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2021/8/18 戦争をかんがえる。

8月15日に終戦記念日を迎えた。
全国戦没者追悼式にて、前首相をマルッと完コピした式辞を述べた一国の首相。もはや名前を述べる気にもなれない。

わたしたちは(少なくともわたしの周りにいる人は)、歴史を知らないな、と思う。学校教育で学ぶのは表面的なことで、ただテストの点をとるためだけに勉強をする色合いが強い。地球に暮らし社会を構成する一員として、人間に生まれたものとして、必要な倫理観や人権的要素をきちんと学べているのだろうか。

インターネットが普及して膨大な情報にアクセスできるようになったことで、わたしも自宅にいながら世界中の多様な考え・経験・歴史に触れることができる。この時代に生まれた恩恵は大きい。

その一方で、自ら情報にアクセスしなければ国際社会で世界標準とされる倫理観や道徳観を知らないまま過ごすことも容易である。要は、だれも教えてくれないのだ。

2021年8月16日にアフガニスタンでタリバンが政権を掌握したとの報道があった。なんのこっちゃかわからん人も多いだろう。

わたしは毎年開催される『世界報道写真展』に10年間ずっと行っている。(去年はコロナで中止のため図録を購入。)そして、世界報道写真展にいく最初のきっかけとなったのは、この一枚の写真だ。

スクリーンショット 2021-08-17 10.13.30

世界報道写真展2011のリンクを貼っておく。(あいにく今年の展示はすでに終了している。)

タリバン支配下では女性に人権がない。顔を出して歩くこともできない。教育も受けられない。この女性はDV被害を受けて逃げたことに対してタリバンに罪を問われ、夫によって耳と鼻を削ぎ落とされた。このようなルールを持つ組織が、再び国を支配したのである。その恐ろしさは想像を絶する。

2001年にNYで起きた同時多発テロを機に、アメリカ軍がアフガニスタンに軍事攻撃をはじめた。それと同時に、それまで抑圧されてきたアフガニスタンの女性解放の動きが強まった。ようにみえた。しかし今思えば、「女性解放」を謳ったアメリカ側の戦争の口実だったにすぎないのではないかと思う。苦しすぎる。

トランプとタリバンが和平合意をしたとき、アフガニスタンのガニ大統領を関与させなかったという。なんという出来レース。わたしたち国際社会は、この現実を目の当たりにしてどう動くのか。この世界はどうなっていくのか。そんなことを考えずにおれない。

そんな中、日本はどうか。戦争のことを自国のこととして捉えている人はどれだけいるのか。もしかして、この日本で戦争は2度と起きないとでも思っているのだろうか。あたりまえのように壁や屋根がある部屋で、布団に包まれておだやかに眠れる日が、永遠に続くと信じているのだろうか。わたしたちは、何も知らなすぎる。知っていて生きているのと、知らなくて生きているのは雲泥の差があると思う。「起きてないことを気にしてもしょうがないじゃん」そんな声が聞こえそうだ。そう思う人は、どうぞ離れてください。永遠に何も知らずに生きていてください。

ぜひ読んでいただきたい、吉田尚美校長の式辞

インターネットでググって見つけたすばらしい式辞がある。このデータがインターネット上に残っており、それが検索の上位に表示され、わたしの検索のタイミングで出会えたことに心から感謝したい。

兵庫県にある三木北高等学校の吉田尚美校長が2020年8月の2学期始業式で述べた式辞である。内容をぜひ読んでいただきたい。至極真っ当で、的を射ている。わたしを含め日本で生まれ・育った人間は、歴史教育、とりわけ戦争教育が美辞麗句、あくまで戦争被害者で広島原爆のような甚大な被害を受けた認識しか記憶に残らないように教えられているように感じる。メディアも映画も然りだ。

(以下一部抜粋)
戦争を題材にした映画やドラマは「この世界の片隅に」「ほたるの墓」「黒い雨」「永遠の0」など たくさんあります。これらの作品は、戦局が悪化して、食料や物資が不足し、空襲警報が頻繁に鳴り響き、神風特攻隊が軍艦に体当たりし、原子爆弾を落とされる、敗戦間際の姿を描いています。どの 作品も戦争の悲惨さを訴え平和の大切さを痛感させますが、どちらかと言えば、被害者としての視点から描かれています。教科書に書いてあるように、日本は戦争の加害者でもありました。この戦争が朝鮮半島を南北に分 ける原因にもなりましたし、現在の日本と韓国、中国、北朝鮮との関係などにも大きく影響しています。戦争の被害者であり、加害者でもあった日本は今、どちらの立場でも国際社会に対して充分な働きかけをしていません
被害者としては、日本は唯一の被爆国ですが、核兵器禁止条約に批准していません。
(略)
加害者としてはどうでしょう。第2次世界大戦で、ユダヤ人 600 万人を虐殺したナチスドイツは最悪の加害者でありました。ドイツでは加害者として行った残虐な行為を、学校でしっかりと教えてい ます。ナチスだけでなく一般のドイツ人もホロコーストに協力したこと、大量虐殺を知っていながら 何もしなかったことなど、ドイツ人の責任について問い続ける教育をしています。ドイツの町中には ナチスによる犯罪の現場が追悼施設としてたくさん残され、日々人々に戦争の加害者としての責任を 訴えています。現在のドイツは戦争加害者としての深い反省の上に立っています。例えば、戦時中たくさんの人々を迫害し、多くの難民を出したという反省に立ち、憲法に政治的迫害を受けた難民を保護する義務を規定し、2018 年時点でドイツは 110 万人の難民を受け入れています。日本の難民受け入れは42 人です
(略)
国際社会から尊敬や信頼を得るためには、被害者であったこと、加害者であったことをしっかりと認め、歴史から学び、二度と戦争を繰り返さないためにはどうすればよいかを考え続け、行動を起こすことです。

以下の吉田尚美校長の式辞は、最大限多くの日本に住む人に読んでほしい。兵庫県三木北高等学校校長 吉田尚美さんの2学期始業式式辞(2020/8/24)

戦争の加害側に視点を向けたNHKの戦争ドラマ

今年5月、NHKで日本における戦争の加害側に着目した終戦ドラマ『しかたなかったと言うてはいかんのです』(妻夫木聡&蒼井優主演)放映された。わたしはこれを観ていないので、なんとも述べることはできない。しかし、このような作品化の動きにはまだ救いを感じる。

日本軍はどれだけ非人道的な行為を犯してきたのか、日本に生まれ育ったわたしたちは自ら積極的に学びにいかない限り、おおよそ知る由がない。あまりにも残忍な虐殺・拷問行為を世界中で繰り広げてきたと推察される。もちろん、どの視点から見るかで歴史はまったく異なることは理解に値する。しかし、だからといって身内側の視点ばかりに縛られていることは偏向に陥る危険性を孕む。国際社会が発展してきているからこそ、多角的な視点で物事を捉え、客観性をもって自らの道を選んでいかねばならないように思う。

NHKが本作品をドラマ化したことはとても意義あることであり、もしご興味があられる方はぜひNHKオンデマンドで閲覧されてください。そしてやはり、この九州大学生体解剖事件は、まさに主犯者の責任が問われる(日本法では想定していない)問題にぶつかる事象の一つだと考える。(以下引用記事に続く)

加害者としての認識もなく危険状態にも自覚がない日本

この日本国には、アメリカ軍が当たり前のように駐在している。このことに反対活動をする人もいれば、まったく無関心の人、歓迎してる人(?)それぞれいると思う。わたしは今まで、アメリカ軍が駐在していることに何ら関心がない、というか考えが及ばない、というか「それが当たり前」という空気に浸りきっていた。以下に並べる記事を読むと、その異様性が明らかとなる。

この件についてずっと前に伊藤さんと公開で議論した時に、伊藤さんが仰ったのは、「日本は息をしているだけでアメリカと一緒に戦争している」でした。本当にその通りで、日本に米軍基地があること…そんな国は多々あれど主権を放棄した異常のまま……これは何を意味するのか。

本記事はぜひ一読されたい。日本に住む人々は、「もしものとき」がこないと思い込んでいないか。隣の香港、現在のアフガニスタン、今の時代も変わらず世界は争いつづけている。日本は「自分たちは別」という勝手な静観姿勢と不干渉、閉鎖的思考に長く浸かり、本来進めるべき議論をノータッチで何年も過ごしてきたのだろう。戦前も戦後も、いつまでたってもこの国には「主体」がないように感じる。「主体」がないのは国の文化・風習として共存していくとしても、それらを口実に国際社会のなかで平和的生存権を保全・駆使していくことから逃げるわけにはいかない。

このような国際社会における日本の位置付けや法治国家としての欠陥について、どうもこの事実を現代日本社会は周知しきれていない。各個人の趣もあれば、メディアの役割もあるのだろうが、やはり日本の人々には社会情勢についての関心がみごとに欠如しているように思う。そして、そのように不干渉な世間に対して「それはそれで各人の自由でいい」と認めることすらついぞ危うくなってきたと感じる。

日本の戦争加害側面の歴史を学ぶ施設

わたし自身、今までまったく知らなかったが、調べれば日本の加害側面を知ることができる施設が各所にあることを知った。たとえば、神奈川県の『陸軍登戸研究所』や、長野県の『松代大本営』は一般見学も可能である。(※現在は新型ウィルス感染症により一部休止や予約制となっている)

各施設の記事やレポートを拝見した(以下リンクあり)。わたしのように遠隔で、自宅の机に座っていても触れることができる情報を残してくださった皆々様に敬意を強く表したい。だからこそ、皆様が残してくださったこれらの有益な情報をつないで、少しでも情報を知りたい人に届けられたらとわたし自身もできることをやる。

さて、『日本の戦争加害』とは具体的にどのようなものか。

先の伊勢崎氏と伊藤氏の対談記事から以下を抜粋する。

《1923年9月1日、関東地方を襲った大震災直後、多数の朝鮮人、中国人が虐殺された。
日弁連は、この被害にあった関係者からの申立を受け、この虐殺事件の真相と原因を究明してきた。
80年の時の経過は、事態の究明を極めて困難なものとした。しかし、他民族への大規模にして重大な人権侵害の事実を記録し、また真相の究明に当たってきた少なからぬ良心的な人々の努力の蓄積によって、朝鮮人、中国人の虐殺に関して、日本の軍隊が直接手を下して兵器を用いて殺害に及んだこと、国による虚偽の情報の伝達などに誘発されて、自警団が虐殺に及んだことが明らかになった。
関東大震災80周年を迎えるいま、国籍や民族が異なっても何人も安全平穏に生きる権利があるという当然の前提にたち、自然災害の発生など緊急の事態において、在日外国人に対して、重大な人権侵害がおこることのないよう、国が自衛隊、警察、入国管理局など権力行使にあたる官署の公務員に対して人種、民族差別の防止にむけた人権教育の推進など具体的な措置を行うよう要望する。
また、自警団による朝鮮人、中国人等の殺害に少なからぬ民間人が参加していることについて、日弁連としても、今回の調査の結果をいかし、市民が国籍や民族の異なる人々に対し、人権侵害を加えることのないよう、相互に共生する社会の実現にむけて具体的な努力を傾ける所存である。》

大地震という大災害時に、国籍のちがいだけでその人権を踏みにじり、非人道的な行いをした事実を忘れてはならない。この事実を理解するにあたって、先のドラマのタイトルとなった熊野以素さんの「しかたなかったと言うてはいかんのです」という言葉に象徴される"時代の空気"を理由にすることが絶対にあってはならない。(そんなことを言ったら、また同じことが際限なく繰り返されてしまう。)そしてその中に、民間人が加わっている恐ろしさからも目を背けてはならない。

戦時中、日本各所で毒薬の開発や人体実験が行われていた。その跡地の一つである『陸軍登戸研究所』は現在明治大学がその一部を資料館として開放している。

神奈川県川崎市にあった秘密研究所「陸軍登戸研究所」だ。ここでは世界初の大陸間移動兵器である風船爆弾のほかに青酸性毒物も開発され、中国・南京に運ばれて人体実験も行われていた

各記事について深入りして一つ一つ解説したいところだが、文字として書かれている内容だけでも非常にショッキングであまりに酷いことが並ぶため、今回はリンクの紹介のみに留めさせてください。もう、精神的にムリポヨ、、

たとえばだけど、敵国の食物を効率良く「枯らせる」薬の開発など。その人間としての知性の卑しい使い方に甚だ寒気がする。敵国民を餓死させたいのだろうけど、もうそれってつまりはジェノサイドだよ。

海外にある日本の戦争加害を示す施設

世界各国では、戦争の歴史資料館や博物館のなかに戦時中の「日本兵のおこない」が展示されている。もちろん、敵国からしたら相手への恨みつらみがありその憎悪や敵対心から被害を大げさに伝えようとする部分は多少なりともあるのかもしれない。しかし、それを踏まえてみても、もう、なんかもう、レベチ。

ここでは韓国ソウルにある『西大門刑務所歴史資料館』について記しますが、韓国だけでなく中国、シンガポール、フィリピンなどさまざまなところで日本兵による虐殺の歴史が確認できる歴史跡地があります。

で、この『西大門刑務所資料館』には、日本軍による朝鮮人虐殺や拷問の展示が人形によって模されて展示されており、それが悍ましいことなんの。写真や展示の様子については、以下に貼付するリンク先をご確認ください。

ちょっと覗くだけでもその凄まじさがわかると思います。逆に日本って、そこまで他国を恨むような教育や施設、資料等はないように思う。それもそれで各国の特性なのかな、、

世界の戦争記念館の情報についてはまだまだ調べていきたいと思います。今日はそのスタートを切ったという日。

人間の倫理観と学び

アフガニスタンで起きている惨状について「(自分の生活からは)想像もつかない」という人の言葉に悉く嫌悪感と気味の悪さを感じた。この嫌悪感と気味の悪さはなんだろう、と思ったことをきっかけに日本と戦争について改めて調べる機会となった。

アフガニスタンで今もなお逃げ惑う人たちの言葉がこの日本にもタイムリーに届く(以下リンク参照、ぜひ目を通してください)。twitterを開けば恐ろしい惨状がありありと写真として映し出される。そんな世界を見て、わたしはまったく『他人事』と捉えることができなかったものすごく恐ろしいし不安だし、苦しいし辛い。だからこそ今を最大限善く生きよう、そう強く心に誓った。遠い世界に想いを馳せてもわたしたちにできることは数少ない。しかし、今ある現状にしっかりと目を向けることが、遠い世界と思っているだけで実は『すぐそこにやってくる未来』を変えられるかもしれない

わたしが最後にここで一番言いたいのは、『選挙に行こう』ということである。これに尽きる。一人一人ができることは少ない。しかし、一人一人の総和で少しでもましな未来をつくることができると思う。だから一人一人の力を信じたいし、わたし自身も静観しているのではなくできることを一つ一つやっていこうと思った。次は秋頃に衆院選がある。一人でも多くの人が投票権を行使するためにわたしができることは何だろう。そんなことを考えながら今日も事業開発準備に励む。


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おわりに。

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