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古い篩、新しい篩

篩(ふるい)。

歳をとるというのはフィルターの目が粗くなっていくようなもので、それは大人になるということでもある。
フィルターの目が粗くなれば引っかかるものが少なくなる。

フィルターを通して。
そしていちど興味が無いフォルダに入れてしまう。
そうするとそれは自分とは関係ないモノになる。
というよりもフォルダに入れすらしないのではないか。


人間の認知機能には限界があり、記憶力にも限界がある。
脳のヤツときたらすぐに世界を簡略化して捉えるからな。

そうして見過ごしてきたモノはたくさんあるだろうし。

自分は欲張りだからできるだけいろいろなモノを見過ごさずに生きていき、できるだけ見聞きして死にたいと思っているのだが。

それでも取りこぼしたモノは星の数よりも多く、海の砂よりも多い。
そしてこれからも増えていく。

物理的な限界はとっくに迎えていてる。
生きている間に、これまで出版された書籍をすべて読みつくすことは不可能。映画だって無理だ。

すべての美しいものを見ることはできない。
観光地だってスタンプラリーのように訪れればいいというわけではなくて。季節だったり天気だったり、時間帯だったり。
あるいはある程度の期間を滞在しなければならなかったり。

今生きているすべての人と友達になることはできない。
会うことさえ難しい。

すべての美味しいものを食べることはできない。


ちなみに、これは違う問題なのかもしれないけど、生きている間に自分がこれまで購入した詰んで入るボードゲームをすべて遊びつくすこともちょっと難しいんじゃないかなんてこともある。


なので、生きている限り何らかの選択をしている。
積極的か消極的のいずれかにしても、生きていくことは選択をすることなのかもしれない。

できれば正しい選択をしたいな。
損しないような選択をしないようにしたいなと思っている。

だから一般論として、一番きれいなもの、一番うつくしいもの、一番おいしいもの、を求める傾向があるんだろうな。分かりやすいから。




とても好きだったWebサイトに
「世界の秘密は、あなたがさっき吸ったタバコの紙に書いてあった」
というようなフレーズがあった。

20年は経過していても覚えているのだから、よほど自分に刺さったのだと思う。

このnoteは正確性を重んじることで定評があるnoteを目指している方向性を重視している。

うろ覚えだけれどがんばって検索した。
残っているのかも分からなかったけれど。


サイトを見ることができた、そして心臓がギュとなった。
-2003と書いてあった。サーバを維持してくれていたんだな。
今でもとてもとてもとても好きなWebサイトだった。

先のフレーズ、正確にはこうだった。

あなたが
さっき吸った
煙草の
巻紙の裏には
世界の秘密が
書いてあった。

深夜特急ヒンデンブルク号

(リンク先でリロードするとランダムにその画像を見ることができました)




私の世界は私が選択したモノ、見つけたモノでできている。
というのは、正しいと思う。

認識できるものだけを、私は認識しているから。


この本、とても面白かった。
脳は頭蓋骨によって外界から遮断されている。脳殻にたゆたう脳。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、いわゆる五感は、電気信号でしか情報は伝わっていない。
そこで認識されているのは各センサーで検出したものを、神経というチャネルで伝えられる電気信号であり、直接それを検出しているわけではない。

人間機械論みたいな考え方なのかもしれないけど。
目はカメラで、カメラから電線が伸びていて、脳という処理装置につながっている。
脳が直接見ているわけではなくて、あくまでも目が見たという情報を、取捨選択して、圧縮して、電気信号に変換したものを脳で知覚して「見た」と思っているだけ。

だから、自分が知覚しているものはそのものではなくて、あくまでも間接的に認識しているんだって。




選択しなかったモノ、あるいは見つけることすらなかったモノはたくさんあり、比率的にはそちらの方が大部分である。言うなればそれこそが世界である。ただ、自分には関係のない世界である。

それは寂しくて悔しいけれども。


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