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魂の…

"魂の〇〇”って言うとグループ魂のことを思い出しがち。
ライブ行きたいな。


魂の三分説という概念を知った。

魂の三分説(たましいのさんぶんせつ)とは、プラトンが『国家』『パイドロス』『ティマイオス』等で提示した、人間の魂(プシュケー)を3つの性質に分ける考え方のこと。(中略)
以下の3つからなる
理知(希: λόγος, ロゴス)
気概(希: θυμός, テューモス)
欲望(希: ἐπιθυμία, エピテューミア)

wikipediaより

理知は知性「知恵」のことで、気概は「意思」みたいなもので、欲望は「感情」みたいなもの。
これらが三国志みたいに3つバランスをとって心の中にあるというモデル。

個人的に面白いと思ったのは、「意思」と「感情」は別なんだな、ということだ。自分の中では「意思」と「感情」は同じフォルダに入っているように思えていたから。一般的に人間はそうなのだろうか。2500年前からそんなことが言われていたなんて。


やはり「意思」と「感情」は同じようなもの、って認識しているのはノーマルではないのかしら。僕は「意思」が「感情」に飲み込まれている。

あるいは「感情」が優位に働いているということかも。
感情で行動が左右されてしまう傾向が強いから、なんとかうまくサヴァイブするために感情をできるだけコントロールしようと苦労している。

そんなに感情的にはならない(と思っている)けど、だいたいの行動原理は感情に起因している。


「意思」と「感情」が別物であり、独立したものだと捉えることができればメリットがありそうだ。

いまは「感情」としては、「面倒くさくてその仕事をやりたくない。」
しかし、「意思」として、「早く仕事を終わらせる」というのを持っていたとする。

「感情」と「意思」は別だから、「意思」に従って仕事をやっちゃえばいい。「感情」を(その時点では)無視しちゃえばいい。みたいな活用が考えられる。

仏教とかマインドフルネスの文脈でもそういうの言っていた気がする。
「感情」は単なる「感情」だから、反応するのではなくそのままにしておくみたいな対処法。

あくまで思考のモデルではあるのだろうけども、妥当なモデルだと思ったし、面白いと思いました。

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