明日の種をまく 023_20230926
月給というシステムを考える
最近、仕事がとても楽しい。
やりたいことをしているからだと思う。
これまでの仕事ぶりと明らかに違う。
一番の違いは残業がないことだ。
定時に出勤して、定時に退勤する。
今までは勤務開始時間の30分以上前に職場に着き、もろもろ準備をしてから(というか、人に邪魔されない時間帯に自分の仕事を終わらせておいてから)スタートしていた。
帰りは帰りで定時に終わることはほとんどなく、ただの通過点でしかなく、むしろそこから本当の自分の仕事時間ぐらいに考えていた。
要するに間の8時間は人のため。
なんて仕事ぶりだったのだろうか。
人はそれをブラックと呼ぶ?
今の仕事は時給1000円のパートタイムである。
事前に準備することもほとんどなく、勤務開始時間よりギリギリちょっと前に席に着き、やるべきことを淡々とこなす。
生き物(生徒)が相手なので、その日のことはその日に決まる。
相手のコンディション次第なところもあるので、こちらで予定を立てない方がむしろいい。
臨機応変な対応がいつも求められる。
退勤時間はきっちり。終わりました!帰りまーす。
責任がないわけではないが、責任というストレスは皆無に近い。
要するに、やはり私は支援員であって、先生を補助する立場なのだ。
この日給システム、非常に分かりやすい。
1時間集中して1000円もらえる。
その日にあった出来事の報告書の作成も勤務時間内に書く。
先日、3連休で体育大会の同行をした時、外出扱いになってデスクワークができなかったため、報告書が書けなかった。
結局、覚えているうちにとちょっとだけ自分の時間を使って、報告メモを作成した(もしかしたら正式にはこれも勤務時間に入るから、時給労働請求の対象となるかもしれない)。
私が言いたいのは、その時に「あっ月給ってそういうこと?」と思ったということ。
昭和生まれの私は、バリバリ仕事しぃの人間だったので、働き方改革に自分の考えが合わず、結局今の時代には私のようなものは組織に不要と自分で判断し、辞めてしまったのだが、そういう時代錯誤も甚だしい私が考えたのは「仕事に関係する準備時間や振り返り時間、勉強時間などはみな月給の中に含まれているのではないか?」と思ってしまったという話。
これはあくまでも仕事バリバリの私のとんでもない曲解であり、労働基準なんちゃら~の視点からすると相当間違った解釈なのかもしれないが。
月給って何時間働くってないから(いや、一日何時間とか週に何時間、月に何時間までというのはあるのは分かっている)、単純な労働時間だけでなく、その労働に必要な付随労働時間も含めてお給料たくさんもらっていたのかな?って。
これは逆に労働側の給料面から考えると月給に何でも入ってしまうのだから、実質労働時間数で割り返すと時間給が高い人、安い人とデコボコになってしまう。たくさん働いた人の時間給が安くなるってことになって、割に合わないシステムだなと。
一方で会社の側からすると実質労働分で時給で払うより、月給を渡して後はよろしく~の方が、働きものがたくさんいる組織はラッキーということになるのか?
時給仕事で時間外労働がなくなって良かったなぁと思う反面、最近は仕事関係の読書をしたり、いろいろやりたいことが増えてきて、それに関連したことに時間を使うようになってきた。そうなってくると月給の方がなんだか得した気になるなぁ~と思ったりした。
今日は34歳の元同僚とお茶をした。
彼女は働く気満々でキラキラしていた。
あと30年は余裕で働きますよ、と彼女が言った。
私ももちろん30年は働くつもりだ。
34歳から64歳と49歳から79歳の30年。
同じ30年でも中身が相当違いそうだ。
羨ましいなぁ~
時給1000円一日4~6時間のパートタイムの仕事を始めて、月給の良さを知ったのでありました。
タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。
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