フェイブルマンズ
スティーブン・スピルバーグ御大の自伝的作品という前評判だったので、これは観るしかないだろうと鑑賞。
タイトルの『フェイブルマンズ』とは「フェイブルマン家」の意味。映画少年サミー・フェイブルマンとその家族の年代記ではあるが、映画に限らず何かに取り憑かれたり、何かを目指しながらも家族の中で葛藤したり悩んだ事のある、全ての人に響く物語だった。
母親(ミシェル・ウィリアムズ)がつぶやく「全ての出来事には意味がある」という言葉が印象的だ。劇中で主人公が、家族のトラブルも人種差別も失恋も糧にして、自分の人生を切り開いていったように「苦しみにも意味がある。伏線はいつか回収される」というメッセージを感じた。
いや本当は人生に意味などないのかもしれない。伏線も回収されないかもしれない。でも自分が自分のストーリーを描き、思い込み、行動すればこそ、そこに「意味」が生まれる。人生には生きる価値がある。そういう話として受け止めた。
物語の最後、映画界に足を踏み入れ始めた主人公は偶然、実在の名監督に出会う(未見の方のため名前は伏せておく)。この「映画の神様」には、配役も含めて驚いた!(青年時代のスピルバーグが経験した実話らしい)
この名監督は「画面の中では、地平線を"上"か"下"に配置しろ。中央はダメだ」と語る。
画面も構図も、適当に撮るわけではない。全てに「意味」があるのだ。それを名監督は教えてくれたのだろう。ここから、主人公=スピルバーグの映画人生が始まっていく。
ラストシーン、意気揚々と去っていく主人公の背中を追っていたカメラが最後にクイッと動いて、地平線を"下"に移動したのにはニヤリとさせられた。
(2023.3.13)
http://www.wonosatoru.com
いいなと思ったら応援しよう!
サポートありがとうございます!
応援していただけたら記事を書くモチベーションがグッと上がる単純な人間です。