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ホームステイ先のファミリーから聞いたエピソードもあります。それは学校でのお弁当の中身の交換についてです。ホームステイ先の家族は両親と12歳の娘と15歳の娘という4人家族の構成だったのですが、下の娘さんが、ある日学校で友人とお弁当の交換をしたとのことでした。
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ホームステイ先の家では、毎日お母さんが早起きして小麦粉からロティという薄焼きのナンのようなものを焼いてくれ、それに合うカレーを作ってくれます。12歳の彼女のお弁当も、手作りのカレーをロティで包んだものでした。非常に愛情のこもった手作り弁当です。そのお弁当を学校でフィジー人の同級生の女の子と交換したとのことです。その際に、交換してくれたものがポテトチップス1袋だったというから驚きです。フィジー人の彼女にとっては、ポテトチップスがお昼ご飯なのです。😲 ホームステイ先の娘さんは、「もう学校でお弁当の交換はしない!」と憤っていました。気持ちはわかります。💦
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他にも、休日に車で、ホームステイ先家族の親族の営む農園に一緒にお出かけしたり、車窓から見える原子力発電所は、中国製であることなど、フィジー本島の町について家族は色々なことを教えてくれました。

ホームステイ先のシスターズ💖と私📷

④スペイン 卒業旅行編(大学)について
【大学の卒業旅行でスペインを選んだきっかけ】
4年制大学も卒論を書き終わり、いよいよ残すところは卒業旅行だけ!となったときに、大学1年の一番初めの頃からサークルや同じ寮に住んでいたことをきっかけとして仲良くしている友人と、卒業旅行の計画を立て始めました。勘案すべきポイントは、①旅費 ②タイミング(時期) ③目的地の3つだったと記憶しています。そんなに悩むべきポイントは多くなかったのです。私たちは、各旅行会社のチラシを集めて、友人の部屋で作戦会議を始めました。
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①旅費は、10~20万くらいで行けたら理想だよね、②タイミングは、卒論発表に影響がなく、他の予定とも被らなければOK、③行きたい場所は、私はNY、友人はシンガポールでした。話し合う必要があったのは③についてだけです。
結果から言うと、NYもシンガポールも②の行けるタイミングが合わなかったので、日程を優先して、そこにハマるプランを探しました、それがスペイン バルセロナ1週間ほどの旅でした。
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価格は、成田-バルセロナ往復航空券+3泊4日のホテル代込みのプランで約9万円でした。お安いですよね。旅行会社のセール的なものの情報を旅好きの先輩から教えてもらっていたこともあって、非常にお得に旅ができました。大学から成田空港までの往復新幹線代や、旅先での出費を併せても16万円で済んだと記憶しています。外食もしましたし、お土産もケチらず買ったので、非常に満足できる旅でした。行きは空港からホテルまでコーディネーターさん的な人が付いて案内してくれたように思い出します。
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友人はバイト戦士(バイトをたくさんやる人)だったので、前日夜中までバイトをし、出発当日の移動中の電車や飛行機で旅先の計画を練っていました。遅すぎでは?!と思いましたが、私も事前に調べたりしていたので、何とかなりました。飛行機はカタール航空でドーハ乗換でした。

【学んだこと】
  -前置き-
観光したのは、
①バルセロネータビーチ
②サグラダファミリア
③カタルーニャ音楽堂
④グエル公園
⑤モンセラット★
⑥ボケリア市場(サン・ジョセップ市場)

バルセロナ旅行は、「ガウディ旅行」と揶揄されることもありますが、錚々たる観光地が集まっており、非常に満足できるので大変お奨めできる海外旅行先だと感じました。①~⑥は全部外せないのですが、特に★はおすすめです!今はわからないのですが、当時は山頂の教会の中が撮影NGでした。。非常に大きな教会で教会中央奥に"ブラックマリア"像が鎮座しており、すぐ近くまで行って見ることができます。教会の凄さは口では表せません。写真もないのでぜひ現地に行って空気感を感じてきてほしいと思うところです。

・出汁文化はほんとに日本だけ?
スペインには皆さんご存じの通り、「パエリア/パエージャ」という料理があります。このパエリアは、完全に海老や貝を中心とした魚介類のだしをとってお米に味付けをしている出汁文化の料理です。私は、世間知らずだったので、海外にも出汁文化、さらに言えば米文化もあるやん!!と感動したものです。

・その他スペインでの学び
他の学びは実に純粋なものです。以下に列挙してみます。
・バルセロネータは実によく整備されたビーチ。昔バルセロナオリンピックの際に整備されており、市場やレストランをはじめとし、カジノもある!
・シャンパンはおいしい。スパークリングワインより少し高い笑
・闘牛場を改築した「アレナスモール」というショッピングセンターがある。エスカレーターの作りが粗雑で乗り降りが怖い笑
・英語が通じない。英語話者の旅人も携帯で翻訳した文字を店員さんに見せてコミュニケーションを図っている。
・ハム安っ!😲そしてうま!種類も多い!
・チーズも安っ!!種類も多い!
・ミモザの木ってこんなに大きくて素敵なんだ!
・バルセロナの町は、ガウディが作った建物ばかり!
・え、ガウディって最後酔っぱらって線路に寝ててひかれて亡くなったの?!(何かのネタバレになったらすみません)
・サグラダファミリアって、生誕の塔と受難の塔でこんなにデザインや意味が違うんだ!!
・パエリアって感動級においしいね😿✨
・モンセラットの登山鉄道、角度急すぎない?!

などなどです。👏笑 雑談にはなりますが、2024年7月~1万円札の顔になる「渋沢栄一」さんも、海外留学先で、コーヒーを始めて飲んだ感想として「飲むとスッキリする」と感想をメモしたくらいですから、一般人の感想もこのくらいで、いいのかもしれません。。。

友人と見たスペイン バルセロナ グエル公園のミモザの木
その美しさに感動したものです。

以上、世界遺産(の中の人)の海外経験についてです。こうやって振り返ると非常にたくさんの経験をさせて頂いたのだなぁとあらためて感謝の気持ちに浸っております。no+eプラットフォームを運営してくださっている皆様もこのような思いの共有の場を作って下さりありがとうございます。
読者様、お時間を頂戴し誠にありがとうございます。
今後とも読者様のお役に立てたり、興味を持っていただけるような記事を書いて行けたらと思っております。
何卒暖かく応援していただけます幸いです。☘

no+eを読んで下さりありがとうございました。
引続きどうぞ有料no+eのほうも楽しみにお待ちください。😊

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