夢をつかむ! 062_20241112
日常は突然に壊される
その日は、朝からご機嫌で、予定が全くなかった私は、noteのコメントで「今日は予定がないから掃除でもして気分を良くするか」みたいなことを書いていた。
数日前から気温が15度を切り、ちょっと前まで冷房をつけていたエアコンを暖房に切り替えた。
そうかもう秋だ。衣替えをしなければ、と洋服の整理をしていた。
突然夫から電話がかかってきた。
「ばあちゃんが乗った車が事故にあったみたいで、消防車や救急車が多数出動しているみたいだ」
デイサービスの施設から一報を受けた夫が慌てた様子で電話をしてきた。
私はすぐにでかける支度をしながら、夫からの連絡を待った。
「ばあちゃんは意識があるらしいけど、大規模な事故だったみたい。」
こりゃえらいこっちゃ。
日常が日常でなくなる瞬間だ。
搬送された病院に車を走らせながら、いろんなことを考える。
もしも二度とばあちゃんと話すことができなかったら、最後に話したのはいつだっただろうか。何と言葉を交わしただろうか。私たちは笑顔だったか。
ばあちゃんに対して悔いていることはないか。十分に優しくしてやったか。
もしこのままになったら、これから何をしなければならないだろうか。明日から仕事休まなきゃな。
病院につくと、すでに義母と夫が到着していたが、取り乱している様子はなかった。
処置室の向こうで看護師さんがばあちゃんに声をかけている。ばあちゃんの声が聞こえて3人で笑った。「おーい」って返事してたよな、今。
ほっとした。
とりあえずは安心だ。
「ばあちゃんは強運の持ち主だ。すげえ。」
しばらく入院することになったばあちゃん。
腰が痛いと訴えている。
「なんでこんなことに・・・どうなったんだか、わけがわからん・・・」
とぶつぶつしゃべっている。
意識はしっかりしているだが、動揺している様子だ。
97歳。きっと、じいちゃんが助けてくれたんだな。ありがとう。
このように、何気ない日常が一瞬で壊される。
そうなった時に、自分が冷静でいられるかどうかは、普段からの態度によると思っている。
私は97歳のばあちゃんに対しては悔いのないように接している。
また来年の夏も家に帰って来ることを願って、それでも今年が最後かもとも思い、一緒にいるうちはちゃんと介護してあげたいと思っている。
次に考えたのは、実家の両親のことだ。
私は毎週1回は電話をかけて話をしている。
これが私の最大限の親孝行である。
本当なら一緒に住んでやって、いろいろと世話もしてやりたいところだが、現実がそれを許さない。
これに関しては少し後悔が残る気もしている。
とにかく気持ちだ。
相手に対する気持ちだ。
明日どうなるかわからないと思いながら、常に気をつけていても実際にこんなことが起こるとやっぱり動揺する。
今しかない時に、今しかできないことを。
相手を思いやる気持ちを忘れずに。
日常は突然に壊される
こころして生きたいものである。
これ、事故のあったその日に書いた記事。ずっと下書きにしまっていた。
その時は感情がぐじゃぐじゃで、ばあちゃんがその後どうなるか、とか、事故の関係者のこととか、様々な感情が織り交ざって、なんとなくこのまま投稿するのはやめようと思った。
今改めて読んでみて、思ったより冷静に言葉を選んで書いていることに自分でビックリした。
今日、ばあちゃんが退院した。退院後は施設に移ってお世話になることになった。まだ寝たきりに近い状態なのでしばらくは施設に家族が毎日出かけて行って様子を見ようと思っている。
「97歳でこんなことになるなんて思ってもみなかった」とばあちゃんが言った言葉がずっと耳に残っている。
そうだよな。あとはぼちぼちと思っていたところに、思いもよらないアクシデントに見舞われる。それは97歳だろうが容赦ない。
たった5秒で人生は変わる。
大事な人を亡くしてしまうかもしれないし、自分の日常が一瞬にして壊れることだってある。昨日と今日、明日の自分は違うのだ。
そんなことを思った、我が家の大事件だった。
<1年前の”種まき日記”>
1年前に作った短歌、われながら上手にできている。短歌は感情が動いた時につくるものだな、やっぱり。旅行楽しかったんだろうな。
<2年前の”つれづれ日記”>
手帳管理できない。時間管理できない。これは毎年10月11月に思うこと。
記録が役にたったことがない、手帳がなくてもあまり困ったことがない。手帳を管理しきれずに失敗した事例がないから書こうという気にならないのかもしれない。年齢とともに記憶力が落ちてきている。絶対に手帳はあった方がいいと思う。私は断然紙派。