祖母の贈り物で、デジタル漬けの生活の中にあるアナログの魅力に気づけた話#WORKING FOREVER22
ある日、予期せぬ荷物が届いた。在宅勤務で、朝からパソコンとにらめっこしていると突然、インターホンの音が部屋に響いた。その音で私は仕事の世界から現実に引き戻された。
「宅配便です」
なんだよ、せっかく没頭してフロー状態だったのに。。。と少し残念に思いながら玄関へ。
楽天もアマゾンも頼んでいないのに、何が届いたんだろう。
そう思ってドアを開けてみると、配達員さんが中くらいの段ボールを抱えて立っていた。
その贈り物は父方の祖母からだった。今年の6月に祖父を亡くし、独り身になった祖母。私はコロナの影響で仏壇に手を合わせに帰省することさえできず、電話でしか話せていない。
母の日にはバラを、またお盆には手の不自由な祖母を想い、仏壇に供えるための造花を宅配した。時間ができた時は電話をして、祖母の愚痴や最近の話を聞き、説教されながらも私も会社で奮闘している話を前向きに話す。今の私にはそれくらいしかすることができない。
「おばあちゃまね、手が不自由なのよ。手紙がうまく書けないし、段ボール詰めるのも一苦労。施設も外に出してくれないし、ユミちゃんに贈りたいものが溜まっていくばかりよ。やれやれ」
「私のことはいいのよ。」
この会話は電話をするたびに、もう半年以上ずっと繰り広げられていた。それがとうとう本当に贈り物という形で私の家まで運ばれてきた。
包み紙の色は水色で金魚と風鈴の絵柄が施されていた。
長い時間をかけてようやくここまでたどり着いてくれてありがとう。
丁寧に広げてみると、中には祖母の大好きなお菓子と、祖母が過去に作った刺繍が施されたティッシュケース1つ、そして手紙が入っていた。
ゆみちゃん
元気で頑張っているようですね
身体を大切に一歩々進んでください
努力の結果と思いますが
春の昇格おめでとうございます
これからも
人からかわいがられ信用されるように
おばあちゃまのお祝いです もっと
してあげたいのですが 年金ぐらしゆえ あしからず
かわいい造花はおじいちゃまの 写真の前に
置いてあり 朝夕手を合わせて拝んでいます
日ごとに寒くなります からだを大切に 頑張ってください
さようなら
手が不自由になった祖母の手紙には句読点がなかった。
文字は最後になるにつれて擦れたり歪んだり、つながったり。
一筆箋2枚ほどの手紙だが、どれほどの時間と労力をかけて書いてくれたのかと思うと何度読み返しても涙があふれてくる。
Zoom とかLINEとか、今や世界中の人とリアルタイムにつながることができる。便利だし、私の日常はもはやそれらのツールなしでは成り立たない。
でも、そんな便利なツール以上に足りない要素が多い「アナログ」によって、人の想像力は掻き立てられ、相手に対し想いを馳すことができ、今目の前にある現実にさらに感謝ができるのかもしれない。
年末になってきた。そろそろ手帳を考える季節。
オンラインで集約してしまおうかとも思っていたけれど、やっぱり2021年も手書きのものにしようかなと、ふと思い立った。
これからは益々、デジタルとアナログが共存する世の中になっていくだろう。人によってちょうどいい塩梅はあるけれど、自分の許容を超えてどちらかに振り切りすぎてしまうと心身のバランスが崩れてしまう気がする。
仕事でもプライベートでもそう。人は効率化や利便性を求める一方で人間らしさやぬくもり、ちょっとしたひと手間が感じ取れるものに「キュンキュン」し、「じんわり」する。