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知と汗と涙の裏側のハッピー

「メガネがつまらなくなっている」
経営企画室では月に一度、
メンバーが集まり「これまで」と「これから」を話し合っている。
その際の当室の「これまで」の総括が上記である。

メガネ業界では、Z社やJ社による低価格戦略が2000年初頭に起こり、
大手も追随する形で、1万円以下の3プライス店が乱立していた。が価格のみを訴求した商品はそれなりであったため、徐々に店舗も淘汰されていった。
その後、プロダクトへとフィールドを変え、「軽さ」「丈夫さ」といった分かりやすい要素でのプロダクト勝負が2010年から始まっていた。

新たな価値を生んだコラボ商品

そんな「軽さ」「丈夫さ」要素も出尽くした感が出始めたころ「コラボ商品」が台頭してきた。特にJ社の「ワンピースコラボ」は、驚くほど話題となり、驚くほどの数字を叩き出していた。

驚くべき視点は、「今まであった商品が”名前を借りてきた”だけで生き返る」ということだった。この衝撃に、これまた多くの企業が追随した。
アニメコラボ、ゲームコラボ、アイドルコラボetc、いろんなコラボ商品が生まれていた。

これはメガネを購入する顧客の欲求を大きく変えた。

「見えない不安」を取り除き、安心にさせる買い物であったメガネ。が、コラボ商品の出現により、所属欲求を満たす買い物へと変化していった。

ただし、この「名前を借りてくる」という行為は、同時に業界の思考停止にもなってしまった。要は有名な方を見つける事に終始し、新たな価値を生み出すことを放棄した結果となってしまった。

冒頭の言葉は、こうした背景を総括した言葉。

本来のコラボ商品とは?

本来のコラボレーションとは、価値と価値の共創を指す。ただし業界のコラボ商品は売名行為に近かった。ただ誤解していただきたく無いのは、この行為自体を批判するつもりは全くない。弊社も本件により大きな成果を上げていたし、お客様にも喜んでいただけていたので、全然有りだと思っている。

がだ、飽きていた。

「有るモノ」と「在るモノ」を組み合わせるだけのプロダクトに飽きていたし、自分たちで無くても出来ることに時間を費やす意義が見いだせなかった。

nendoとの出会い

そんなモヤモヤしながら、何気なく見ていた「プロフェッショナル」。
何やら、日本のデザイナーが最年少で世界のなんちゃら賞をとったとかどうとか(←全然ピンときていない)。どのデザイナーが「箸」と「お酒」のデザインをする過程を放送していた。
長くなりそうなので、途中は割愛しますが、「箸」のデザインがコレ↓。

一つの棒を、らせん状に切り込み、一つの棒が、くるっと外すと「箸」。
イニシエより使用されている「箸」、モノ自体に驚きなど無かった「箸」。
それがこんなに「!」となるなんて。
これだ!、この人だ!、コラボレーションしたいのはこの人だ!となり、放送終了を待たず、何かに焦るように、連絡先を調べ、メールを書き殴った。

考えることは一緒

めでたくお会いする機会をいただき、担当のI氏と対面。その際気になる一言。「メガネ業界で何かあったんですか?最近、急に引き合いがあり、御社で3社目です」とのこと。企業名こそ明かされないが、(まあアレを見たらみんなそう考えるよなぁ)と納得しつつ、状況を質問。聞くと、どの企業も具体的なプロジェクトがある分けではなく、「何か一緒にしましょう」的な感じとのこと。

猶予は無かった。

当時の僕に、この案件を決裁する権限は無かったが、「この人たちと一緒にメガネに向き合いたい」と強く思っていたため、会社が認めなくても、自分で資金調達してでも”まだ見ぬメガネを創る”と覚悟を決めていた。従い、具体的な業界の問題、当社の課題を伝え、すぐにプロジェクトチームを組成するとだけ伝え、先方の返答を待った。

社内の意思決定

社内で越えなければならない壁は3層だった。本部長、専務、社長。僕は先方と打ち合わせた翌日、3名を同時に招集し、nendoへの期待値、業界の問題、当社の課題を5分ほどで説明した。一通り説明し終わった僕は、上長の見解が「No」もしくは「検討」であった場合、先方との約束を破ることになるため、全面口論するための準備を頭に並べていた。本部長、専務は少し社長に気を使っているようで、中々口を開かなかった。そんな中、社長が空気を察知してか口を開いた。

「商品部からはY部長、営業企画部からはM部長。それぞれが意思決定出来るチームが好ましいですよね?あと足りないメンバーは走りながら、濱崎さんが指揮を取ってください」

目頭が熱くなった。
スピード感が伝わったこと、トップダウンでチームを組成してくれたこと。
何より信頼して任せてくれたこと。
「十分です。すぐ先方とメンバーに伝え動きます」
ものの10分程度で、社内の意思決定は下された。

”名前”ではなく”センス”を借りてくる

晴れて、本当の意味でのコラボ商品開発が開始された。世界一の技術を誇る鯖江の技術と、世界一のデザイナーのコラボは妄想するだけでワクワクが止まらなかった。

画像は鯖江市にある自社工場。

新たなブランドを創ることも検討されたが、「眼鏡市場」という屋号の中に商品ブランドが乱立することを好んでいなかったので、既存商品ブランドの「ゼログラ」のバージョンアップを行うことで合意した。

「ゼログラ」は「ゼログラヴィティ(無重量)」をテーマに作られたフレームで、その名のとおり「軽かった」。が、新型が年に1度でるが、型の変更のみで目新しい進化が出来ない状態であった。そこで我々はゼログラの弱点を調べるべく、ゼログラユーザーへのヒアリングを実施した。その間nendoチームは福井県鯖江市(世界のメガネ産地)へ赴き、使える技能等を探ってもらった。

「そこ?」

ゼログラユーザーの声は「掛けてないくらい軽い!」や「鼻が赤くならなくて良い」など好意的なものばかりだった。ただ一点、苦言があったが、それは掛けることと関係無かった。

「ケースが大きい」

我々がスルーしかけいたその苦言を、nendoチームは食らい付いた。

軽さの追求により、ネジを取り除いているので、従来の「ゼログラ」は折りたためない。従い、折りたたまない状態でしまうので、ケースが大きくなる。我々としては、「仕方ないこと」として捉えていたこの問題に取り組むこととなった。

ネジ無しで折りたたむ

この問題に向かうミーティングの出だしで、商品部Y部長が
「軽さが無くなっては”ゼログラ”では無くなる。奇抜なデザインで逃げることだけはしたくない」と言った。彼はデザイナーとの取り組みを少しネガに感じていた。また彼は「ゼログラ」生みの親でもあったので、我が子をカスタマイズされるような感覚があったのかもしれない。そんな彼の想いの乗った言葉は少しその場を静寂にさせた。

少し時間を置いて、nendo側が答えた。「”軽さ”は”かけ心地”を上げるためのもの。”ゼログラ”が守るべき拘りポイントは”究極のかけ心地”でないのか?ただ軽さに拘っていては、グラムだけの戦いとなり、ユーザー視点を無視していないか?」本質を突いていたし、正論だ。だがY部長は腕組をして下を向いている。左脳では理解しているが、右脳が聞き入れないんだろうなぁと僕は至って冷静だったので、「拘りポイントは問題ありません。その方向でデザインをお願いします」と伝え、デザイン案を待つこととした。

デザインのちから

約1か月後、デザイン案を共有する場。
そのデザイン案一つ一つに我々一同はワクワクが止まらなかった。今でも鮮明に覚えているのは、打合せ後、我々は近くのカフェに入り、今後を話合っていたが、全員ニヤニヤしていたと思う。プロトを作るY部長も職人に伝えることを楽しみにしている様子だったので、”デザインのちから”ってすごいなぁと思いつつ、ただただ希望を手にしてその日は終わった。

誤算の連続

画像は、初号機。バネ的要素で、デフォルトで折りたたんでいる状態。
メガネを掛けるときは、手動で開くこととなる。このプロトにはnendo側も想定以上の出来で喜んでくれていた。我々もこんなメガネを見たことがなかったので、多いに盛り上がった。

しかし数日後、「失敗」という文字のメールが各自に飛んだ。
眼鏡市場では、すべての商品に2万回の開閉テストを実施している。そのテストの最中、約5千回で折れたとのことだった。これでは商品化は無理だ。Y部長は「だから奇抜なデザインは・・・」と言いつつも、強度を上げる方法を模索してくれていた。結果、何とかテストをクリアしそうという見通しがたったので、改めて2号機を手にしてnendoを訪ねた。

改善後のプロトを見せるやいなや、担当デザイナーの表情が曇った。
「このまま商品化して、誰が欲しがりますか?」またもや空気が凍った。
正直言われるまで盲目になっていたが、”折れない”ことを目的としたプロトはデザインセンスも外してしまっていた。が、Y部長の苦労を僕は知っていたので、少し食らい付いた。
「折れる商品の方が欲しくないでしょうよ」建設的では無いと分かっていても、”折れない”ために必死で仕上げてくれたY部長の気持ちを代弁していた。

ここで先方代表の佐藤氏が口を開いた
「おっしゃるとおりですね。デザインを仕切り直します」大人だなと思ったし、感情でモノを言ってしまった自分が、このままプロマネでいていいのか?と悩みを生んでしまったが、その日はこれで解散となり、後日リデザイン案をいただくこととなった。

画像は3号機。
リデザインをいただき、プロトを作成した3号機は、無事テストもクリアし、メンバーともども安堵することができた。年末の商戦には間に合わせたいからだ。メガネはプロトが完成してから店頭に並ぶまでおよそ6か月かかる。この時5月だったので、十分12月の年末商戦に間に合うことを喜んだ。

が、また誤算が発生した。画像の商品を掛けると、髪が絡まるというのだ。メガネに髪が絡まるという経験値が無かった我々の大きな誤算だった。今までに無いメガネだから、今までに無い問題も起こるよな。と、こういう時は冷静な自分がいた。

再び振り出しの問題に戻る

nendo社での仕切り直し。期限も迫り始めていた。リデザイン、プロト作成、そしてテスト合格に残された時間は1か月だった。販売延期も頭をよぎったが、任せてくれた社長への裏切りのような気がして、決して口にしなかったし、行ける道を必死に探した。
「nendoさんはリデザインをよろしくお願いします。Y部長はその間に製造工場を広げれるかを確認ください。複数の工場で製造することで時間を1週間でも縮められれば、年末に間に合わせることができる。その間既存商品を作れないので、予め多めに今から製造依頼をかけましょう」プロマネの出来ることは限られているが、出来ることは確実に行うようにした。

会心の一撃

nendoさんは、驚くべきスピードでリデザインを仕上げてくれた。それは、強度を加味し、デザインを加味し、最後の課題をクリアする素晴らしいデザインだった。


「おそらくこれでテストもクリアできる筈です。バトンは渡しましたよ」

僕は目頭を熱くしてしまった。まだ完成に到達出来ていない状況で泣くべきではないと思うほどに、涙は止まらなかった。当時は何故そんなに泣くのか自分でもわからなかったが、相当不安だったんだろうと振り返ると思う。

こうして出来上がった商品がこちら。

この後、販売用の什器であったり、販促内容だったりですんなりとはいきませんでしたが、無事12月に発売することができ、驚異的なセールスを残すことができました。

こんな長い文章を最後まで読んでくれる方がいるのか不明ですが、
もしここまで読んでいただいた方がいたら、本当にありがとうございます。

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