観光農業という職業の魅力
花の観光農園 世羅高原農場が 広島 世羅の地で花を植え始めて今年で25年目が経ちました。かつては旭鷹(きょくほう)農園と呼ばれ、葉たばこを生産していました。様々な出来事の末に花の観光農園へ業態転換し、たくさんの方々に支えていただきました。おかげさまで現在では世羅町内に主役の花が異なる三つの花観光農園を運営するまでになりました。観光農園がまちでどのように成長してきたかをお話しする前に自分自身の観光農園に対する思いをお話しすることから始めたいと思います。
自分が学生の頃は自分がこのような仕事をするとは思ってもみませんでした。もともと都市部で仕事をしたいと思っており、高校は地元ではなく福山市の学校で寮生活を送り、大学も長野県の文系の学部で学んでいました。私が二十歳の時、当時農園の代表を務めていた父親が亡くなり、その時初めて自分のふるさとを意識するようになりました。夏休みは世羅に戻って農園のアルバイトをしていましたが、その時私の仕事に対するモチベーションとなる出来事がありました。
当時は接客のみで花を育てることはありませんでしたが、お客様から「世羅は花もきれいだけど、果物や野菜も美味しいし、人も優しい、空も広くて空気もきれいねー」そんな言葉をたくさんかけていただきました。生産したものだけでなく、自分のふるさとまでもほめてもらえるような仕事ならどんなしんどいことがあってもやっていける、そんな気持ちになりました。就農して19年、今も私の仕事の原動力となっています。
大学を卒業してすぐに就農したわたしを待ち受けていたのは全てが未経験の農作業でした。強い思いをもって飛び込んだはずの農業の世界ではありましたが、それはもうつらい毎日でした。当時は四名の従業員組合員で営農していたので、全ての花や野菜の作付け管理、イベント運営、接客と目まぐるしく動き続ける日々でした。刻一刻と変化する天候や畑の状況を見ながら作業の優先順位が決めていく熟練の人たちを追いかけるように日々全力で働きました。目の前の作業をひたすらこなしていくことが精いっぱいで、前後の作業の関連性や作業の意味を理解するには至らず、後々失敗することで思い出すことが多かったように思います。休みもほとんどなく、仕事が終わるとかえってすぐ寝る、習うより慣れろの日々が続きました。
季節は巡り花の季節、自分たちで育てた花たちが丘一面に咲きだすと、普段は静かな田舎が一気ににぎやかになりたくさんのお客様の歓声に包まれます。そのダイナミックな情景を目の当たりにすると、しんどかったけど、やっててよかったなあと疲れが一気に吹き飛んでいきました。夏、早朝から収穫した朝どりのトウモロコシを地元の直売所に配達すると販売棚に並べるそばから売れていきました。「あんたのところのトウモロコシは他とは全然違うけえ、この時期は楽しみにしとるんよー。」とお声がけいただいたのをよく覚えています。それだけに、今度はもっと美味しいものをつくろうとか、もっと喜んでもらえるような花畑にしようと課題も見えてきます。
自ら作って自ら売ってお客様からダイレクトな反応を得る。製販一体の観光農業の強みと魅力はまさにここにあると感じています。