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恣(ほしいまま)

他言語を学んで良かったことはなんだろう
自分の気持ちを表現できること?あなたのこんなところが好きだよ愛してるよって伝えられること?私を知ってもらえること?

未来はどうなるかわからない事が多いから、あんまり愛を言葉にしないようにしたり、愛の価値を安く売りしないようにしてたら本来自分が持ってた愛はなんだろうって考えたり、でも時にどうしても伝えたいのに喉に突っかかって言葉を食い止める。伝えたいのに、無責任な言葉を放ちたくない、と気持ちが葛藤している

いくら「私」を表現したくても言語化できない事が多くて
それは言語に関わらず、きっと二十四年間使ってきた母国語でも難しいことに気づく

他人の考えに敏感になって生きてきたけれど、きっと私が理解できる範囲にも限界があって、放つ言葉の裏を読んだり、伝えたいことはこういうことかな?って考えたり、自分の言葉でさえ100%表現できないのに人の言葉を汲み取ろうなんて全くもって無責任だな私は

だから私は人とたくさん話す、だから文章を読む、だから他人に歩み寄る

人と話す時、一番怖いのは共感できないこと

でもある人は言ってた

「何も話さなくてもいいから、ただ隣にいてくれるだけで助けられてる人もいるよ
’’人に寄り添う、温もりを与える’’
言葉にしなくても感じることができる、与えられる優しさはあるんだよ」って

でも、時に言葉にさせてくれる出来事に出会う
言葉で表そうとする私をじっくり何も言わず、目を見て待っててくれる人がいる
そういう人たちが私にを教えてくれる

行動でわかりやすい愛を受け取った、だから私も大切な人にそうしていきたい

伝えきれない思いに耳を傾けてくれる人って貴重だね
たとえこの先連絡を取ることや会う事がなくなっても、一生覚えてる
これだから私は人が大好き


昔は泣き虫って言葉で自分を表していたけど、今は感情豊かな自分が好きって思える

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