ディズニーシーで、散歩だけ。
大学生の頃の話。もう10年以上前の昔話。
当時に付き合っていた彼女とディズニーシーに行った。
週末に行ったので、どのアトラクションも30分待ちで、人気のアトラクションだと数時間待ちのものばかりだった。
長い待ち時間が嫌いだったので、彼女とはなして、とりあえず、ポップコーンを片手にヨーロッパの街並みを散歩することになった。
ただ街の中を歩いているだけなんだけれど、お互いの好きな音楽や昔話を話しながら、散歩する時間は幸せな時間だった。
何もしないのもなんだか…ということで、途中でビッグバンドのコンサートを見つけて、音楽を聴くことにした。
バンドも生演奏で、充実したコンサートだった。
(クーラーも効いていて気持ちよかったので、夏の日だったのだろう)
コンサートが終わると、またディズニーシーの街中を散歩した。
今度はチュロスを頬張りながら、行き交う人たちを見て、夕日が照らすディズニーシーを見ていた。
「乗り物に乗らなくても大丈夫?」と聞くと、
彼女は、「一緒に散歩しているだけで、楽しいから、それでいい。」
そう言ってくれた。
結局夜ご飯を軽く食べて、ディズニーシーを後にした。アトラクションには何一つも乗らずに、文字通り、ディズニーシーで散歩しただけだった。
もう10年以上にも前になるけれど、これが自分が最後に行ったディズニーだった。
何もアトラクションに乗らないっていうのは、初めてだった。
小さい頃から何度もディズニーには行っていたけれど、
もちろん、何かしらのアトラクションには乗っていた。
でも、ディズニーシーで散歩して、気づいたことがあった。
ディズニーシーは、映画の背景、舞台のようなもので、本当に自分にとって大切だったのは、彼女との時間だったということ。(もちろん、ミッキーやウッディをはじめとするキャラクター達の魅力はすばらしいものですが)
相手と自分が心地よい時間を過ごすことができれば、それだけで結構幸せだということ。
その彼女とはしばらくして別れてしまったけれど、形より中身が大事だと教えてくれた大切な人だ。
今は結婚して、こどももできて、立派に子育てしていると噂にきいた。
もちろん、もう一緒にディズニーシーを散歩することはない。
でも、あの日の夕暮れ空と遠くに広がる海を眺めながら、散歩した景色は忘れない。
忘れかけていた思い出が、よくわからないけれど、頭の中に浮かんできた。
また忘れてしまいのももったいないから、文章にしてみることにした。
思い出したら思い出になる。
コピーライターの糸井重里さんはそう言った。
まさにそうかもしれない。
ディズニーシーの散歩を思い出したら、思い出になった。