educare(育てる・引き出す)
語源からいうならば、educatioというラテン語に遡る。 この語には動詞として、大きくするeducareと引き出すeducereの二つを派生させている。 この語は、もともと、動植物の生命を引き出し、それを飼育・栽培するということを意味していたとされる。 次第に、子どもを養い育てることを意味するようになった。(2017/04/23にupされたネット検索情報から引用)
教育関係の書物や研修などで目にする『教育』の語源、ですね。今まで、
『ふ〜ん…そうなんだ…(ΦωΦ)』
としか思ってなかったのですが、最近自分の中でヒットしてます✨
🌱ポイントは、
①大きくする、養う、育てる
②引き出す
②の『引き出す』です✨😆😲
その人の中に眠っている能力を『見つけ』、外へ『引き出してあげる』
これが、『保育』『教育』の原点なのでは…😯
例えてみると…🙄
(例①電車が好きな子ども)
いろんな電車のおもちゃを用意して、その子に遊んでもらいながら、『電車の名前』『電車の形・色』『路線』、『見に行く』『乗ってみる』など、電車から興味関心を広げていく。
↓
🌟その子どもの『好き』『憧れ』をたいせつにする。
🌟大人も自分の『好き』『憧れ』をたいせつにし、時には子どもに示す。(ちなみに私は動植物を育てることが好き・音楽が好き)
なぜなら、
🌟自分の『好き』を理解し、受け入れているから、他者の『好き』が理解し、受け入れられるのです。
この辺りは…すぐわかる人とわからない人とに分かれるかも?
自己理解できないと、他者理解もできないから。
人によっては難しいことかもしれません。
こどもの話に戻ります。
①大人が子どもの外側から『あれやってーこれやってー』と『指示』する、『詰め込み型』(大人主導型)
②子どもの内側から出てくるものを『感じて』『キャッチ』する、
『受容型』(子ども主体型)
どちらが、子どもの心に響くのだろうか?
どちらが、『子ども主体』といえるだろうか?
もちろん、教科や文化、伝統を伝える際には、拳法の師匠が弟子に伝授するときのように、師匠がリードすることも必要でしょう。
また、トイレトレーニングのように、大人が主導するコーチングのような方法が必要な場面もあるでしょう。
ただ、その際、師匠などの指導者は、心しておかなければならない点があると、わたしは、おもいます。
📖『児童の権利条約』にあるように、
🌟『子どもの最善の利益の尊重』
を、子どもに関わる人には覚えておかなければならない。自分への警鐘として。
↓↓↓
児童の権利条約(平成6年5月16日条約第2号)
第3条
1.児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。
詳しくは、『子どもの最善の利益』で検索してみてください。
こんな感じで解説がたくさん出てきます😌
↓↓↓
(引用)さて,本題の「子供の最善の利益」とは,子供たちの権利に関する条約が国際 連合で採択された際の基本原則となった考え方です。 具体的には「全ての子供は,大人たちから保護され,世話を受け,関心が向けられ,愛され,信頼のもとで見守られる」とい うものであり,裁判所もこれを原則とします。
↑↑↑
これが損なわれると『不適切保育』に陥ります。
人はそれぞれ個性的で、みんなちがっている。
とくに、低年齢児の保育は、オーダーメイドなんですよね。その子に合ったやり方を、その子と対話・関わりながら、一緒に探していく、見つけると手伝いをする。それが『引き出す』と、ラテン語で、大昔に定義されてる。
大昔の定義が『今も生きてる』!
すごいすごい😲
と、いうことに、あらためて気づき、ひとり感動したわけです。
有名な内容ですが、シェアさせてください😌
ただ、保育所の同僚に この話をしても、自分と同じように感動が分かち合えるかというと…う〜ん…🤔
理解してもらえないかもしれない…🙄
何言ってんの?と、思われそう。🙄
と、思ってしまう。
そのことのほうが、わたしは、さびしいのかもしんない。
ボヤいてしまった。
だけど、悪口を言ったわけではない。自分が感動したことを分かち合える人は少ない。みんな価値観が違うから。価値観を押しつけてもいけないし…😟
職場の人と理解し合うことの難しさを感じます。
みなさんはどう思いますか?
もしよければ…コメント欄でご意見お待ちしてます😊
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇
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