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【能力 心】優先するのは社会規範か自分の欲求か?
海外出張 関空へ向かうバスの中での出来事
先日、海外出張に行ってきました。行き先は上海です。私の住まいは京都なので、関空からの移動です。
関空までの移動は、京都駅からのバスが楽なのでいつもそれを使っています(MKタクシーのシャトルタクシーサービスが便利だったのですが、残念ながらサービス終了になってしまいました。悲しい…)
関空行きのバスは、事前にウェブから座席指定も含めて予約ができるので、自分が好きな席を予約して当日に臨みました。
乗り場にはバスを待つ列ができていますが、予約してあるので特に急ぐことなく列に並ばず、列がはけてから乗り込みました。
いざ予約した席へ向かうと、そこには5歳ぐらいの女の子が座っていました。「あれ?」と思って立ち止まると、その隣りに座っていた女性がスマホの翻訳ソフトの画面を僕に見せてきました。そこには、
「こどもと席を代わってください」
と書いてありました。その文字の上には、原文の中国語が書いてありました。
さて、ここで事実をわかりやすくすると以下の図のようになります。
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状況は即座に理解できたので、「Where is your seat?」 と聞くと、「Three B」と。
僕も親なので、小さな子供を隣に座らせたい気持ちは分かりますし、すでに座っている子どもをどかせるほどの理由も無いので席を交換しました。
母親は「Thank you、謝謝」とにこやかにお礼を言ってくれました。
スッキリしない僕の気持ちの正体はなにか?
予約していた座席に座れなかった訳ですが、出張にあたってはさしたる問題ではなく、母親からの感謝の気持もあり、「まぁよくあること」と思っていました。
ただ、なんだかスッキリしない自分がいることに気づいて、その正体を考えました。
出た答えは 「社会規範に照らし合わせて、この母親の行いが順序を守っていない」 ことでした。
事前予約制なので、座席はすでに決まっています。つまり、決められた座席に着席するのがこのバスという社会での規範です。
僕の気持ちがスッキリしない理由は、自分の予約した座席に座れないことでも、人に座席を譲らざるを得ない状況でもなく、規範から決まる順序を守っていないことにありました。
最初に、決められた座席に親子が座り、僕が来たときに「譲ってほしい」と言われたのであれば、僕はこんな気持にはならなかったでしょう。
こちらも図にするとこういう感じです。
僕が遭遇したのは状態Aで、僕が望むのは状態Bです。
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この母親の行動のリスクは何か?
自分のスッキリしない気持ちの正体がわかったところで、改めてこの母親の行動を考えてみました。
母親は、長時間(100分ほど)の移動において、小さな子どもを隣に座らせたいという希望があったはずです。そして、その希望を叶えるのは、このケースにおいてはある種の交渉事です(交渉相手は僕)。
今回のケースにおいて、子どもを先に座らせたい席に座らせたことは交渉上はプラスに寄与します。初期状態として状態Aを作り出しアンカリングすることで、僕にとっては相手の要求を断ることが心理的にも合理的にも難しくなりました。
つまり、交渉においてこの母親の行動は正解なわけです。
では、この母親の行動のリスクはなんでしょうか?
それは、相手の心象を悪くすることです。「なんで俺の席に座っているんだ?」と僕に思われて、「そんな身勝手なヤツの話なんぞ聞くものか」と思われるリスクがあります。そうなったら交渉失敗で、自分の希望が叶いません。
優先するのは社会規範か自分の希望か?
さて、この話をもう少し抽象化した上で、キャリアの文脈で考えます。
上記の話を抽象化すると以下のようになります。
社会には規範がある。
バスの事例で言えば、「座席に座る権利は守られるべき」が規範である。
一方で、自分の希望を叶えるためには、規範を守らないほうがいいことがある。
規範を守らないリスクのひとつに「人間関係を悪化させる」ことがある。
自分のキャリアや、日々の行動の選択において、今回のバスの話のようなケースは多々あると思います。
その時、あなたは社会規範を優先していますか?それとも自分の希望を叶えるための行動を優先していますか?
「こんなことしたら、人にどんなふうに思われるか分からないからやめておこう」という意思決定をしていることがあるかと思います。
「人の迷惑になることはやってはならない」と育てられることが多い日本人は、自分の希望よりも社会規範を優先することが多いのではないでしょうか?
規範と思っていることは、自分の価値観ではないか?
社会規範と自分の希望の優先順位の付け方は、その時・その人の意思決定なので一般化はできないですが、ここでひとつ考えておきたいことがあります。
それは、社会規範だと思っていることは、自分の価値観ではないのか? ということです。
バスのケースは「座席予約」という誰しもが共通認識できること基づいた規範ですが、”マナー”や”常識”が背景になった規範は、共通認識を持ちにくいものです。
たとえば、「電車の中では携帯電話で話さない」とか「エスカレータは右側を空けておく」とか、そういうものです。
「こんなことをやったら人にどう思われるか・・・」と頭で考える「こんなこと」は、あなたの価値観に照らし合わせたら規範にそぐわないだけであって、あなた以外の人にとってはなんでもないことかもしれません。
つまり、あなたが思い込んでいるだけの社会規範を守ることを、あなたの希望に近づくための行動よりも優先してしまっていることがあるのではないか、ということです。
もし、自分のキャリアにとってプラスになりそうな希望する事柄があったとき、そのブレーキになっていることを言語化し、それが自分だけの価値観によって決められた規範を遵守することではないかをチェックしてみてください。
計画的偶発性理論を提唱した Krumboltz は、偶然によってキャリアを構築するスキルのひとつとして「楽観性」を挙げました。楽観性を「こんなことを規範違反だと思っているのは自分だけかもしれない」と解釈することもできるのではないしょうか。
キャリア発達において、みなさんの行動のブレーキが少しでも外れて希望に近づけることを祈って、このnoteを終わります。