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同窓会。
『ほんっとうに最悪だった。』
ここまで親に感情をあらわにしたのは、
初めてかもしれなかった。
成人式後の同窓会。
田舎の小中学校の同窓会。1時間に1本もない田舎の終電なんて23時代、逃した時点で始発を待つしかなく、会は3次会まで行われた。
成人式が出会いの場になって、同窓会で思い出話に花を咲かせられる人は、それはそれはいい学生生活を送れたんだと誇っていいと思う。
狭いコミュニティ。
行かないという選択肢がない。
それでもわたしは最後まで強がり、
これはわたしの意思で行くんだと、
自分でも本気でそう思っていた。
どうして同窓会にいきたくなかったのか。
答えは簡単である。
それはいじめられていたからである。
今回は、当時の話を交え、同窓会での話をしたい。いじめに関しては、あまりに複雑すぎて長くなるので、要点を抑える程度に話そうと思う。
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北海道の片田舎。
小学校の学年は12人、全校生徒でも80人ほどしかいなく、あまりの過疎具合に、高学年に上がる頃に合併した。いじめっ子(仮にBとする)は合併した学校にいた。
小学生くらいになると、スクールカーストが生まれる。わたしは高くも低くもなかった。
小学生の頃からクラスリーダーや、学級委員長、生徒会長をやるタイプで、その流れは大学生になった今でも抜け出せずに続いている。
合併した当時、やはり学校同士の生徒間に敵対心があり、ピリピリしていた。
特に、委員長系をやり、男子にも物怖じしない強気な女子だったわたしは、ある意味目立っており、Bの目に付いたのかもしれない。
Bのいじめは5年生ころから始まった。
激化したのは、中2の後半からであるが、特に印象深い中3のことをとりあえず記しておく。
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中3のころ。
わたしは某文化部の部長、そして生徒会長を兼任していた。部活での練習の指示出しをした後に、生徒会室に走り定例会を行う。途中部活に問題が起きれば、定例会のきりのいいところや、役員にやることを与え、部活に戻るという生活をしていた。
Bはとにかくわたしのことが気に入らなかったらしく、当時Bが付き合っていた先輩と廊下ですれ違えば大声で悪口を言われたり、春には当時わたしが付き合っていた人に嘘をだらだら吹き込まれた挙句別れさせられ、日常的に孤立するように仕向けられていた。
誰もBに逆らえない空間。
Bはいわゆるイケイケ系の女子で、
つるんでればイケイケの一員になれるし、
いじめられることもない。
お兄ちゃんがいて、末っ子、
親はバカなのかっていうくらい、
Bに甘いモンスターペアレント。
さらにいうと、Bは親に自分が被害者かのようにいろいろなことをいっており、先生すらとりあってくれない空間だった。
それでも友達はいた。
Bに嫌がらせをうけていた子と
自然と仲良くなった。
秋になり、高校受験も近づいていたころ、
友達の様子がおかしくなった。
わたしが悪口を言っている、という嘘で友達を取り込むよくあるパターンだった。
割愛しまくってるので伝わりにくいが、
すでにいろいろされ疲弊しきっていたわたしは、とにかくわたしは裏切らない、そっちでなんかされたり居場所がなくなったらこっちにおいで。いつでも待ってるから、という大人ぶった言葉だけを伝え、1人で過ごしていた。
裏切られるつらさも、孤立するつらさも、そっちとうまくやる方が学校生活がうまくいくことも、人間は強くないことも全て理解した上での言葉である。わたしはそいつらとは違う。人を裏切らない。人の痛みもわかる。その強がりでもあった。
それでももう誰も信用することなんてできなかった。完全な孤独で、それでも1人で強がっていられたのは、完全に当時ジャンプで連載していためだかボックスの影響である。
当時のわたしはめだかちゃんに憧れまくり、作中にでてくる言葉でなんども自分を鼓舞し、なんとか強くあろうと過ごせていた。めだかボックスはわたしの人生の教科書であり、めだかボックスがなければ間違いなくあんなに頑張れてなかった。とても大切な漫画である。
話を戻そう。結局友達がふらふらしながら戻ってきた。戻っては離れ、戻っては離れを繰り返しわたしは飽き飽きとしていたが、それでもB御一行ともめにもめ、すれ違えば舌打ちをされ、教室に入れば悪口をいわれ、そんな空間に耐えかねた友達がとうとう爆発した。
先生に助けてもらおう、と。
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『こういう状況でつらいんです。』
できるだけ、他の先生にも聞こえるように職員室で訴えた。
『もう直接話し合ってみれば?』
大したとりあってくれない女の担任に怒りを覚えつつ、それもそうだと話すことにした。
次の日。
『ねえ、ちょっと話があるんだけど』
努めて冷静に、低姿勢で話しかけた。
別にこちらは刺激したいわけではない。
この状況を打破したいだけ。
少しの間と、ため息、舌打ちがあり、
廊下で話すことになった。
こちら2人と、そっちは4人か5人くらい。
とにかく、穏便に、冷静に。
相手を刺激しないように。
『すれ違いざまに舌打ちされたり、悪口言われるの、つらいからやめてほしい』
『はあ?』
『いや、だから…』
『は?!そんなんやってねーし!てめーらの被害妄想だべや!』
一方的に散々暴言をはかれ、その場を後にされた。教室から出てきた男子たちは触らぬ神に祟りなしといった顔でそそくさと去って行った。
ちょっとは期待していた。
つらいと伝えれば、相手もわかってくれるだろう。つらいという気持ちをわかれば、やめてくれるだろう。そう考えていたが甘かった。もしかして自分は日本語が話せていないのではないかと不安になるほど、びっくりするくらいになにも伝わらなかった。
さらに驚いたのは先生に報告をした後だった。
『暴言吐かれて終わりました』
『そっか。まあ、別に無理に関わらなくていいし、あなたたちから挨拶だけしてあげればいいから』
………はあ?
ほんとにつらくて?
先生に助けを求めても助けてくれなくて?
話し合えって言われたから、なぜかいじめられてるこっちから話し合いの機会を設けて?
暴言吐かれてもなお、こっちから挨拶しろと?
悪いのはいじめてるやつじゃないの?
もう誰も助けてくれないんだと、そう思った。
夜眠る前、どれほど朝が来ないことを願い、
いっそこのまま目を覚まさなければと涙し、
朝目が覚めるたび、絶望でいっぱいになった。
このころのわたしは、吐き気と腹痛に襲われるため、朝ごはんも給食も、一口も食べれなくなっていた。
保健室に行けば、会長なんだからこんなところにいないで戻りなさいと言われた。
はあ?会長関係ある?
本当は私は仲良くしたいのに…!そう嘘泣きをしながら、Bが保健室で担任に訴えているのを、わたしは知っていた。泣いて訴えたいのはわたしの方だった。
とくに病気もなく、病院で処方された整腸剤も飲みすぎてきかず、逃れられないチャイムがなるのが恐怖で仕方なかった。
何回も死ぬしかないと思った。
言葉で伝わらないあの子も、
とりあってくれない先生も、
人1人くらい死ねばわかってくれるだろうか。
わたしが死んでおけば、もう誰もいじめられなくなるだろうか。ことの重大さに気づいてくれるだろうか。自分の娘は嘘をついてるだめな娘だと両親も気づくだろうか。
どうやって遺書を書こうか。
内容を考えているうちに涙が溢れて止まらなかった。
悲しませたくない、心配かけたくないといじめられてることすら知らない家族のことを思うと死ねなかった。
生徒会や部活のことを投げ出すわけにはいかないという責任感もあった。
そしてなにより死ぬ勇気すらない自分が惨めで仕方なかった。
幸い、頭だけはその中ではそれなりによかった。
絶対に管内一番の進学校に行くと決めていた。
ここなら誰も来れない。
死んでも受からないといけない、つらい日々の中なんとか受験も終わり、わたしのつらい日々も終わった。
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はしょりにはしょったが(それでも長い)、いろんな人になんども裏切られ、救いはなく、あまりにつらいあの日々は、未だにわたしの中に残っている。
女の人が怖いのもそのせいだ。
女の人は無条件で心が構える。
そんな中学の同窓会。
イケイケのあの子はくるだろう。
それでもわたしはあくまで前向きだった。
そう、同窓会にいくのも、いじめっ子のあの子が、この5年でどう成長したのか、興味があるから。わたしはもうなにもつらくない。
それが地獄の1次会のはじまりだった。
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『実はさ、みんなには内緒なんだけど、先生たちもよんでるんだよね!』
会場は同級生の祖父母のお店であるこじんまりとした居酒屋。
小さな声で誇らしげに話す同窓会の幹事は、今でも仲のいい男子だ。
これも断れなかった原因ではあるが。
『えっ…そうなの?』
わたしは先生が嫌いだ。大嫌いだ。
助けてくれなかったあの先生。
わたしは大学では教職課程もとっていた。
講義を受けるたびに、どうしてあの人は教師になれたのか、どうしていじめられている生徒をほっとくことができるのか、これらのカリキュラムを先生も受けたと思えば思うほど怒りと悲しみで震えた。
『サプライズ用意した笑』
無邪気に笑う友達に、きっとみんなびっくりするだろうねと答えるのが精一杯だった。
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『きゃ〜〜みんな久しぶりぃ〜!』
その声をきいただけで、鳥肌が立ち、目眩がした。
『元気だったぁ〜〜?』
なにも変わっていなかった。
見た目も、声色も、あの頃のまま、わたしの苦手なままで、条件反射で、涙がでそうになった。
(平気。もう大人だもん。)
勤めて冷静を装おった。
『ここでサプライズゲストです!』
案の定、いわゆるイケイケのみなさんは、これでもかというほどオーバーリアクションで声を上げ、口元を押さえ、抱きつき、その光景にわたしは辟易とした。
『せんせぇー!!』
昔話に花が咲く。
先生を囲んだ女子たちが当時の話をしてる。
わたしの混ざりたくないあのころの話。
(呼ばれませんように…)
はじの方で疲れたふりをしながら(実際に疲れてはいたが)、東京から帰省してる友達と話をしていた。
『ほら!秋。もこっちきて!』
ああ、最悪。
本当に、最悪。
たぶん顔に出ちゃったのだろう。
友達が気を利かせて引き止めてくれる。
『ええー。秋。は今俺と話してんのーあとでいいじゃんー』
優しくて泣きそうだった。
お願いだから呼ばないでほしい。
『だめ!女子同士大事な話してんの!』
ああ、ほんとうにもうやだ。
ああ、ほんとうに帰りたい。
わたしの大嫌いな子と、
わたしの大嫌いなその子の取り巻きと、
わたしの大嫌いな先生と、
わたしを裏切ってふらふらしてた友達に囲まれて、それだけで、わたしは息の仕方がわからなかった。
『先生、あの頃は本当にうちらがご迷惑をおかけしました!』
友達が言った。
『本当にすみませんでしたぁー』
Bも、とりまきも次々と土下座をして謝った。
わたしはノリでする土下座が大嫌いだ。
別に土下座にそれほどの価値があるかは、わかないが、とにかくやすやすとするものではないと思いながら、その光景を眺めていた。
『ほら、あんたも謝りなって』
………え
なんでわたしが謝らなきゃいけないの?
なんで?
わたしが謝られるんじゃなくて、
わたしが謝るの?
言葉の意味が理解できなかった。
頭が真っ白になって、フリーズしてしまった。
『ほら謝りなって!』
友達が半分ふざけながら、わたしの頭を床に押してくる。
『す、すみませんでした…』
『いやいや、まあね笑』
いや、は?
まあね、じゃないよ、なにが?
依然として、頭はうまく働かない。
『ていうか!ほら!Bと秋。も仲直りしなよ!ほら!』
……仲直り?
いや、え。
仲直りってなに。
これはけんかだったの?両成敗なの?
わがままな中学生の揉め事だったの?
なんでわたしも悪いことになってんの?
『ほら!握手して!』
その場には嫌な空気が流れていた。
なんていうか、その、場の空気を壊しちゃいけない、逆らえない独特のあの空気。
嫌だ、死んでも触れたくない。
『ほら!』
それでも、5年ぶりの再会を喜ぶ場。
仲のいい友達が苦労しながら設けた場。
わたしなんかが壊すわけにいかない。
へらへら笑うしかない。
『あの頃は…ごめんね』
なぜかわたしから謝り差し出さなければならなかったその手を、Bは握り返してはくれなかった。
『ううん、全然だよぉ〜。こちらこそごめんねぇ』
なんといってたか覚えてないが、
気持ちのこもってないそんなような言葉を聞いた気がする。
もう、何が悲しいのかわからなかった。
そのときわたしの中では20歳のわたしではなく、15歳の、あるいはそれ以下の幼いわたしが、目にたくさんの涙を溜めながら、静かにこちらをじっと見つめていた。
わたしは気づかれないように、
俯いて大きく、ゆっくりと息を吐いた。
ごめんね、心の中のわたしにつぶやく。
守ってあげられなくて、ごめんね。
握手ってなんだっけ。
あくまで、握手してるように見えるように、手を添えてるだけ。
軽く握るわたしの手にたまたまそこに手があった、もしくはわたしが無理やり握手してるかのような、握手とは呼べないなにかだった。
その全てが。
先生の態度も、
わたしが謝らなければならない流れも、
握られなかった手も、
ひとつひとつが、わたしの心をずたずたに引き裂いた。
20歳にもなって、まるで幼かったあの頃の自分に戻ったかのように、ひどく傷ついた。
もう笑う元気なんてなかった。
わたしが大学で心理学を学んでいるのは、
1人でも多くの人に寄り添いたかったから。
毎日必死に生きている人がどんなことを考え、感じているのか知りたかったから。
つらい想いをしてる人の心を
少しでも軽くしたかったから。
いじめっ子には、いじめっ子なりに
なにかつらいことことがあるのだと、
あの子にもなにかあったのだと、
少しでも理解して寄り添いたかったから。
5年も経てば大人になっているはず。
もしかしたら分かり合えるかもしれない。
そう少し期待していた。
楽しそうなその空気の中、最後に残ったのは、傷だらけのわたしだけだった。
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同窓会は、必ずしも行かなくていいと思った。
期待するほどいいものでもない。
もしかしたら、なんてない。
一目見たときに直感した。
会って話して確信した。
わたしの中でもう平気だと思ってた。
わたしの悲しかった過去は、
死にたいくらいつらかった気持ちは、
全部全部なにも変わずつらいまま残ってた。
もしかしたら幼くて仕方なかったのかもしれないと、今は本当に後悔してくれてるかもしれないと思ってたあの子も。
当時の対応の至らなさに想いを馳せてくれているかもと思っていた先生も。
誰もかもあの頃と変わらずに、
なにも成長していなかった。
わたしだけがひどく傷つき、
あの空間の中でひとり絶望の中にいた。
なんでこの期に及んで、
また傷つけられなきゃいけないんだろう。
人の痛みに、どうしてここまで無関心なんだろう。
少しの期待もなくなり、ただただ虚しく、家に帰った。早朝、家族が寝静まってる中、1人起きて帰りを迎えてくれたお母さんの姿に、こみ上げる涙をぐっとこらえつつ、わたしは初めて少しだけ話をした。
『同窓会、本当に最悪だった。』
『あの頃ね、本当は学校に行きたくなかったんだ。』
秋。