【私たちのまちの自慢人@秋田】『結婚を機に移住した秋田で出会えたロールモデル』まちづくりファシリテーター 平元美沙緒さん
街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』。
オンラインコミュニティメンバー池田咲希の初企画でお呼びしたのは、話し合いの場を「中立的な立場」で進行するファシリテーターとして、秋田のまちづくりに取り組まれている“まちづくりファシリテーター”の平元美沙緒さん。
実家の神社に集まる地域の人たちに囲まれながら育った幼少期。内定を断り、結婚を機に秋田に移住するきっかけとロールモデルを繋いでくれた夫の存在。
突然新しく建て替えられてしまった神社の建物の衝撃から、「何の前触れもなく失う寂しさを減らしたい」という一心で取り組むまちづくり。
考えを受け止めながらも、柔軟に場をまとめる柔らかい雰囲気で包んで下さる美沙緒さん。“まち”、“建築”というキーワードから、マインドまでたっぷり伺いました。
(取材:3月31日。秋田では緊急事態宣言が発令されていなかったので、写真撮影以外はマスクをし、細心の注意を払った上で、取材させて頂きました。)
平元美沙緒さん:まちづくりファシリテーター。1983年(昭和58年)徳島県徳島市生まれ。2002年、高知女子大学で建築を学び、その後、奈良女子大学大学院で文化財(建造物)を学ぶ。建造物の保全について研究するなかで、「地域づくり・まちづくり」の重要さに気づく。2008年、結婚を機に秋田県秋田市に移住。秋田市教育委員会文化振興室に勤務する傍ら、秋田のまちづくりについて学ぶ。2012年、大館市教育委員会教育研究所に転職。キャリア教育コーディネーターとして勤務。娘の出産を機に退職。2015年、まちづくりファシリテーターとして活動をスタート。
『地域の人たちの悩みや、ターニングポイントが集まってくる実家』
WI吉田:美沙緒さんのご実家は、神社と伺いました。お正月にお祭りと街の拠点でもある気がしていて、人と人とのつながりを感じやすい環境だったのでしょうか?
美沙緒さん:まさにそう!父が神主だったこともあり、地域の人たちの悩みやターニングポイントが集まってきて、その1人1人に親身な父の姿を見ていました。
強く意識していた訳ではなかったのですが、「色々な人たちがいる社会」が当たり前だと体感的に分かっていました。地域のお仕事をしている今、育ってきた環境が自分の力になってくれています。
WI吉田:2015年に始められた“まちづくりファシリテーター”というお仕事は、幼少期の環境から大きな影響を受けているんですね。
美沙緒さん:今思うと、かなり影響を受けていますね。神社は、家族だけで運営しているのではなく、地域の総代会の人たちが掃除(毎日)や、行事運営にご協力して下さっています。お祭りがあると、家の中には総代会の人 、庭には不良が溜まっていて、家族と地域の人たちとの境目が曖昧でした。子どもの頃からその環境が心地良く、家の中で小さく縮こまらずに、いつも外に目が向いていました。
『何の前触れもなく失う寂しさを減らしたい』
WI藤田:高校卒業後は、キーワードの“まち”を生かして選択をされていたのでしょうか?
美沙緒さん:建築好きな母親から(美術学科出身)影響を受け、建築を学べる大学に進学しました。人生で1番印象に残っている風景をスケッチする課題が出た時には、道路拡幅によって突然壊されてしまう前の神社を描きました。
みんな今もある景色をスケッチしていたのですが、建築家の先生が私の絵を見て「こういう気持ちを大事にしてほしい」と褒めて下さったんです。その時初めて、今まで当たり前にあったのに突然変わってしまった寂しさが、心に強く残っていたのだと気付きました。
そんな大学での学びを経て「もっと本格的に学びたい」と思い、伝統建築の多い奈良の大学院に進学し、「伝統的建造物群(=まちなみ)の保存 」を専攻しました。 私のように「大事だな」と感じているものが、何の前触れもなく失われる寂しさを減らしたい。まちなみ保存やまちづくりを考える時に、子どもや学生も含めたみんなが参加して話し合えたら、そういう衝撃は減るのかなと考え、研究していました。
『原点は、「集落の未来を考えるワークショップ」』
WI池田:今のお仕事“まちづくりファシリテーター”は、美沙緒さんの経験が繋がった結果のような気がしました。
美沙緒さん:そうですね。大学生の時に、住民の方に向けて企画・開催した「集落の未来を考えるワークショップ」が、私の原点になっています。
細かいアイデアが出るというより、大事にしたい共通の想いがいくつか出てきて、「秘境地でも人を受け入れたい」と気持ちを確かめ合えたワークショップでした。人を受け入れるタイプのまちづくりをするのか、それともそこにいる人で作っていくのか。ベースが決まると、アイデアが出ても軸は変わらず、色々な人が安心してプロジェクトに参加できると思いました。
ワークショップの開催地は日本三大秘境と言われる祖谷の山奥で、模造紙など必要な道具を全て大阪のバス停に忘れ、近くで買い直せるお店もない。日を分けて2回開催するはずが、参加者から「忙しいから1回にして」と言われ、急遽その場でプログラムの組み直し。参加者のおじいちゃんたちが一升瓶を持ってきて呑み始めたりと、予定通りに行きませんでした。
私にはファシリテーターとしての才能がないのかも…と、当時はかなり落ち込みましたね。でもそのワークショップがきっかけで、住民同士の自主的な話し合いの場が増えたと聞き、何かを始める時には、人と人とが話すという場を作ること。そのためのファシリテーションの重要性を知るきっかけになりました。
ワークショップは生もので、計画通りに行くことが全てではないという気付きは、ファシリテーターとしての基盤になっています。当時ワークショップのいろはを教えてくれた上に、さりげなくハプニングに対応してくれた建築家の喜多さんや、大学の仲間にも感謝しています。
『場所は違えども、ふるさと愛が強い彼との結婚を機に移住した秋田』
WI大山:根気強く向き合われてきたんですね。大学院卒業後の進路を拝見したところ、結婚を機に秋田へ移住とありました。「これ」という移住と結婚の決め手があったのでしょうか?
美沙緒さん:彼は毎年、日本1周をするアウトローな人。全国に友達がいて、私も友達の繋がりで出会いました。でも最初は髭がボーボーで、お風呂も1週間入ってなくて(笑)。次に会った時にはスッキリしていて、ギャップ萌えみたいなところはありましたね(笑)。
彼は大学進学を機に横浜に引っ越したのですが、「絶対に秋田で就職する」と言っていたぐらい、生まれ育った秋田がとにかく好きで。卒業後すぐ戻って就職した彼が惚れこんでいる秋田は、どんな街なのだろうと気になったのと同時に「行ってみたい、住んでみたい」という気持ちになりました。
就活は、人とのご縁。社長と人事の方と気が合った私は、東京の建設会社に就職を決めました。彼は私を応援してくれつつも、電話越しで「俺が好きな秋田に来てほしい」とずっと秋田の魅力を話してくれて、良い意味での諦めの悪さですかね(笑)。その熱意に押される形で、何度か秋田を訪れて夫の家族や知り合いと交流を持っていたこともあり、内定をお断りして移住しました。
新しい未来にワクワクしながら秋田へ移住してから、教育委員会に就職しました。両親に結婚と移住を相談する時には反対されてしまうかも…とビクビクしていたのですが、「あなたが決めたことなら大丈夫、応援する」と言葉をくれて、大きな勇気になりました。しばらくして親戚から「ご両親寂しがっていたよ」と聞き、あの時あのタイミングで信じてくれてありがたかったと改めて思いました。
私はどこにいても自分の故郷を愛し、どこにいても今住んでいる場所を愛しています。彼も徳島のことを好きになってくれて、場所は違えども、深いところでの気持ちや価値観が一緒だったので、安心して秋田に移住しました。
『地域に根差して働くことが、そのまま暮らしのためになっている感覚』
WI大山:地域に根差して働くこと自体が、美沙緒さんが育ってきた環境に立ち返ることになるのだと思いました。それぞれ街の特徴が異なる中で、ご自身の想いを実現するために工夫されていることはありますか?
美沙緒さん:移住してから平日の日中は教育委員会に勤務し、その他の時間でまちづくりワークショップの経験を積みました。ふるさとキャリア教育コーディネーターとして、学校の先生とお仕事する機会を頂き、小中学校の子どもたちの様子に、一緒に働かないと分からない学校の実情を知りました。今も教育関係のお仕事をする際に、役立っています。
自分自身がこの地域に暮らす1人の住民なので、地域に根差して働くことがそのまま暮らしのためになっている感覚があります。繋がりが少ない中での移住だったこともあり、 地域のことを知れる・繋がれる仕事そのものに価値を感じています。
自分の想いを実現させるためには、1人でやらないことが重要かなと。相談しながら主催者の方と作り上げる方が、実現に近付きます。ワークショップの依頼を頂いたら、じっくり打ち合わせしています。何か企画を思いついた時も、最初の1歩を仲間に相談することに設定していることが多いですね。
まちづくりファシリテーターとして多世代と関わる機会が多いので、 いつでも「初めて参加する方」に合わせて、参加者に委ねることが多いです。リラックスできる雰囲気を作れるように、繋がることを無理強いせず、託しています。
『理想を決めず、究極のPassive(受け身)でいる』
WI吉田:地域に根差しているものって、その地域だからできることが多いと思っています。私は将来「誰もが自分らしく生きられるスタートとゴールの場を作りたい」という想いがあり、介護コミュニティでインターンしています。
神戸にある多世代型介護付きシェアハウスでは、地域の子どもが遊びに行ける環境も整っていて、多世代交流という姿がその地域に根差していました。
でも全く同じ施設を東京に持ってきても、同じ結果は期待できないと言われて、“その地域ならでは”が関係しているのだと感じました。まちづくりファシリテーターとしてお仕事されている美沙緒さんの理想的社会があれば、伺いたいです。
美沙緒さん:難しい質問ですね。2つの側面が、表裏一体になっているんです。1つは、理想がある面。 「このイベント凄い」「このアイディア凄い」という発見をしても、その影の部分で苦しむ方もいらっしゃる。私はこの地域の方にとって真ん中になる想いを対話の中から見つけたいんです。 対話を頻繁に行うことで外から来た人も入りやすいし、そんな地域になればいいなと。
その一方で「あくまでも支援者側である」私が理想を持ち過ぎてしまうと、皆がファシリテーターの意見に行ってしまうので、理想を決めずに究極のPassive(受け身)でいようと意識しています。能動的、積極的な人の方がいいって思われがちだけれど、能動的で積極的な人ばかりだと、世の中大変じゃないですか(笑)。
尊敬しているファシリテーターの河原アズさんが、ライフハッカーで「究極のパッシブ(受け身)でも世界は変えられる」と仰っていて、私も人の想いを聞いて場をまとめていく、作り上げていくことを極めていきたいと思っています。理想のために活動しているけど、理想はないという。表裏一体ですよね。
WI吉田:ありがとうございます。よく「能動態になりなさい」と耳にするのですが、受動的でいるのも難しいですよね。相手の意見を否定せず、全て受け入れるのは、気持ちが大人じゃないとできないなって思います。
『ロールモデルの稲村さんの背中を見て歩いてきた』
WI池田:美沙緒さんの選択や、生き方に影響を与えている方はいらっしゃいますか?
美沙緒さん: 私のロールモデルは、まちづくりファシリテーターの師匠、稲村理沙さん。秋田に移住した当時、市民活動アドバイザーとして働かれていて、 気軽に会いに行ける窓口があって。まちづくりの勉強をしたいと相談したら、まず市役所の臨時職員になってみるのが1つの手だと教えてくれたんです。
他にも色々な選択肢を与えて下さった中で、特に気になった臨時職員の仕事を探したら、偶然市の教育委員会の文化財担当課に空きがありそうだという情報を見つけました。基本的には臨時職員は1つの課に1人。履歴書を送るだけだったのですが、 運命を感じていたので、「私は文化財の勉強をしてきたので貢献できます!」と長い手紙を書いて一緒に送ったら、採用して頂けました。勤務時間外は、稲村さんのまちづくりの現場に連れて行ってもらい、秋田のまちのことを学んでいました。
出産後しばらく仕事を休み、家庭を優先していた時も、私に「また、まちづくりの仕事しない?」と声をかけて下さって。そのお声がけがなかったら、今こうして活動していなかったと思います。 稲村さんという存在に、今も背中を押してもらっている気がします。
WI大山:この活動を始めて4年目を迎えるのですが、ロールモデルを持つ方と、持たない方がいらっしゃいました。自分で進む道を切り拓くのは、ハードルが高いという声もよく耳にしていて…。どちらのタイプが良い・悪いではなく、性格や環境、タイミングによるかなと。お話を伺いながら、私たちの方向性は間違っていないと思えました。ありがとうございます!
美沙緒さん:私にとって少し前を歩く先輩が壁を乗り越えている姿や、ただ“目標の人がいる”という事実が、「見えない力」になってくれるんです。
稲村さんから見えない力を頂いて、自分でも自分の背中を押してきました。誰もがロールモデルから背中を押される訳でもないけれど、色々な捉え方がありますね。
『揺れ動きながら、“ヤジロベエ“が倒れないように意識する』
WI藤田:まちづくりファシリテーターとして着実に積み重ねられている一方で、結婚や子育てとご家族に向き合われている時間も多いと思います。ワークライフバランスを保つ秘訣を教えて頂きたいです。
美沙緒さん:ワークライフバランスって、一般的に「ヤジロベエがまっすぐ立っている状態」をバランスが取れているとする解釈が多いと思います。
私は「ヤジロベエが倒れない状態」を意識していて、仕事と子育てをそれぞれ集中したい時に重きを置くようにしています。決して戦略的ではないけれど、揺れ動きながら倒れないようにするのが自分のやり方。たとえ振り幅があっても「倒れなければいい」と思うと、気持ちが楽になるかなと思います。
WI藤田:「ヤジロベエが倒れない状態」という表現がとても心に刺さりました。女性は、就職してから、結婚や出産・子育てを経験するかもしれないし、経験しないかもしれない。先の読めない状態が続くけれど、「ヤジロベエが倒れない状態」を意識していれば、柔軟に自分らしく生きられる気がしました。本日は貴重なお話ありがとうございました!
(取材:池田咲希、大山友理、藤田花奈子、吉田響、文:池田咲希、川上涼帆、中林彩乃、構成:吉田響、編集:大山友理)