ぢっと手を見る feat.おばあちゃん
暮らしの中で、人々は8時間もの労働という拘束時間に身を捧げて生きている。
通勤や休憩時間も合わせるならば9時間以上だ。通勤のための準備や残業なども合わせると1日の半分を費やすことになる。
なんと馬鹿馬鹿しいことだろう、と時折考えてしまう。
しかし8時間働かないと暮らしていくのが大変な世の中だ。大概の人間がそうだろう。
この世の仕組みはなんと業が深い。
私は今でこそ、そこそこに金の心配は減ったが、取り壊し寸前のオンボロアパートで同姓の友人と同棲し家賃を折半して暮らしていた頃がある。
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る(石川啄木)
本業に加え掛け持ちで仕事をしても全く楽になっていかない生活の中で、世知辛さを抱え、苦渋を舐めて、敗北と友達だった。そんな暮らしをしていた。
金のない頃は、ずうっと自分が煤汚れているような感覚があった。金のことを考えると本当に胸が苦しくて、楽になりたい一心で金儲けの術に縋ろうとしたこともあるが、私にはどうもそういったことは向かないことがわかっただけであった。
落語家がよく言う「(世の中に)無くても困らない仕事を俺たちはやってる」という言葉を借りれば、私の得意な仕事はまさしくそういった「無くても困らない分野」なのだと思う。
医者や警察官は世の中に必要だが、こういった物書きだのなんだのは無くたって人間生きていける。
だがそういった「無くても良い仕事に人生捧げて生きてる」と落語家は同時に言う。私もそうでありたい。
無くても困らん仕事で稼ぐのは本当に苦しいだろう。無くても構わないからいつ仕事が無くなるかもわからない。
だが、無くてはならない仕事だけしかやっていない人生より正直私は楽しいし夢があるし生き甲斐を感じてしまうのだ。
なんてことをぼーっと考えながら私は仕事をサボっている。やることをさっさと済ませて、こうして思考に耽る事で、身体の拘束中も頭を拘束されないように抗って生きているのだ。
存外、こういう時間の方がアイデアは浮かぶもので、私が以前YouTubeに動画公開した歌ってみた動画「ボッカデラベリタ」歌ってたらおばあちゃんが乱入してきたなども仕事中に浮かんだネタだった。
これこそ無くてもどうでもいい動画なのだが、私はそういうものを愛しているし、これからも命を削って無駄を残そうと思う。そしてその無駄が食いぶちの足しになれば上々だ。