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老いと向き合わざるを得ない
馬齢を重ね、老齢の域へと淡々と進んでいくことに定評のあるアテクシ。
猪突猛進、老化の暴走機関車とはオレのことよ!
などと名乗りを上げてみても聞くもの無し。
枯草の丸まったやつがコロコロと転がる荒涼とした大地に聞こえるのは自分自身の声のみである。
なぜなら老いへの嘆きなど誰も聴きたくはないのだから。
老いへの嘆きがこだまする荒野。
この声は私だけの声ではないかもしれない。
ちなみに、例の転がる枯草はタンブルウィードと呼ばれる。
ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダムでも登場したことでもおなじみだ。
年老いていくことは人間である以上避けることができないのだけれども。これだけはいやだなというのは、「おぢ」と陰で呼ばれることだけははなんとか避けたい。
もちろんもう呼ばれている可能性は否定できない。
そうだとすれば、それはそれで仕方が無いと受け入れるくらいの度量はもっていたいなぁ。
こんなツイート(ポスト)を連続して拝見した。
もしかしたらだが「自分の思想を語りたいおじさん」の存在によって歴史が紡がれ受け継がれてきた一面はあるのではないか。人間が歳をとるほど寡黙になったとしたら、ウザい自慢話をする人がいなくなる一方で受け継がれるべき技術や伝承があっさり絶えたりするのではないか。
— 大西科学 (@onisci) September 25, 2023
そして
尊敬できるオジサンからは色々教えてほしいので説教ウェルカムなのだけれど、そういうオジサンはちゃんと「若者に説教するとウザがられる可能性がある」と理解しているので説教しない。
— 堀元 見 (@kenhori2) September 24, 2023
逆に、一ミリも尊敬できないオジサンは鈍感なので説教を始めてしまいウザがられる。
説教オジサンのジレンマ。
この二つのツイート(ポスト)から導き出されるのは、こんな未来か。
人類はテクノロジーの発展により寡黙であることが美徳とする価値観が発達し、しかもその社会において尊敬されうる人物ほど自らの思想を伝達することをためらう傾向にある。
自らの思想を開陳しがちな年長者は、次第に若年者から避けられるようになり、その価値が棄損されてしまう傾向があり、テクノロジーの発展も相まって少数派となる。
すると寡黙な年長者が相対的に(結果的に)増えていく。そしてその傾向は社会構造からフィードバックされるために、どんどん強まる。
その結果、受け継がれるべき伝統やら何やらが途絶えてしまう…。
「話は聞かせてもらった」
「世界は滅亡する!」
みたいなやつじゃないですか、やだー。