頭で考えることから解放してくれる作業
新型コロナウイルスによる感染症の大流行、パンデミック期の、6つの犯罪にまつわる短編連作集『ツミデミック』。直木賞受賞作品ということで読む。
6篇のタイトルは以下の通り。
・違う羽の鳥
・ロマンス
・燐光
・特別縁故者
・祝福の歌
・さざなみドライブ
似た者同士の、生きたい人と生きたくない人とが共謀した話し。
家族の中で感じる孤独の吐口をささやかな楽しみに見出すも、掛け違えたズレから起こしてしまう殺人。
15年間、同級生(教え子)の行方不明を受け入れられず、遺骨発見に駆けつけた二人の、その駆けつけた理由。
何もかもが他責の元料理人が、逃げ出した調理の作業を無心に行うことで、自分を取り戻していった話。
高校生で妊娠した娘にどう接していいかわからない父と、生まれたはずの子どもの気配のない夫婦の隣に住む母親。明かされる真実。
SNSの集団練炭の呼びかけに集ったメンツが、集まった目的とは異なるけれど、ひとつのことを成し遂げて前に進むかもしれない話。
6篇それぞれ、心が動く。コロナ禍がなければなかったろうに、と思うツミもあれば、なければないで、別の問題が起きていただろうと思うツミもある。
最初の3篇は、とにかく辛い。母親って辛い。子どもにとっての辛い母親と、夫と子どもにとっての母親でいることが辛くなってしまった母親。自由になれたらよかったのにね、小さなことの掛け合わせや掛け違いで、人ってこうなっていくのだなと、暗い気持ちになる、最初の3篇。
正直、こういう連作なのかなと残り半分の3篇を読みたい気持ちが薄れていく。小説として、物語として、心に響いてくるからこそ、知ってしまって辛くなる。ますます辛い気持ちになることが予測できるからやめたくなる、そんな感じだった。
次、4篇目を読んで嫌な感じだったら、もう夜遅いし、いったん中断しようかな、と思った。4篇目「特別縁故者」を読み始めたタイミングだった。
案の定、嫌な予感がプンプンしてきて、あぁ、たぶんこの男はやらかす。やってはいけないことをやって、妻のことも息子のことも裏切りそう。残念な結果しか想像できない。やめようか。
ところが。
あの、雑煮を作り出すシーンがよかった。
イヤダイヤダと思っていた、しんどかった調理の仕事が、ひとつひとつの作業そのものも、それをやり遂げたあとの、自分が作った料理を食べてくれる人の喜ぶ姿を見たいと思う心の変化。
頭の中は、「やれやれ、やってしまえ」「お前はわるくない」の犯罪を推す声でいっぱい(だと読んでて感じた)。
でも、料理をつくっているうちに、頭の中で考えている「こうすれば今の状況から抜け出せる」と手前勝手に考えていた企みごとが消えていく。
身体が覚えたひとつひとつの動作を無心に行うことは、頭の中で考えている「やるべきこと」を上回るのだな、と感じたシーンだった。
シンシンと冷えていく、そんな感じだった。
それでも、この男のことは信じられなかった。話の流れ的には、「これはいいラストに向かっているな」と予感しながらも、最後までヒヤヒヤさせられた。
これは、この作家さんの、人間を良いように書きすぎない、安易に良い方へと導こうとしない、「そんなふうに作者が導いてしまうことはイージーすぎるでしょ?」、「それに、はっきり書かなくても、あなたたち、感じるでしょ?」とでも言ってるような、私たちに対する信頼を確かめる作業のようだった。
・・・というように、後半の3篇はすべて、イージーではないやり方の、本当に人間ってそうだよな思うような、「ギリギリの救い」を見出すことができる、作品だった。
一穂さんは、「いろいろ嫌なことあるけど、人間も捨てたもんじゃないわよね」とは、書かない。嫌なところ、情けないところ、ずるいところ、汚いところ、ばっかり書いてる。救いようのない話と人間ばかり書いてる。なのに、捨てたもんじゃないねと思わせてしまう作家だ。
「そう、これ読んでも、まだそう思えるのなら、あなたは頑張れるのかもしれないね」
そう、素っ気なく、ツンっとおでこのあたりをつつかれて、詰めようとした距離を、また離されたような、そんな一冊だった。