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過去は変えられないけど

noteでは基本的に現在から未来時の話題を中心に書くつもりです。
しかし、現在は過去と切り離せないので一度だけワークショップと自分の過去の歴史を整理しておこうと思います。

二十数年前、駿優予備学校という池袋に本部があった予備校で英語講師として勤務していましたが、池袋の本部校が閉鎖。

しばらくして現役高校生のみを対象とする「ワークショップ」という塾が誕生しました。
これがワークショップVol.1。

場所は池袋東口のグリーン大通り沿いで、運営は変わらず駿優予備学校です。

ボクはそこで英語講師として勤務。
自分で作った教材で自由に授業ができる夢のような空間でした。

河合塾の講師になったのもこのタイミングでした。

しかし、開校1年ちょっとで駿優は事業から撤退を表明。残った生徒やボクたち講師は宙に浮いた状態に。

駿優から移籍を決意した職員とボクたち講師は道の反対側のビルに移ることに。

とはいえ資金がなく、多額の借金をしました。
当時24歳の若造にテナントを貸してくれるオーナーもほぼ皆無。社会の厳しさを痛感しました。
さまざまな人々の協力を得ながら何とか移転開校。
ワークショップVol.2です。

「残った生徒が卒業したら閉じよう」が合言葉。
ところが生徒は減るどころかどんどん増加。

今年の生徒が卒業したらやめようを10回。
この地で10年の月日が経ちました。

残った生徒を合格させようと無我夢中で走っているうちに、ワークショップらしさのようなものも生まれていたと思います。

大手予備校の人気講師が少人数で指導。
ありそうでなかった塾。

口コミで徐々に認知されるようになりました。

しかし、ビルの老朽化、ヤミ金系のテナントが上下階に。生徒の安全面等も考慮し、移転せざるを得ない状況になりました。
なぜかその時には閉塾という選択肢はなかった気がします。

なぜ閉塾しなかったのか。
そこにはワークショップを大切に想ってくれる生徒や卒業生、講師の存在があったからだと思います。

この頃からでしょうか。

人を変える力をもつのは人。
人は人によって突き動かされる。
人は人の未来だって変える力がある。

いつの間にか自分の中に芽生えていた「人」というキーワード。
生徒の合格をサポートするはずの自分が、生徒からたくさんのパワーをもらっていたのかもしれません。

2010年に赤羽に移転。

教育関係の入居を熱望していた大家さんのご厚意もあり、相場よりだいぶ安い金額で教室を貸していただけることになりました。

詳細なリサーチをして赤羽に決めたわけではありません。
安く、広く、駅から近いところが見つかったから。
池袋からもそこそこ近いから。
選んだのはそんな理由だったと思います。

大手予備校を退職した方を塾長に、赤羽の地でワークショップが移転開校しました。
ワークショップvol.3、三度目の正直です。

過去は変えられないけど、未来はいくらだって変えられる。

成川博康