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「ロジカル」は「美味しい」ぐらい違う

 かつて日本のサラリーマンには「モーレツ」であることが求められる時代があったという(私はY世代、はざま世代なのでその頃は子供)

 高度経済成長期からバブルまでを支えたモーレツ社員達。オフィスの壁には「売り上げ倍増」というスローガンが掲げられ、深夜残業当たり前、退社時間は午前様となり、翌朝もキッチリ出社、朝礼では軍艦マーチを流していた。当時流れていた石油会社のCMで、美女のスカートがめくれてパンチラすると共に「Oh!モーレツ」というキーワードが話題となり、のちの「モーレツ社員」へと繋がっていく。

 どれをとっても現代なら一発コンプライアンスアウトな事象だ。残業も軍艦マーチ(!)もそうだけど、どうして石油会社のCMで、美女のスカートが風でめくれて、「Oh!モーレツ」というコピーがつくのだろう。もし今宇宙人にさらわれて、「この映像は、大体おまえが過ごしてきた時期、国で放映されていたものだが、どういう内容か説明しろ、そうしないと地球を滅ぼすぞ」と言われても、説明できる自信がない。

 かくしてかつての好景気に沸いた日本のサラリーマンは、「モーレツ」であることが求められたのだ。

 時は移り現代。なんとなく、今はサラリーマンという言葉ではなく、ビジネスマンという言葉のほうがしっくりくる。現代のビジネスマンに、かつての「モーレツ」のように求められているものといえば、まさに「ロジカル」だろう。

 「事業部長はロジカルに攻めないと聞かない人だから…」「そのロジック、おかしくないですか?」「人材マネジメントにはロジカル・シンキングが…」

 猫も杓子もロジカル、ロジカル。「あの人はロジカルだ」という言葉が最高の誉め言葉であり、逆に「ロジカルではない」と断罪されることは能無しと言われているに等しい。

 そうして巷には「自称ロジカルビジネスマン」が溢れかえることになる。これは20代、社会人3年目くらいで「それなりに仕事わかってきた」フェーズでも発生するし、50代で部下を束ねて意思決定しなければならないフェーズでも発生する。ロジカル病はあまねくすべての年代で伝染する恐ろしい病なのだ。

 ロジカルの証明は難しい。散々ロジカルを小馬鹿にするような文言を書かせて頂いたが、「じゃああなたはロジカルなんですか?」と言われたら、とんでもない、私はロジカルです、なんて絶対に言いたくないと思う。

 これは私の意見かも知れないが(ロジカルじゃないぞ!と言われないようにするための最高の予防線)、真のロジカルチャンピオンなんて者はいないのである。何か物事決めたり、議論を重ねる時に、「ロジカル」という風味をきちんと意識して用いて、チームメンバーや上司、クライアント、もっと遠い社外の人にも、伝わるようにしましょうね、というちょっとしたキャンペーンみたいなものなのである。

 それなのに人は、「ロジカルか、そうでないか」という剣幕で迫ることが多い。今、ロジカル警察はそこかしこに身を潜めているのだ。

 マネジメント層の自称ロジカリストは、会社のロジックが骨の髄まで染みついた人物であることが多い(マネジメント層だからいいんだけど)
 「それは会社の指針、進めたいこと、こうなったらいいな、こういう市場だったらいいな、という青写真では…」という話を展開していき、ドヤ顔に変わる新しい顔、ロジカル顔でプレゼンを締めくくるのだ。

 「ロジカル」は「美味しい」ぐらい、人によって異なるもので構わないのだ。ハンバーガーが美味しい人もいるし、湯葉の刺身が美味しい人もいる。同じ人間が、ランチではケバブを美味しいと頬張って、夕食はおでんと日本酒をエンジョイしたっていいのだ。

 「ロジカル」は「私はこう考える」を整理整頓してキチンと伝えるためのツール、プロセスに過ぎない。考えやアイディアを指して「これはロジカルだ」というのはナンセンスにも程がある。もちろん「これはロジカルだから正しい」のでもない。

 このようにして、みんなロジカルを感覚的に語る。

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