映画「シサム」と「アイヌ神謡集」
ひょんなことからアイヌに関心を持ちました。
たまたまアイヌに関係する映画が上映されているということで「シサム」という映画を見ました。
この映画は江戸時代前期に松前藩士の子息である孝二郎がアイヌの交易品を他藩に売るために兄のいる北海道に向かい、使用人の善助に兄を殺されてしまいます。
兄の仇を打つために蝦夷地に向かった孝二郎は逆に善助に傷つけられ、傷ついたまま川に流され、アイヌの人々に発見されアイヌの集落・コタンで介抱されます。孝二郎は介抱されながら、アイヌの文化や風習を知り、自分を見つめ直していきます。
だが、そのコタンでは、自分たちが獲ったシャケなどの交易品が松前藩により不当に安く買い叩かれ、さらに和人たちに砂金取りのために河川を汚されたことなどから、和人に対する反発が高まり、アイヌと松前藩は一触即発の状態となり、松前藩士たちが銃を持って現れ、アイヌの人々との間で壮絶な戦闘が繰り広げられ、多くのアイヌの人々が殺されます。
孝二郎はコタンに先回りして行き、松前藩が襲ってくるから逃げてくれと叫びます。すると、コタンのアイヌの長が、なんでわたしたちがここを逃げなければならないんですか、わたしたちはこの地で生きてきただけだ、と言うのです。
この映画を見て、シサムとはアイヌ語で隣人のことのようですが、アイヌの隣人たる和人との間に、わたしたちが知らない多くの悲劇があったのではないでしょうか。
主役の孝二郎を演じたのは、佐藤浩市さんのご子息の寛一郎さん、主題歌は中島みゆきの「一期一会」です。
アイヌ文化に興味を持ったこともあり、友人から「アイヌ神謡集」という素晴らしい本があると教えてもらい、また「アイヌ、神々と生きる人々」という本も紹介してもらいました。
これらの本によりますと、アイヌの世界にはアイヌ語はあるものの字がなく、すべて口承で伝えられたものだと言います。
「アイヌ神謡集」もアイヌの部落に伝わる神話を発音どおりローマ字で書き綴り、それを日本語の口語訳にしたものだそうです。
この本を書いた知里幸恵(ちりゆきえ)さんという方は明治36年に北海道幌別登別村にアイヌの娘さんとして生まれ、大正11年9月18日に19歳の若さで心臓病で亡くなったといいます。
知里幸恵さんをモデルにした「カムイのうた」という映画が2023年に制作・上映されたそうですが、機会があれば是非見たいと思います。
金田一京助は「アイヌ神謡集」(岩波文庫)のなかで「すべてを有りの儘に肯定して一切を神様にお任せした幸恵さんも、さすがに幾千年の伝統をもつ美しい父祖の言葉と伝とを、このまま氓滅に委することは忍びがたい哀苦となったのです。か弱い婦女子の一生を捧げて過去幾百千万の同族をはぐくんだこの言葉と伝説とを、一管の筆に危く伝え残して種族の存在を永遠に記念しようと決心した乙女心こそ美しくもけなげなものではありませんか」と「アイヌ神謡集」が誕生した経緯に触れています。
また知里幸恵さんの末弟でのちに北海道大学教授になった知里真志保さんが「アイヌ神謡集」の最後に「神謡について」という文書を書いています。
それによれば神謡とは「アイヌ文学と普通にいわれているものは物語文学である。それを韻文の物語と、散文の物語とに分けることができる。韻文の物語というのは、歌われる叙事詩、いわゆるユーカラ(詞曲)のことであるが、それはさらに『神のユーカラ』(神謡)と、『人間のユーカラ』(英雄詞曲)とに分けられる。『神のユーカラ』というのは、神々が主人公となって自分の体験を語る、という形式をとる比較的短編の物語である。これは、さらにその物語の主人公である神の性質によって、二つに分かれる」と書いています。
「アイヌ神謡集」の神話は、厳しい自然のなかで暮したアイヌの人々の思いがひとつ一つ光の滴のように心に響く素晴らしいものなので、ここでは最初の梟の神の自ら歌った謡「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と「沼貝が自ら歌った謡『トヌペカ ランラン』」の一部を抜粋いたしましょう。
「銀の滴(しずく)降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌を私は歌いながら流に沿って下り、人間の村の上を通りながら下を眺めると昔の貧乏人が今お金持ちになっていて、昔のお金持ちが今の貧乏人になっている様です。海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓におもちゃの小矢をもってあそんで居ります。「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌を歌いながら子供等の上を通りますと、(子供等は)私の下を走りながら云うことには、「美しい鳥! 神様の鳥! さあ、矢を射てあの鳥 神様の鳥を射当てたものは、一ばんさきに取った者はほんとうの勇者、ほんとうの強者だぞ」(後略)
「トヌペカ ランラン 強烈な日光に私の居る所も乾いてしまって今にも私は死にそうです。『誰か、水を飲ませて下すって 助けて下さればいい、水よ水よ』と私たちが泣き叫んでいますと、ずーっと浜の方から一人の女が籠を背負って来ています。私たちが泣いていますと、私たちの傍を通り 私たちを見ると、『おかしな沼貝、悪い沼貝、何を泣いてうるさい事さわいでいるのだろう』」と言って 私たちを踏みつけ、足先にかけ飛ばし、貝殻と共につぶして ずーっと山へ行ってしまいました。『おお痛、苦しい、水よ水よ』と泣き叫んでいると、ずーっと浜の方からまた一人の女が籠を背負って来ています。私たちは『誰か私たちに水を飲ませて助けて下さるといい、おお痛、おお苦しい、水よ水よ』と叫び泣きました。すると、娘さんは、神の様な美しい気高い様子で私の側へ来て私たちを見ると、『まあかわいそうに、大へん暑くて沼貝たちの寝床も乾いてしまって水を欲しがっているのだね、どうしたのでしょう 何だか踏みつけられでもした様だが……』と言いつつ私たちみんなを拾い集めて蕗の葉に入れて、きれいな湖に入れてくれました。
(中略)
私の故為でそうなった事を知って 沼貝の殻で粟の穂を摘みました。それから、毎年、人間の女たちは粟の穂を摘む時は沼貝の殻を使う様になったのです。と、一つの沼貝が物語りました」
これらの本と他の文献によりますと、
アイヌの世界では、自分たちが住む里を「アイヌモシリ」と呼び、神々が住む神の里を「カムイモシリ」と呼ぶそうです。
アイヌの人々にとって、神は、クマ、オーカミ、キツネ、エゾイタチ、エゾフクロー、アホードリ、シャチ、カジキマグロ、ヘビ、カエル、沼貝などのような動物神、トリカブトや、オーウバユリや、アララギなどの植物神、舟や錨などの物神、それから火の神、風の神、雷の神などの自然神があるそうです。
アイヌの人々にとって、自分たちとかかわりを持ったものすべてが神であり、それだけアイヌの人々は大自然を畏れ、敬い、自分の周りの動植物や器物に感謝を捧げて生きて来たのではないでしょうか。
そしてアイヌの人々は、神の里である「カムイモシリ」に住む神々が、人の里である「アイヌモシリ」に来るときには、神は人には見えないので、肉体、つまり人間なら人間、クマならクマ、フクロウならフクロウの格好をして来るといいます。さらに、霊はこの世とあの世を往還する不滅な存在であり、自分たちがこの世で良いことをして神に供物を捧げれば、霊は人に会いにやって来るといいます。人々はそれを迎えいくというのです。
その一例として、「イオマンテ」といわれる熊の霊送りという儀式は、「熊を殺すのではなく、この世の仮りの装いである肉体と霊を切り離し、その霊をあの世へ送ることなのである。そして、人々がクマを獲るたびに、丁重にその霊を送ることで、クマの神様の霊はクマの装いでいつでも喜んで人々の前に現れる」と言います。
ただ当初、わたしはアイヌの神は、トーテミズム的な大地母神のような神ではないかと想像していましたが、文献によると、モシリ・カラ・カムイという男神とイカ・カラ・カムイという女神がいて、人の里であるアイヌモシリを創造したようであり、また神の里であるカムイモシリは先に述べてように動植物や物、自然神など多様で、唯一神の大地母神そのものではないようです。
わたしの友人は「アイヌの精神世界は実に深いものですぞ」と言っていましたが、その感をつよくいたしました。
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