夢をつかむ! 081_20241202
自分の居場所(2024総括02)
私が今の夫と結婚すると言ったとき、大好きだった祖父が反対をした。
それは夫という人間ではなく、夫の住む場所があまりにも遠く離れた場所だったからだ。
祖父は、疎開中に知り合った祖母の母から、祖母を頼むと言われ、婿に来た。
それはそれは苦労の連続だったという。
一から人の信用を得るのは大変だったと言った。
それでも就職をし、町内会長を長年務め、地元人のようにして50年以上過ごしてきた祖父だったが、「ふるさと」の話をすることを止めなかった。
思えば、私が小さい時は、毎年のように祖父は実家に帰って、兄弟たちに会っていたし、物のやりとりも多く、親戚づきあいがずっと続いていた。ボケが進んで施設に入るまでは、何度も一緒に帰省した。
晩年、「おかあちゃん、おかあちゃん」ということもあった。
泣いては「あー実家に帰りたい」と訴えていたこともある。
そんな祖父の姿を見る前に、祖父から「ふるさとを離れて年をとることの辛さ」を教えられ、「お前はまだ若いからわからんのだ」と随分反対されたことを時々思い出す。かわいい孫には自分と同じ悲しみを味わわせたくないという祖父の優しさだったのだろう。
先日、嫁いだ後に知り合った先輩から「もう完全にこっちの人になったでしょ?」と言われ、私は間髪入れずに「いえ、私は全く慣れません」と言ってしまった。「あれ?こっちに来て何年になるの?」と聞かれ、「もう15年以上が経ちましたが、私はふるさとを忘れることができません。おそらくこれからさらに長い時間をこの地で暮らそうとも私の居場所はふるさとのような気がします」と言うと、「うぉんのすけさんは好奇心が旺盛だし、てっきりこっちの暮らしに慣れているかと思ったんだけど」と少し残念そうな顔をしていた。
確かに言葉はもうすっかりこっちの人になってしまった。かなり訛っていて、ふるさとに帰れば、他所の人という印象をもたれてしまうに違いない。
食事だって、こちらの水に慣れてしまえば、美味しくて、どこが慣れていないと思うのかが、自分にも分からない。
「自分の居場所」を考えるとき、確かに、私はすでにこっちの人間であり、ふるさとにはもう居場所なんてないのかもしれない。
両親がいるからこそ、まだつながっているのかもしれないとも思う。
両親がいなくなって、帰る家までなくなってしまえば、もう私の居場所なんてふるさとにはないのに・・・
それにこっちでよくしてくださる人たちも多い。増えてきた。
とくに事業をするようになってからは応援してくださる人も少ないがある。
大変ありがたいことであるのに、その人たちに感謝もせず、私の居場所はふるさとだなんて、失礼にもほどがあるな。
年末になって、季節の贈り物を届けたことによって、なつかしい人から電話が来たりした。あー会いたいな。
実家の母の声を聞いても、すぐに帰りたいと思ってしまう。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
とかつて教えてくれた犬ともだちがいた。
ほのぼの日記を思い出せ。帰れば帰ったでいろいろある。
私はここで生きていくしかないのだ。
それにしても帰省したいな~~~
あー我がふるさとよ。
2024年は一度も帰省できなかったことだけが悔やまれる。
<1年前の”種まき日記”>
タイマーの活用。最近、また始めた。
忙しいときには、タイマーが役に立つ。
だらだらしないように、時間を区切って効率よく!!