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族車の作品が影響受けた本 その2
2021年12月12日まで北杜市のHOKUTO ART PROGRAM Ed.1にて
私たちのHUMAN AWESOME ERRORの作品が展示されています。
前回からの話を続けます。「工藝族車」はモノの作品ではなくて活動が作品なので、活動の時間の中で影響を受けていく要素があり、その一部が何冊かの本です。これらの本はいずれも族車というアンダーグランドカルチャーだけでなく、私たちが今生きている時代がどういう空気なのかを語りかけてくるものです。
その2. 禅とオートバイ修理技術 上巻 | ロバート・M・パーシグ
工藝族車のプロジェクトを気にかけていただいている、テクノロジーや現代アートのジャーナリストの方から教わった本で、この本によって、古いカワサキのオートバイを買って整備しながら乗っていくことに背中を押されました。
いわゆる、天才と称されたであろう筆者が若くして飛び級でミネソタ大学に入り、脱落した後に朝鮮戦争の従軍を経てインドで哲学を学んだ後、精神異常をきたしたので治療のために脳に電気を流したところ記憶を喪失し、過去の自分という幻影を辿りながらエンジンの機構と宇宙と人間の内的世界を同じレイヤーで語っていくという、前提だけでも情報量が多めなのですが、紀行文としての読み味は爽快に進みます(少なくとも上巻までは)。
この本の筆者は、化石燃料と空気が混ざり、それが燃焼して爆発する時の動力を自然科学として捉え、海水の温度が下がれば雲が減少し、干ばつになって草木が枯れる、というよう認識と同様にオートバイと向き合っているのです。言い換えればテクノロジーを宇宙の一部として人間がどう受け入れるか、という考え方を示してくれます。
筆者が乗っていたHONDA CB77 Super Hawkはキャブレターによる二気筒のエンジンで、現代のオートバイのようにガソリンと空気の比率を自動化するようになったインジェクションや、計器もデジタル制御のものに比べれば、非常にシンプルな作りのものです。エンジニアでも無い一人の人間が把握するのに丁度良いスケールだったかもしれません。
EVを含め、センサーやコンピューターの塊のようになったモビリティは人間一人が原理を理解するには複雑すぎる時代になりました。
筆者のロバートMパーシングは、旅に同行する友人が、オートバイの整備を自分で整備をせずに優秀なエンジニアを探すことに注力したり、家の水道管から水が漏れてしたたる音がしているのを原因を探らずに放置していることを、テクノロジーが受け入れられない人間として(批判では無い)黙々と観察しています。作中に登場するその友人こそが読み手の私自身だと思った時、古い車体を手に入れて出来るだけ自分で整備しながら構造を理解したいと思うようになりました。
旧車會の面々はもっとシンプルな理由で70~80年代の車体と付き合っています。
そしてこのアングルからの香水の人#シンガシ#あっくん pic.twitter.com/K5KwHppbeJ
— ★ごんちゃん★53 (@gonchan_53) September 22, 2020
最初のターンタンタタタンタンが
— 名前は非公開 (@secretname420) November 19, 2021
動画入ってればOKINAWAなってたかも
ダーダカ pic.twitter.com/dYHjC18i56
90年代なら、辛うじてまだ空冷4気筒のゼファーやXJR。
ゼファーのパンパンした音たまらん☺️#ワルツ機械 pic.twitter.com/yI07sXqms4
— さすけ (@ko_ruman) November 18, 2021
彼らはいたずらに年代に固執しているのでなく、コールと呼ばれるエンジンの音楽を作るために、空冷でキャブレターのエンジンでないと望んだ音色が出せないのです。シンセサイザーがあらゆる音を出せるようになったのに、未だにギターを掻き鳴らす音色を再現できないのに似ているかもしれません。
この本の筆者のような、宇宙の仕組みと内的世界の関係に対する好奇心とは異なるものの、旧車會の人々が美の様式に突き動かされ、エンジンの仕組みを理解し、ド派手なLED照明をプログラムして半田付けで基盤を作り、外装に貼り付けるカッティングシートをデジタル入稿するためにAdobeのソフトでグラフィックを作っている様子は、下手なメディアアーティストやエンジニアより、遥かに「テクノロジーを受け入れている」人々であることに気づかされます。
自作楽しいよ笑っ pic.twitter.com/JZE2uytoU9
— #つんでれがお? (@____________4x) December 1, 2021
またその反語として、これから先の未来に機械学習やデジタルファブリケーションの解像度が上がり、工芸家のような卓越した技術者でなくても優れた造形が可能になった時、技術を強みにしている工芸家は、「手作りの素晴らしさ」以外の言葉でわざわざ人間が手を動かす意味を表現できなければ、存在の意味さえないのではないか、と恐ろしいことまで考えてしまうのでした。
ゾッとする本です。