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夢をつかむ! 068_20241118

家での過ごし方

私は長い間、家は寝泊まりするだけの場所だった。
夜の食事ですらままならない。
朝起きてさっさと支度して出かけたら最後、時計の針がまっすぐ上を向く直前に家に帰ってきて、顔を洗ってさっさと寝る。そんな生活がずっと続いていた。
そのことに疑問すら感じていなかった。
むしろそれが当たり前、頑張る自分をすごいぞとすら思っていた。
私は既婚者だ。パートナーの夫は私のそんな生活を黙って見過ごしてくれていた。

50歳を前にして、今後の生き方を考え直してみた。
周りの人たちは、次の人生を生きるのに60歳、定年を迎えてからでもいいじゃないかと言ったけれど、10年もモヤモヤして生きるより、「善は急げ」「思い立ったが吉日」とさっさと仕事を辞めて、新しい道を歩んでいる最中である。

そうして完全に自由を得た私は、自分の居場所が家中心となった。

完全に無職の半年は、夕方までが自分の時間と決めてあれこれこなし、夕方からは夫と一緒に過ごすようになった。夫は元々家でゆっくりするタイプではないので、私が家にいるようになっても帰りが遅いことは多々あった。そういう時はラッキーと思い、自分のことに時間を費やした。

パートタイムの仕事をするようになり、通信大学生になり、個人事業も始めた。一気に時間が足りなくなった。
私の居場所は相変わらず家なので、主な作業を家でせざるを得なくなった。
私は常に家の中でバタバタと忙しくしている。
夫が家にいようがいまいがお構いなしだ。

私は自分の作業に集中したい。夫に構っている余裕はない。
しかし、家に夫がいる限りは気になる。申し訳ないという気持ちが大きくなる。

私は世の中で在宅勤務が普通にできるようになってから、それを経験する機会がなかった。
在宅勤務が当たり前の方は、私の今のこの気持ちは理解できないかもしれない。

私には「家はくつろぐもので、家族以外のことに使う時間ではない」という勝手な固定概念があり、それをいまだに払拭できないので、自らの古い考えが辛い状況を生んでいるのだ。

ここまで読んでお気づきの方もおられるかもしれないが、結局、私は外にいようが家にいようが、夫を放っているということだ。そう、家族のための時間なんてそもそもない。私の生き方の根本的な問題だ。

先週末は2日間、通信大学のオンラインスクーリングで家に缶詰だった。夫は容赦なく家から外に出された。私は夫が家にいたいという自由を奪っている。人の居場所、時間の自由を奪うのは私の本意ではない。
これまでは私が家にいなかったから、夫も自由に家を使えたのだろうが、最近は家がほとんど私のものになりつつある。

家で仕事をするということの弊害か。

家の中で夫の居場所、夫と一緒に過ごす時間の折り合いをつけることが、私の大きな課題である。

夫からは今のところ苦情は出ていない。
でもなんだか可哀想な気がして。
毎日「もう帰ってもいいかな?」と確認の電話がかかってきて、「もちろん!どうぞどうぞ」という割には、夫が帰ってきてからもほとんど無視。余裕のない姿ばかりを見せている。
いつか2人で家でのんびりと過ごせる日が来るといいなぁと思っている。

まだ若いからいいか、これで。
全く反省のない、うぉんのすけであった。

家での過ごし方は別として、夫に対して改めたいと少し反省をしている。
家が作業場になると私自身が息抜きできる場所がなくなったというのも事実だ。
作業場を外に設けるか、息抜きを外に見つけるか・・・
なんとかしないとな。
いずれにしても家での作業は時間を決めないとダメそうだ。

家での過ごし方について検討中

<1年前の”種まき日記”>
そうか、「頑張っている時こそ」家族がおざなりになるのか。
今日、夫に申し訳ないと反省したのは、頑張っている自分から少し周りを見る余裕も出てきたということか。
それにしても結局、反省、改善の繰り返しなんだな。人生は。

<2年前の”つれづれ日記”> 
インスタント・ノンフィクション。
バスケ苦手。体育好きだけどそこまで運動神経はよくない。
でも成績はいつも良かった。不思議。

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