「遮断力」 つくりたければ勉強もインプットも遮断する
文章でも絵でも音楽でもコードでも何でも良いですが、つくりたいのであれば、つくることに専念したいです。
SNSやゲームを除けば、最大のハードルは勉強とインプットです。一時的にこれらをやめねばなりません。
遮断する力
何らかの仕事、特に「つくること」に専念するために、普段行っている勉強やインプットを一時的にやめることを遮断と呼ばせてください。この遮断を行える力が遮断力です。
なぜ遮断が必要なのか
Ans: つくることが難しいことだからです。
つくることは「専念」が必要なほど高度なことです。割り込みやマルチタスクが専念を妨害するのはわかりやすいですが、実は勉強とインプットも同類です。
つくるためには、そのために頭を温め、使い続けないといけませんが、勉強とインプットはこれを削ぎます。かんたんに満足感が得られる上、SNSやゲームよりも役に立つと感じやすいからです。「必要だから」「私は正しい」などと正当化しやすいです。
その極地が、つくるために手を動かさず、やたら知識だけはあるという頭でっかちです。
遮断が不要なとき
逆に、かんたんにつくれるのであれば遮断は不要です。たとえば何をつくるかが見えていて、後は手を動かせばいいという「作業」の段階では不要です。作業は「ながら」ができる程度にはかんたんなものだからです。
※人によります。人によっては作業であっても遮断が必要です。
ちなみに、いわゆるプロ(の作り手)は、仕事全般を作業に帰着できるほどの力を持っている者を指します。それほどの力があるからこそプロとして通用します。詳細は以下記事を:
そんな人達であっても、よほどの才能でなければ「ながら」のできない仕事はあるはずで、その場合は遮断は役に立ちます。というより、遮断ができないプロは長続きしません。
遮断力と手に入れる
遮断力とは、勉強やインプットへの絶対視をコントロールする柔軟性と、手が伸びそうになるのを防ぐための仕組みづくりのスキルです。
以下、それぞれ詳細を見ていきます。
柔軟性については、先ほどから「一時的にやめる」と書いていますが、勉強とインプットを「一時的にやめてもいいものだ」という扱いにするということです。
よくあるのが勉強とインプットに対する強迫観念です。毎日キャッチアップしなければとか、皆読んでるみたいだから私も読まねばとかいったことですね。これは潔癖症みたいなもので、本人の病的なこだわりにすぎません。掃除はある程度では必要ですが、別に毎日神経質にやる必要はないのと同じです。
強迫観念であるという現実を認めてください。そして、本当につくりたいときは一時的に捨ててください。たとえば一週間の間、普段見ている情報源を全く見ない、くらいしても良いのです。
不安なのであれば、信頼できる数人くらいをピックアップしておいて、その人達だけ追いましょう。
もう一つが、意思だけで遮断できるとは限らないので仕組みをするという話です。これはSNSやスマホを遠ざけるのと同じで、自分の特性を踏まえた仕込みを頑張りましょう、ということです。
いくつか例を挙げます。
つくるときは外出先で行う、また余計なお金や物も持参しない
自宅など「勉強やインプットのしやすい環境」から離れる
つくる専用のデバイスを使う
文章の場合、ポメラは良い選択肢だと思います
遮断する日には、予定として「遮断日」などと入れておく
予定として認識させることで思い出す
勉強やインプットで使っているアプリを一時的に消す
勉強やインプットで使うスマホを、タイムロッキングコンテナでしばらく封印する etc
いずれにせよ、重要なのは自分に効く仕組みを自分で仕込むことです。これには先人達の事例といった知識と、自分自身による試行錯誤で掴む要領の二つが必要で、要はスキルです。
多くの場合、スキルには道具(への初期投資)が必要ですが、遮断力も同様です。上記の例で言えば、ポメラやタイムロッキングコンテナを購入する必要があります。
そもそも、遮断するためには「普段使っている道具や場所を分ける」が鉄板ですから、やはりお金はかかります。当たり前ですが、ここをケチるとスタートラインにも立てません。
ちなみに、強迫観念を捨てるだけ(つまり意思だけ)で遮断できる人もいます。その場合は道具は要りません。
しかし、これは才能の域です。意思なんて自己制御には役に立たない、と考えるのが大多数だと思います。仕事はちゃんとするが自分のことはテキトー、という人は多いですが、このような人は(仕事という制約や圧に突き動かされている、また耐える力があるというだけで)意思自体は弱いのです。
弱い方が圧倒的に多数派なので、できなくても悲観は要りません。
(関連記事)
遮断ではなく、その都度スルーするというやり方もあります。