【ショートショート】夢の盗賊
「夢があることはいいことだね。でも、夢の盗賊に奪われないようにしないと」
ケーキ屋さんになりたいという夢を伝えたとき、幼かった私は叔父さんからこう言われた。
夢の盗賊は、無意識に侵入して人の夢を奪っていく輩だ。
彼らが行動するのは、人々が眠りについている夜が多い。それは眠っているときこそ、脳がリラックスしている状態だからだ。裏を返せば、無防備といってもいい。
無意識に侵入した夢の盗賊は、その人が大切にしている夢を奪っていく。夢を奪われた人は目を覚ますと、自分が何を目指していたのか、叶えようとしていたのか、わからなくなってしまう。
この話を叔父さんからきいたとき、私は眠ることが怖くてしかたなかった。
「ははは。まだ子供なんだから怖がる必要はないさ。夢の盗賊は、夢の価値を上げてから奪いにくるからね。長年、夢を持ち続けてきた夢や大きな夢は高値で取引されるらしい。だから、ケーキ屋さんになる夢を一年、三年、五年と持ち続けてきたときには気をつけないといけないよ」
そう叔父さんが教えてくれて、私はちょっと安心して眠ることができた。
「叔父さんの夢って何?」
「南の島でのんびりと暮らすことさ。随分と長く持ち続けてきた夢だけど、来年にやっと叶えられそうなんだ」
夢を語っているときの子供みたいな叔父さんの顔が印象的で、私まで嬉しくなった。
叔父さんが夢の盗賊に夢を奪われたのは、その年のクリスマスのことだった。
「叔父さんの夢って何?」
「夢ねぇ……そうだな、健康に暮らせれば、それでいいかな」
一度、奪われた夢をその人は決して叶えようとはしなくなる。まるでなかったことのように、叔父さんは南の島で暮らすという夢を忘れていた。
叔父さんのように夢を奪われないために、無意識を監視してくれるセキュリティ会社とも契約して、私は大事に夢を膨らませてきた。
私が夢を抱いてから、十二年。
私は夢だったケーキ職人になっていた。
今、私はとても充実した毎日を過ごしている。
ある日、一人の女性客が来店した。
「いらっしゃいませ」
「ショートケーキをひとつ、あとは季節のタルトも美味しそうね」
「はい、うちの看板商品でおすすめですよ」
「じゃあ、それをひとつ、あとは……あなたの夢をちょうだい」
「えっ?」
思わず、私は耳を疑った。
女性客がニヤリと不敵な笑みを浮かべると、着ていた服を脱ぎ捨てる。
「うひゃひゃひゃひゃ。今日まで大切に育ててきた夢、いただいていくぞ」
目の前に立っていたのは、夢の盗賊の首領で悪名高いアクムだった。
アクムは色とりどりのケーキが並ぶショーケースを壊すと、ショートケーキの上に乗っている苺のような真っ赤なルビーを奪い取ろうとする。
「お願い! それだけはやめてぇ!」
私は絶叫しながら、ベッドから起き上がった。大粒の涙がボロボロと流れている。
「なんだ……夢か」
ケーキ職人になるという夢は忘れていない。夢を奪われたわけではなく、ただの悪い夢だった。ホッとしたけど、なんとも最悪の目覚めだ。
製菓の専門学校を卒業し、来月からケーキ店で働くことが決まって、直前で夢を奪われるのではないかという不安からこんな夢を見たのだろう。
叔父さんのこともあって心配になった私は、有名な夢専門医がいる大成病院にいくことにした。
夢科の病棟はいつも混んでいるようだ。
「次の方、どうぞ」
夕方まで待って、やっと私の名前が呼ばれて、診察室へと入る。
「どうもー。夢科医の大成でーす。今日はどうされましたー?」
ボサボサの髪の毛に無精髭、軽薄そうな喋り方といい、この先生は本当に大丈夫なんだろうか?
不安はあるものの、私は昨夜、見た夢の内容について大成先生に話した。
「なるほどねー。そういう不安や焦りがあるとね、セキュリテイも不安定になるんだよねぇ。夢の盗賊はその隙を逃さないし、長年の夢が叶う直前ならば、奪いにくるのは尚更ってわけでー。もしかしたら、近くまで下見にきたのかもしれないねー」
「そんな……先生、どうにかしてください! これじゃあ、来月まで眠ることができません」
「ははは。そりゃ、夢を叶える前に死んじゃうねー」
真剣な訴えに笑いながら返す大成先生に、私はとても腹が立った。
「もういいです! ほかの病院にいきます」
「あぁ、ちょっと待ちなよー。このペンダントを着けて寝てごらん、ほれ」
大成先生が私に放り投げてきたのは、円形の輪に糸が網目状に張られたペンダントだった。
「なんですかこれ?」
「ドリームキャッチャーって知らない? まぁ、魔除けみたいなものかなー。気休めにはなるかもよ」
「では、気休め程度の処方箋としていただいていきます!」
効き目があるのかは怪しかったけど、夢を守るためなら何でもいいから縋りたい気持ちだった。
その晩、私は魔除けのペンダントをつけて、眠りについた。
夢の中で、私は家の中で寛いでいた。
しばらくすると、家のインターフォンが鳴ったが、私は居留守を使う。
再び鳴ったが、やはり無視した。
何度も何度もインターフォンが鳴り、さすがに恐怖を感じ始める。
「開けー、ごまっ!」
玄関から大きな声がきこえた瞬間、私の家の施錠されていたドアや窓がすべて全開となった。
「うひゃひゃひゃひゃ。今日こそは、甘くてきれいな夢をいただいていくぞ!」
アクムに侵入を許してしまったようだ。
「なにが魔除けのペンダントよ! 早く逃げなくちゃ」
窓から外に逃げようとすると、大量の砂粒が外から吹き込んできた。
あっという間に砂が部屋中を満たしていく。なんとか砂を手でかき分けて、頭をだした私は思わず目を疑った。
見渡す限りの砂漠が広がっていたのだ。
「ここ、どこ?」
「お前のセキュリティは機能していない。ここは我らの無意識のテリトリーさ」
ラクダにまたがったアクムのほかに、総勢四十人の盗賊に私は取り囲まれていた。
まさに絶体絶命。
まずはこの砂から這いでなくちゃ。下半身が砂に埋まったままの私は、手に力を入れて脱出しようとするが、周囲の砂が砂時計のようにサラサラと下側へと落ちていく。這いでようとしているのに、逆に体が砂に引きずりこまれていく。
「なにこれ、ちょっと助けて!」
「それは流砂だよ。なぁに、怖がることはないさ。埋もれても死ぬことはない。ただケーキ職人になるという夢を失うだけさ。砂漠でサンドケーキになったことも起きたら忘れている。忘れたら新しい夢を持つことだ。また奪いにきてやるからな。うひゃひゃひゃひゃ!」
アクムの高笑いに悔しくなって涙がでそうなのに、カラカラに渇いていて涙もでなかった。もがけばもがくほど、首元まで砂に埋もれていく。
もう終わりだ……。
「諦めるな! これにつかまれ!」
薄っすらと誰かの声がきこえた気がした。砂から突きでた右手がロープのようなものに触れて、私は最後の力を振り絞ってつかんだ。
次の瞬間、私の体は勢いよく流砂の中から引っ張りあげられた。
助けてくれたのは、馬にまたがったアラビアの王様のような人だった。
「さぁ、私の後ろに乗りなさい!」
言われるがままに、王様の後ろにまたがる。
「もう少しだったのに、余計な邪魔が入った。皆の者、あの男の夢も奪ってしまえ!」
アクムの掛け声で、四十人の盗賊が一斉にこちらへと向かってくる。
王様は剣を鞘から抜いて、応戦した。王様の剣技は見事なもので、次々に盗賊たちを倒し、残りはアクムただ一人となった。
「さすがに分が悪いな。こうなったら、出直すしかないか」
アクムがラクダをジリジリと後退させていく。ここまで追い詰めたのに、アクムに逃げられてしまう。
「まさか逃げるつもりじゃないだろうな? では、これは私がもらっていくぞ」
王様は肩にかけた革のカバンから黒くて大きな宝石を取りだして、アクムに見せた。
アクムの顔から血の気が引いていくのがわかった。
「そ、それは……俺様の夢じゃないか!」
「そうさ。お前の『人の夢を奪う』という夢さ。お前が彼女の夢を奪うのに夢中になっている隙にちょうだいした」
王様は、漆黒の夢の塊をアクムがいる反対方向へと放り投げた。馬に乗った王様の家来が宝石をキャッチすると、馬を走らせてその場から去っていく。
「待ちやがれ! 俺様の夢を返せ!」
アクムはこちらを無視して、ラクダを走らせて去っていった。
「大丈夫だったかい? ドリームキャッチャーがアクムの気配をとらえたから、無意識を経由して君の夢まで助けにきたんだ」
王様が口元を隠していた白い布を外すと、私は驚いた。
「お、大成先生ぇぇぇぇぇ⁉」
「驚きすぎだよ。でも、間に合ってよかった」
「だって、病院で会ったときと全然、雰囲気が違うじゃないですか!」
「ははは。ここは君の夢の中だから、ちょっと美化されているのかもね。昼間は親父の病院で医師をやりながら、夜は夢の警備隊をしているのさ」
昼間に見ただらしない先生の姿が嘘のようにかっこよく見える。ちょうど、砂漠に大きくて真っ赤な夕陽が沈みかけているシチュエーションも相まってのことだろう。
「先生、アクムは一体どうなるんですか?」
私の心配に大成先生がニコッと笑う。
「私の家来から夢を取り返すまで、脇見もせずに走っていることだろう。これで彼にもわかるんじゃないかな。夢を追いかける人の気持ちってやつが」