「運は自分でまわすもの」という哲学持論
「運が良い」だとか「運が悪い」だとか人はよく言ったものですが、この「運」というものに対する私なりの哲学がある。
私は20歳頃、「運は自分でまわすもの」と定義付け、座右の銘とした。
運が良くなる確率も悪くなる確率も、自身の行動によって変動していくという考え方だ。
「宝くじは買わないと当たらない」という言葉の通り、行動を起こさない限りは金運は上がらない。
しかしこの言葉は「でも買っても当たらなかったら損するよ」という話が抜けている。
行動によって、かえって金運が下がった(お金で失敗した)ともとれるわけだ。
人間の行動の全てには、メリットデメリットがある。
金を払えばモノが手に入るように、メリットとデメリットが釣り合った時に基本的には「交換」が発生する。
かと思えば、買い物によって金銭以上のメリットを手に入れることもあり、デメリットを負うこともあるだろう。
運良く本来の価値より安くモノを手に入れることもあれば、損得勘定の失敗で損をすることもある。
例えば、おじさんがキャバ嬢に好かれるためにブランドもののバッグを貢ぎ、その行為にメリットを感じていたとする。貰う側もラッキー!と思うかも。
しかしおじさんはキャバ嬢を想うあまりストーカー化してしまい、店を出禁。最悪逮捕されたとしよう。
すると、おじさんはもうそのキャバ嬢には会えない。貢いだバッグの分の金は損をしたといえる。
キャバ嬢としてもストーカーから貰ったバッグは使いたくなくなるかもしれない。売却して金は手に入るかもしれないが、ストーカーをされた事により精神的マイナスを背負わされたり、そのバッグのブランドに対してまで負のイメージを生涯抱き続けてしまうこともあるだろう。
こうなると互いにメリットだったものが途端に互いにデメリットに変換される。
幸運な出来事が途端に不運な出来事になったと言い換えることが出来るだろう。
現在の心情や行動によって過去の出来事にまでバフやデバフがかかるのだから、「運」という存在はひっくり返る可能性もあるということだ。
この場合の反転トリガーは「ストーカー行為に及んだこと」である。
ではお互いにトクをするためには、運を良くするためには、何をするべきか。答えはシンプルだ。
「頭を使って的確な行動をする」
これこそが運を上げる要因の真の正体だ、というのが私の持論である。
私はポケモンカードゲームで遊ぶことがあるのだが、カードゲームに例えて話をしてみよう。
60枚の山札があり、その山札から引いたカードで2人のプレイヤー同士がたたかう。
ターンを重ねるごとに手札からカードを消費していき、山札はどんどん薄くなっていく。
試合も終盤に差し掛かれば、「このカードが引ければ勝てる!」というシーンに直面する。
そこで、狙いのカードを終盤に引けるように、プレイヤーは毎ターン、山札の中のカードを手札のカードの効果で消費していき、山札の枚数を少なく圧縮していく。
60枚あった山札が10枚になれば、狙のカードが引ける確率が上がるワケだ。
しかし、山札を圧縮するために手札を大量に消費していくことは、プレイヤーの手数……すなわち選択肢を狭めていく事にも比例する。
また、山札を圧縮しすぎて、その枚数がゼロになった場合、次の自分のターンで山札を引けなかったプレイヤーはポケモンカードゲームのルールにおいて「敗北」となってしまうのだ。
圧縮という行動は、勝利への運を上げるための行為でありながら、同時に敗北の確率を高めていく。プレイヤーにはリスクの計算が求められるのだ。
運の正体なんて結局確率……すなわち「数字」なのだ。
その数字を上げるための行動の積み重ねが、その人の運を良くしていく。
だがあくまで確率は確率。幸運が90%でも不運が10%なら、不運を引く事も十分にありえる。
あなたの努力が報われなかったのは、この10%を引いてしまったが故かもしれないし、他の誰かの幸運の値の方が高かっただけかもしれない。
文系の私には悲報だが、この世の全ては数字で決まってしまっている。
体調を崩すのも体のどこかのパーセンテージが乱れたからだし、あなたがこのページに足を運んでくれた運命だって確率の一つだ。
先日私は、道路を横断するたびに頭上に浮かぶ見えない死亡確率が上昇するイメージを抱くといったような話をブログで書いたが、きっと全ての行動にはパーセンテージが付き纏い、目に見えないから我々には計算できないだけで、確かに存在するのだろう。
その目に見えない確かな数字を人は「運」と呼ぶのだ。
家でゴロゴロしていても、突然狂った金持ちが1万円をくれる確率は果てしなく低いが、金持ちの多い場所へ赴けばその確率は相当に上がる。
家でゴロゴロしていれば、突然狂った殺人鬼に殺される確率は果てしなく低いが、治安の悪い場所へ赴けばその確率は相当に上がる。
ただそれだけのこと。
幸運の形も様々なのだから、あなたの思う「幸運」へ向けて、知恵を絞り、行動すればきっと幸せに近付けるだろうし、頭を使わずがむしゃらに行動すれば、きっとどこか明後日の方向へと向かってしまうだろう。
メジャーリーガーの大谷翔平氏の作ったという「目標達成シート」に「ドリブルが上手くなる」なんて書いてあったらきっと彼はああはなっていないだろうし。
「運も実力のうち」という言葉の真意はそこにあるのではないだろうか。
私はがむしゃらにやった結果相当な遠回りをしてきた。その遠回りの末にとんでもない幸運と巡り会ったりもしたが、遠回りせずに済んだ人が大谷翔平氏のような存在になるのだろう。
みんなも出来ればそうなりたいんじゃないかな。どうだろうか。
「自分の目指す幸運と、今の行動がズレるかも」と思ったあなたが、どうか幸せへの道をまた歩めますように。