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【デュエル・マスターズ】2002 栄光と感想戦はバッドマナーとともに。前編

少し昔話をしよう。

ゲームはゲームでも、筆者がデュエル・マスターズというカードゲームを遊んでいた頃の、ちょっとした思い出話である。


2002年初夏、デュエル・マスターズが発売された。
コロコロコミックの漫画にハマりカードゲームを始めたがっていた兄弟や親戚らにとって、デュエル・マスターズのはじまりはちょうどよかったらしい。ほんの少しばかりカードゲームに慣れていた筆者にも声がかかり、自発的にというよりはそういった身内の対戦相手をするために、筆者はデュエル・マスターズをはじめることになった。
そしてスターターセットを買ってひとしきり遊び、いくつかのパックを開封して各々のデッキを完成させた後、地元のショップではじめて開催される店舗大会に参戦することになり、私もその頭数に入れられた。

雲一つ無い空模様、絶好の大会日和のもと、はじめての店舗大会が開催された。大会は定員を決めていなかったのか初回にも関わらずかなりの参加者がおり、そういった背景もありトーナメント形式で争われることになった。店内だけでなく屋外スペースにも対戦卓が用意され、戸惑いと興奮が入り交じる雰囲気の中、参加者たちがしのぎを削った。そこで筆者は同級生のみならず、数多く参加していた年上たちすらものともせず、優勝を果たすことになる。
しかし大会はそれで終わりではなかった。初めての大会ということで大会の進行やルール確認の対応のため司会兼審判役を勤めている大人がいたのだが、大会が想像以上の盛り上がりをみせたこともあり、店長の発案で急遽エキシビションマッチと題して優勝者と審判が対戦するという場が設けられることになったのである。
屋外に特別対戦卓が設けられ、対戦前に「もし勝てば景品として提供するカードパックの数を倍にする!」と店長が煽り、会場は熱狂の渦に包まれた。
そのバトルを見届けようと卓を囲む観戦者たち。そうした観衆の熱がターンを経るごとに高まっていくのを全身に感じながら、筆者は審判の盤面を制圧し続け、完膚なきまでに叩きのめしていった。

優勝したチビッ子が、先程まで得意気に喋っていた審判を負かした!

会場は大盛り上がりであった。
本当に急な発案だったのか、或いは店長の目論見通りだったのか今となっては分からないが、かくして大会は大盛況に終わり、筆者は大会は儲かるという学習をして倍のパックをホクホク顔で持ち帰ったのであった。

この時の大会の様子が子どもたちの口コミで広がり、この大会を機にショップでは空前のデュエマブームが巻きおこることになる。

筆者もまたこの優勝に気を良くし、ゲームと並行してデュエマも自発的に遊ぶようになった。筆者の活躍が伝播したのかはわからないが、友人たちの間でもデュエマは一大ブームとなり、この夏はショップだけでなく公園などの遊び場すらも対戦の場となった。
そして筆者は対戦相手との駆け引きや観衆を巻き込むような盛り上がる戦法、そして他にだれも使ってないようなカード、デッキを用いて大会で勝つことに価値を見いだし、そういった独自性の高いデッキで店舗大会に参加しては優勝を果たしていった。
遠い昔、幼き時分の栄光である。


そう。筆者はおそらく全国各地にいたであろう、いわゆる地元の子ども環境で負け知らずなカードゲームが上手い生意気なクソガキの一人であった。
誰に教えられたわけでもなく、自身で考案したデッキで勝ちまくる。良く言えば個性的だが、マナーも性格も悪い筆者の戦いぶりは、冷静に思い返せば決して褒められるものではなかった。しかしいくら優勝を重ねても誰も真似をしないような、少なくとも周囲では全く流行らない独特の構築のデッキで結果を残し続けたこと、そしてなにより観戦してる他の参加者をも巻き込むような駆け引きとプレイングで、参加した店舗大会を大いに盛り上げた自負がある。
(そのショップはとある系列店だったのだが、大会の盛況に伴いデュエマが相当売れた店舗になったらしく、おかげで栄転することになったと当時の店長から感謝されたこともあった。なお、開催していた大会のほとんどは公式大会ではなく店舗独自に企画し開催していたものだったと思われるため、念の為この記事では店舗大会と表記することにする)

かつて店舗大会を荒らしていた筆者のデッキ遍歴と、当時ただ一人筆者だけが好んでいたカードについて少しばかり紹介したい。
とはいえ最初の大会で使用したデッキ構築の詳細までは流石に覚えていないのだが、デュエマはボードアドバンテージを制するゲームだと最初に解釈した幼い私は、確かスターターセットに封入されていたガトリング・ワイバーンを集めて切り札にし、他は盤面除去系のカードを中心に構築したデッキを使用していた覚えがある。
そして審判を勤めていた人は大会に向けてルールを把握していただけで、おそらく特に対戦について研究したり強いデッキを作っていたわけでは無かったのだと思う。漫画にも登場していたボルシャック・ドラゴン浄化の精霊ウルスといった憧れのレアカードを、俺の切り札だ!といった具合に盛り上げながら出していた覚えがあるが、そんなクリーチャーを悉く盤面から除去していく子どもにやられるとは思っていなかったのではないだろうか。

そしてそんな盛り上がりから間も無く2弾が発売される。
2弾環境になると、筆者は水と自然の二文明のデッキを使うようになる。水でバウンス効果を中心としたボードアドバンテージを、自然でマナブーストによるテンポアドバンテージを得ようと当時の私は考えたのだと思われるが、この二文明で戦うプレイヤーというのが筆者の地元には他に全くおらず、そして何度勝っても真似されることなく、また試しに友人らにデッキを貸しても強さが分からず全くうまく使えんと諦められてしまう有り様であった。一方漫画でも初期から脚光を浴びていた火、光、闇の三文明は人気だったため、ヒロイックなこれらの文明を使わない水自然という組み合わせはデュエマに憧れる一般的な子どもにとっては耐え難かったのかもしれない。そのため当時の地元で水と自然の二文明といえば、筆者の代名詞のような扱いであった。
そしてそんなデッキを操ったことで2弾環境も店舗大会の常連としてかなりの勝率を誇っていた。この勝率の高さは、今思うと不人気故にカードを集めやすく、採用したいカードの枚数配分もほぼ自在に決めれるほど水と自然のカードが潤沢だったため、この段階で確固たるデッキとして構築できていたことが大きく寄与していたのではないかと思う。

そんな筆者が当時最も好んでいたのがコーライルというカードである。周囲に使用している人は全くいなかったが、私個人としてはデュエマを卒業するまでずっと使い続けていたカードの一つであった。
このカードを好んで使っていたというだけで、当時を知る人であれば筆者の子ども環境での強さと性格の悪さが良く分かっていただけると思われる。

シンプルながらとてつもなく強いことが書かれているカード。
コーちゃんとは呼ばなかったが、地元では筆者だけが愛したカードであった。

他に、個人的に思い入れがあるカードとして、アクア・バウンサーも紹介しておきたい。
このカードはマナコストに対してカードパワーが低く、決して強いカードではない。当然筆者の地元で他に使用しているプレイヤーは一人としておらず、おそらく全国的に見ても使用者は非常に少なかったのではないかと思われる。
しかし、ボードアドバンテージを最重視していた当時の筆者にとっては「攻撃できる」「ブロックできる」「好きなクリーチャーを戻せる」という三つの役割を一体で担える唯一無二のクリーチャーであり、当時最強格のフィニッシャーであったクリスタル・ランサーに進化することもできるということで、採用しない理由がないレベルで攻守の要あるいはいぶし銀として信用していたカードの一つであった。
実際、中盤の駆け引きでアクア・バウンサーを召喚したことで1ターン間に合ったあるいは1手足りた、という形で勝利を決定づけた試合も決して少なくなかった。
確かにこの1枚だけで評価すると強いカードではないかもしれないが、様々なデッキタイプ…いやそんな概念すら存在しない、ありとあらゆるカードが組み合わされた紙束とも争わなければならない子ども環境において、ここぞというタイミングで使用したこのカードの痒い所に手が届く感じは、当時のカードプールではほかに担えない、絶妙な逸材だったのだ。
そんな使用経験が豊富だったこともあり、このカードの使い方に関してだけは日本一上手かったのではないかという気がしている(というかネットですら他に使っていた人を見たことが無いので、私しかいなかったという説すらあるが…)

6マナとは思えないコスパの悪いカード。
愛用していた1枚だが、他に使用されているところを見たことは無い。


筆者、栄光とバッドマナーを極めし3弾編に続く…