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ひとの悪口、どこへゆく?
人の悪口を最後に聞いたのは、いつですか?
なんだかんだで、「あの人は、ドウタラコウタラ」みたいな会話。
こんなことはわ日常では、よくあるのではないのでしょうか。
「人の悪口」って言っている時は、気分が良くなったりするものですが、お薬見たいなもので、本当の解決策ではないことがほとんどのように思えます。
「人の悪口をいわない」と決める事は、自分でできるのですが、他人から「人の悪口」を聞かされて、同調せざるを得ない雰囲気な時もあると思います。
そんな話を、知り合いの方としていたら、「お釈迦様と悪口男」という話を教えてもらいました。
細かいお話は上記リンクで読んでいただきたいのですが、簡単に言うと、以下の通りとなります。
プレゼントを受け取ってもらえなかったら、そのプレゼントは、送り主のものとなる。送り主に返ってくる。
悪口も同じで、相手が受け取らなかったら、その悪口を言った本人に返ってくる。
なので、悪口を受け取らないことが、最善の策というお話なのです。
悪口っていうのは、自分を正当化するための、最大の武器でもあります。
何もやらずに、口だけ動かすのではなく、少しでも自らの行動によって、誰かの役に立てたら、嬉しい事はありません。
今日は、おばあちゃんに、トマトパスタを作って、一緒に食べました。喜んでもらえて、自分も嬉しかったです。
この「料理して食べ終わるまでの1時間」と、「誰かさんの噂話につかう1時間」の価値を比べた時、やるべきことは、明らかだなと改めて思ったものです。