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山田よねとワイズ、あるいは従順な女体について

連続テレビ小説「虎に翼」が終わった。
とても好きなドラマだったので役者さんのSNSアカウントもいくつかフォローさせていただいているのだけど、登場人物の一人山田よね(以下、よねさんと書く)を演じる土居志央梨さんのインスタ投稿にびっくりした。

よねさん(の、中の人)が! ワイズを!
わたしも着ているワイズを!

解釈一致では!?

……というわけで、これはよねさんとワイズについての妄想めいた文章です。

よねさん、こと山田よねは「虎に翼」のヒロイン寅子の学友の一人です。
女学校に通う「良いところのお嬢さん」は、卒業までにお見合いして結婚するのが当たり前の時代。居候の書生・優三にお弁当を届けたのを切欠に、寅子は法学の世界に興味を持つようになる。

今度うちの大学に女子部ができる。君のような頭の良い女性が法律を学ぶにふさわしい場所だ。

大学教授・穂高にそう言われた彼女は両親を説得して大学女子部に進学し、自分と同じように法律を学ぶ、様々な背景を持つ女性に出会う。後にともに大学本科へ進学する、その一人が山田よねでした。

よねは貧しい農家の次女として生まれました。
姉は15歳で女郎に売られ、自分も売られそうになったために髪を切って家出。女を辞めるから売らないでくれという彼女を父親は殴り飛ばしました。
上京したよねは姉のつてでカフェの住み込みの男装ボーイとして働き出しますが、やがて姉が稼いだ金を置屋に騙し取られていることが判明。
カフェの客の弁護士はよねの身体と引き換えに姉の金を取り返したものの、その結果として姉は置屋を追い出され、騙し取られていたお金だけをよねに残し男と出奔。
ちょうどその折、新聞で女子部設立の記事が掲載されます。弁護士、法律の力を知っていた彼女は「舐め腐った奴らを叩きのめす力が欲しい」と猛勉強して大学に入学。
女学校から女子部に進学したヒロイン寅子は書類さえ提出すれば進学できる環境にありましたが、よねは女学校に進学しておらず、のちに大学本科に進学する同期の女性5人の中で最も低学歴からの、本当に死に物狂いのスタートだったろうと思われます。

あなた、歌劇の男役みたいで素敵ね、と。
入学式の日、そう言ってヒロイン寅子がよねに声をかけたのが二人の出会い。

ちなみに口癖は「アホか」、「クソ」。

脚本の吉田恵里香さんは、ヒロイン寅子の女学校時代の親友にして義姉となる花江を「もう一人のヒロイン」とよく紹介しています。
が、個人的には山田よねも「虎に翼」の「もう一人のヒロイン」だと思っています。もしかしたらヒロインと対になる存在はこのドラマには複数いたのかもしれませんが。

恵まれた家に産まれた寅子と、貧しい農家出身のよねさん。
生理が重い寅子と、生理の軽いよねさん。
女性の服を着る寅子と、男装のよねさん。
自らの意思で「契約結婚」した寅子と、姉のために体を売った(と、暗示されている)よねさん。
弁護士資格をすぐに得た寅子と、言動が女性らしくないからと試験に落とされ続けたよねさん。
結婚した寅子と、生涯独身のよねさん。
出産で仕事を辞めた寅子と、仕事を辞めることはなかったよねさん。
裁判所で働くようになった寅子と、事務所を開設したよねさん。
裁判官になった寅子と、弁護士として働き続けたよねさん。

ミソジニー (misogyny)とは女性嫌悪、女性蔑視と訳され、ミサンドリー(misandry)とは男性嫌悪・男性憎悪と訳されます。

登場した当初のよねさんは「典型的な」ミソジニー、そして、ミサンドリーのキャラクターとして描写されていたように思います。語弊のある言い方をするなら「SNSで蔑称として使われるところの」フェミニスト、に近いキャラクターとしてまず現れた。

男装する女性キャラクターは古くからいます。
男嫌い、あるいは女嫌いの男装女性も多くいただろうと思います。

多くの人が同様のことを既に指摘しているとは思いますが、山田よねというキャラクターが新しかったのはミソジニー、ミサンドリーを抱えた男装キャラクターとして登場しながら、しかし寅子のような「結婚したりする普通の」女性と敵対することも一人孤立することもなく、むしろ多くの女性たちと連携していくキャラクターとして成長していったこと、その一方で物語の最後まで男装を解くことはなく男性とも女性とも恋はせず、つまりある意味では登場当初から殆ど変わらないまま、しかし自分の事務所や同窓生という「居場所」「家族のようなもの」を得た、……という点なのだと思います。

……書きながら、この程度のことが世の中では未だに「新しい」のか! とも思いますが。

弁護士とその助手という形で明暗が分かれた時もよねさんは寅子に嫉妬や恨みの色を見せることはなく、むしろ不器用ながらにも助けようとしていて、だからこそ寅子の結婚・出産後の二人の決別はどちらの心情にも感情移入できてとても辛いものがありました。
……あまりに辛いので当時は「なるほどこれが『原作の展開があまりに辛すぎてハッピー現パロを妄想する心理』というやつか……!」と思いながら、中の人である土居志央梨さんと伊藤沙莉さんが仲良く一緒に遊びに行っているインスタ写真を眺めていたくらいです。そう、わたしが「虎に翼」出演俳優さん達のインスタアカウントをフォローしたのはその頃からのことです。

弁護士になったよねさんはドラマの終盤、尊属殺人問題について弁護士として戦います。父親に性的暴行を長く受けていた女性が父親を殺した、そのことを尊属殺人として通常より重い罪とするのは憲法違反である。よねさんと彼女と共同事務所を設立した轟はそう主張し、最高裁まで上告します。

……暴力行為だけでも許しがたいのに背徳行為を重ね畜生道に堕ちた父親でも、彼を尊属として保護し、子供である被告人は服従と従順な女体であることを要求されるのでしょうか?

服従と、従順な女体。

「虎に翼」は法律がテーマのドラマで、ということはある意味、言葉がテーマのドラマでもあります。
ドラマの要所要所で憲法をはじめとする法律の条文、あるいは法律について語る時に結構な長さのある台詞を、言葉のプロであるベテランの俳優たちが語るのを聴ける、そんな観点からもわたしにとっては印象的なドラマでした。数年前から憲法記念日のあるゴールデンウイークには有名な声優さんの憲法条文の朗読動画がわたしのタイムラインには流れてきますが、そうかあれってちゃんと意味があるんだな……と思ったものです。ちゃんとした言葉の操り手が言葉、法律を読むと、言葉の内容はちゃんと入ってくる。
よねさんの台詞はモデルとなった裁判の弁護士の主張をほぼそのまま使っているそうですが、この下りを聞いたとき、今、ものすごく聞き捨てならない言葉を聞いたぞ、という衝撃がありました。

女体。
「女」や「女性」ではない。「ご婦人」でもない。
女の体。女の形をした体。一個人としての人格は認められない。
従順な女体。
為すがままにされる、女の、意思を認められない体。

よねさんが自らの身体を引き換えに弁護士と取引し、姉の騙し取られていた金を取り返したことについて、ドラマ内でその詳細や当時の内心は描写されません。
雨の降る暗がりの中、傘を差し立つ弁護士の影が彼女の方へ一歩近づく、……それだけ。

暴力は思考を停止させる。抵抗する気力を奪い、死なないために全てを受け入れて耐えるようになる。
彼女には頼れる人間も隠れる場所もなかった。父親の子をみごもり、2人の子供が生まれた。幾度も流産も経験した。職場で恋人ができ、やっと逃げ出すすべを得たのに、父親は怒り、彼女を監禁した。恋人に全てを暴露すると脅され、追い詰められた彼女は、さらに激しくなる暴力に命の危機を感じて、酒に酔って眠る父親を絞め殺した。恋人は真実を知って、早々にあいつから離れていった。

おぞましく人の所業とは思えない事件だが、決して珍しい話じゃない。ありふれた悲劇だ。あいつは今でも男の大声に体がすくむ。部屋を暗くして眠れない。

「虎に翼」山田よねの台詞より

ありふれた悲劇。
これを書きながら、そういえば寅子と出会ったばかりの頃、よねさんは自分の身の上についても似たようなことを言っていたな、と思い出しました。ありふれた話だ、と。
かつて「ありふれた話」を経験した彼女が、自分と同じようにありふれた悲劇(それは尊属殺人だけでなく原爆訴訟も、彼女の姉を含む女郎たちの経験も含まれるでしょう)に見舞われた女性のために法律の場で戦い、これからはもう何も奪われるなと言う。
ありふれた悲劇のための怒りは、ありふれた怒り、なのだろうか。

私は救いようがない世の中を少しだけでもマシにしたい。だから心を痛める暇はない。それだけです。

「虎に翼」山田よねの台詞より


叩きのめすためでなく、マシにするための戦い。

わたしは自分が怒ること自体に長年ブロックをかけてきて、だからかもしれませんが、怒ることはとてつもなくエネルギーを使うことだ、と思っています。ずっと怒り続けているとどうしてもどこかでガス切れが起きてしまうし、時に怒りの方向や自分の在り方全体が揺らいで、歪んでしまったりする。かといって抑え込もうとしても内側から蝕まれる。
SNSで見知らぬ誰かの、社会的正義の観点からの怒りの声を見ながら疲れてしまって画面を閉じてしまうことはしばしばあるし、それは「恵まれているから」できることだとも知っています。見ること、見ないことを選べるということは選択肢があるということです。

倦まず、弛まず、決してぶれずに。
不器用な部分もあるけれどよねさんの「怒り」はいいな、と思います。何故怒っているのか、何がクソだと思うのか。何を叩きのめしたいのか、何をマシにしたいのか、そのために自分は何ができるのか、するのか。自分の怒りに集中し即座に的確にアウトプットして、けれど振り回されはしない。

それは決して、簡単なことではない。
おそらく、特に女性と見なされる者にとっては。

よねさんの中の人こと土居志央梨さんが雑誌取材で着た洋服ブランド・ワイズは、機能的で品位ある日常着、男性の服を女性が着る、をコンセプトにしているブランドです。

原点は、男性の服を女性が着るというコンセプトのもと時代に流されることのない価値観を持つ、自立した女性たちへの服作り。機能的で品位ある日常着。

ワイズは、

オンラインで見ると何がどうなっているのかさっぱりわからない(と、店員さんに言ったら微笑みながら頷かれた)このブランドの真っ黒な服を当初わたしは中性的な服だと思っていたのですが、実際に着てみるとこんなに体のラインを綺麗に見せてくれるのか、と驚いた記憶があります。
もちろん服にもよるとは思いますが。いわゆるボディコンシャスな服では全くないのになぜか体の細さ、しなやかさが強調された気がして驚いたのでした。

……人によってはこのブランド苦手かもな。
初めて着たとき、そうも思いました。わたし自身、タイミングによっては忌避感をもった可能性もゼロではない気がする。カッティングやパターンが研ぎ澄まされているのだと思いますが、自分の体の見え方が変わる、そのインパクトは時に凄まじい。女性としての自分が嫌いな女性には辛いのではないかと思ったし、実際そういう感想をSNSで見たこともあります。

男性の服を女性が着る、という意味では男装の服ではあるだろう。
けれどそれゆえに自分の「女性」が現れる服。
従順な女体のためではない。けれど女の体を持った、自立した「女性」のための服。


よねさんはワイズの服を着るだろうか。忌避するだろうか。
インスタの俳優さんの投稿を見たあと、ぼんやりそんなことを思っていました。

男役みたいで素敵ね、と声をかけた寅子に冷たい視線を向け、「お前らとわたしは違う」と吐き捨てたよねさんの怒りは「お前ら」、同じ女子部に通う恵まれたお嬢さん達に向けられていると当初思われていました。
だけど恵まれたお嬢さん達とは「違う」自分やかつて自分の身の上に起こったことについて、学生時代の彼女は実際のところどう思っていたのだろう……彼女の過去が判明した時、そんな思いが過ったのも事実です。自分の性別や身体や存在丸ごとみじめで嫌なものと思う、そんな瞬間が彼女にもあったのだろうか。
よねさんからしたら大きなお世話、かもしれませんが。

ミソジニー、ミサンドリーを抱えた男装キャラクターとして登場した彼女の怒りは、ドラマが進むにつれて(自分含む)女性の冷遇される社会に対するものであることが判明します。
同時によねさんも、周囲の女性達は軽蔑すべき対象ではないことに気付きます。その後、本科に進学した彼女は典型的なバンカラ学生の轟や彼とは対照的な花岡などと出会い、後に轟とは共同事務所を設立することになります。
この轟も、よねさんと同じくらい画期的なキャラクターだと思うのですが、それはまた別の話。

わたしはドラマ「虎に翼」において彼女がドラマ終盤、六十代になるまで男装を解かなかったことは、キャラクター造形の点からも彼女という存在の終着点としてもベストだと思うけれど、もし彼女が自分の身体や性別を憎む瞬間が、後年においても何かの折に存在していたなら、それはちょっと嫌だな、悲しいな……と思います。
悲しいな、と思うけれどそういうことも起こりえるだろうな、と思うのも事実です。そして、だとしても彼女は素晴らしい(you are so amazing!)人生を生きて多くの人を救った、自分もそうありたい、とも思うのです。

よねさんを演じた俳優が彼女の男装について演出家に問うた際、よねさんは決して男性になりたい人ではないのだ、と説明されたそうです。
彼女の中で自らの女性性の否定はイコール男性そのものになる事、ではなかった。

「虎に翼」の物語終盤、白髪が増え老眼鏡を掛けるようになった轟に対し、よねさんは殆ど変わっていないように見えました。まあ、朝ドラではよくあることです。
きっと物語が終わった後もよねさんは轟と共に弁護士として働き、例えば知り合いの娘から紹介されて事務所にやってきた、職場から不当解雇された女性を救ったりして、最後まで男装で過ごし生きるのだと思います。

それでも。

ひょんなことでワイズの服に袖を通したよねさんが、へえ、意外と動きやすいし悪くないじゃないかと笑う。
そんなシーンがいつかどこかの時空に存在してたらいいな、と。俳優さんのインスタ投稿を見ながら思ったのです。

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