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春漂う夜、さみしさの正体

部屋の窓を明けて、缶ビールを飲んでいる夜。
寒さはぬぐいきれないものの、カーディガンを着ていれば充分あたたかい。
季節の移り変わりが来ているな、と感じる生暖かい空気だった。

すぅーっと大きく息を吸い、味わう。
2月の後半から、夜の空気には春の香りが混ざり、微かに漂いはじめる。

さみしい。

根拠もなく思う。

このさみしさは、ひとりでいることの寂しさや人に会えないこと、恋人がいないことによるさみしさではない。

もっと、なんだか大切なものを削ぎ落とした後の
こらえるようなさみしさ。

多くの人が語るのと同じように、
わたしも、音楽と匂いは、記憶を鮮明に蘇らせるタイムマシンみたいなものだとずっと思っていて、
今日の夜の香りは、これまでの色んな春に思いを馳せさせた。

大学の頃、夢中で活動していた軽音サークルの大切なオーディションはちょうどこの頃にあったな。

大きな大会を前にして走り回ったのも春だったな。

就職活動が始まる直前、不安と少しの反発心でいっぱいだったのも、
卒業を目の前に、学生生活が終わる切なさと社会に出る不安にに心を揺らしたのも、
報われない恋に振り回されて澱んでいた心も、
決着をつけて本当の意味で前に進み始められたのも、春だった。

芽吹きの季節は、「今が生まれ変わるときだ!」と背中を押してくれると同時に、
その度に今ある自分をこの場所に置いてきた季節だったんだなあ、と思う。

さみしい、と思うのはきっと、
大人になるために脱ぎ捨て置いて来た自分には、もう戻れないから、そう思うのだろうか。



あの頃置いて来たわたしのことを、たくさん思い出す。

一年前の春は、言わずもがな、
わたし自身を環境ごと変えた。

忘れもしない一年前、2月下旬。
コロナウイルスの影響を懸念して、全国の小中学校の一斉休校が決まったというニュース。
周りの教育関係の友人達の、前例のない状況への戸惑いも、悲しみも、どうしたらいいのか分からない気持ちも隠せない気持ちも、ダイレクトに触れた。どうにもできないことが、悔しかった。

わたし自身の仕事でも、「会わないこと」が一番の世の中で「営業をしないと利益を出せない」会社の仕組みの狭間で揺れた。

大好きな人と初めて迎える、楽しみで仕方がなかった春も、大切な人だからこそ、会わない選択をした。
次にいつ会えるかは分からず、もどかしかった。
結局、そのあとデートは行われることがないまま、終わってしまった。

これからの世の中生きていくためには手に職を、わたし自身をブランドにしなくてはと、焦った。
心がときめかないまま、何かの資格を身につけようともがいた。

色んな摩擦が心の中で起こって、
仕事も、恋愛も、将来も、戸惑いで溢れていた。

でも、生きていくのすらままならない人がいると知っていたから、自分は恵まれているから、弱音を吐いてはいけないと思っていた。
不満をこぼさず、今出来ることを精一杯やるべきだと思っていた。

変わらねばいう気持ちと、変わらざるを得ない現状に、弱音なんてありえない、自分の気持ちを振り返る余裕なんてないまま走り続けてきた一年だった。
坂道を下る足は止まらない。そんな感覚だった。

めまぐるしい変化をくぐり抜けてたどり着いた今、
後ろを振り返って見つめる先にいるあの頃のわたしはもう、今のわたしとは別人で。

そうなってやっと今、思う。

こわかった。
不安だった。
悲しかった。
つらかった。
どうしたらいいか、何にも分からなかった。

あの頃、見てあげられなくてごめんね。
つらい気持ち、押し殺してしまってごめんね。

置いてけぼりだった一年前のわたしを、
今になってやっと、抱きしめる。

さみしい、と思うのは、もう戻れない寂しさだけじゃなく、置いてけぼりの自分が成仏していなかったからかもしれない。

コロナ元年を駆け抜けて頑張ったわたしたちはえらい!
だから今年の春は、去年よりもきっと素敵な春が待っている。

でも、何が起こるか分からない世の中でもあるから、どんな瞬間があってもどんな感情になっても君と手を繋いで歩いていくよ。


そんなことを考えていたら、少し肌寒くなってきた。
ビールを飲み干して、たそがれタイムを終わることにしよう。

今夜のメニューは、クリームシチューだ。

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