やさしさと想像力

朝起きて水を飲む。この事について、少し考えてみたい。

水を飲むために、冷蔵庫を開ける。

冷蔵庫は100年前には当たり前のものではなかった。

けれど、私たちの日常には、そこには当たり前に冷蔵庫があり、たくさんの食材を冷やしてくれている。

冷蔵庫を冷やすための電気は、火力発電か、水力発電か、何かしらの方法で作られ自分の家に運んでもらっている。

その運ぶための配線は、日本国内だけではなく、海外でも作られ、自分が暮らす街に設置されたのだろう。

取り出した水はどうだろうか?

ラベルを見てみると、南アルプスからの天然水と書いてある。

南アルプスから採水された水がペットボトルに入れられ、市場に流通し、近所のスーパーにやってくる。

それを見つけて、レジに行って、お金を支払い、家に持って帰って冷蔵庫に入れる。そこで働く人たちには、家族や友人がいて、そこでも様々な物語が紡がれている。

想像しようと思えばキリがないくらい、日々の生活の当たり前は、たくさんの人々によって支えられている。

それは、同じ時代に生きる人もそうだけれど、その当たり前のベースを作った歴史の中の人たちも同じだ。

なんでこんなことを考えたのかというと、自分がやっていることが、実は目に見えない事によって支えられていると気付いたからだ。

現実の生活の中でも、ネットの中でも誹謗中傷はやっぱり存在しているし、そういう話を聞く機会も多い。

そんな話にばかり耳を傾けていると、日々の当たり前にすごいことを忘れてしまいがち。

水を飲むというシンプルな行為一つにとってみても、そうだ。

こんなにたくさんの人の努力や支えがあって、しかも長い歴史で人生の先輩たちが残してくれたものを使わせてもらっているのだから、あんまり傲慢でいてはいけないような気がする。

人に優しくする第一歩は、想像力。

そんな話をしてくれた人が、学生時代にいた。まさにその通りだと思う。当たり前のように、当たり前を過ごせるのは、当たり前じゃない試行錯誤の積み重ね。

そんなことを水を飲みながら想像してみると、今日は少し人に優しくできそうに思う。

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