努力して…「知事になった?」
誰のためにがんばるのか?
当然自分のためだと
小生は強弁できません。
一生懸命勉強して・・・
東大に入り
国家公務員試験上級職に見事合格
卒業後官庁へ・・・
20年務めて政界進出
とある大きな自治体の首長となり
「普通に考えれば夢のような人生が待っている」
でも・でも・でも・でも・そんなの関係ねえ
なんて
千葉市立稲毛高校出身の一流タレントを否定するつもりは毛頭ありませんが
その人生は努力と我慢・苦悩の上に成立しているはずです。
「勉強しなくても勉強ができる」
という天才は世のなかに少しだけいますが・・・
それは
「普通の人が勉強という手段」だと考える苦痛の学習習慣と隔絶した
「知識吸収力」をどこかで発揮しているからです。
幼児のころから全く学習せずに・・・
地頭だけで東大に入る天才はいくら天才でも
ほぼ皆無です。
知識は本人が努力だと認識しなくても
「どこかで九州・沖縄吸収しなければ・・・」
文字すら読めないわけで・・・
「天才とは努力している意識が薄い人」
の言い換えなのかもしれません。
努力は誰のために・・・自分のためだけにすると
は言い切れません。
利己的遺伝子の強化版を煎じて煮詰め
高圧力高温で凝縮したような
身びいき120%の小生でも
小学生で強靭に倒れた10歳の子供の
ニュースに接すれば
「だから外務省はだめなんだ」
と憤慨します。
自民党総裁選に現職外務大臣で参戦した方はとんでもない貧乏くじを引いたなんて就任の時には微塵も思っていなかったでしょう。
しかし・・・時の運は彼女の味方ではなく
背中にはキングボンビー※が
チラチラと見え隠れしております。
天才は忘れた頃にやってきません。
天才はその才能を誰かに見いだされるまで
普通の子供です。
その才能を見抜く親や周りの人間が
発見しなけば
ただの「変わった子」です。
「なんかうちの子妙にトーマスの機関車の名前知っているね!」
とか
「幼稚園って九九習うんだっけ!」
で終わってしまうのが
「本来天才なのに・・・大人が見落とした」
こどもの通常版です。
親や周りに大人に恵まれなければ
天才は天才として育たない。
それゆえ
努力型の秀才が・・・世の中の
枢要な地位を占める結果となります。
努力をすることは尊いことです。
ただしその方向性と
「俺はこれだけ頑張ったのだから・・・
その努力分もとを取らなければならない」
というチンケな発想で
「タイパやコスパ・ポイントばかり気にする
自分だけよければという大人」になったら・・・
地位や名誉・発言力や行動力が担保されている分
厄介だということです。
今朝のこころの灯で流れた逸話です。
くたくたになった先生が
末期医療を受けているこどもに
「先生疲れちゃった」と何気なくいったら
ほとんど動かない体を・・・
なんとかずらしながら・・・さらにすぼめて
ベットに隙間を作り
「先生ここでゆっくり休んでいって」
といった話を・・・どう聞きますか。
人は誰のために努力をしますか?
自分の将来や金銭・他人に勝って権力を手にする。
そんなことを考えながら・・・
「同年代の子供がテレビゲームや球技などで遊んでいる最中」
塾や自分の勉強机の上で一所懸命勉強していた子供はいないでしょう。
誰のために努力したのですか?
大人として・・・
失敗することは
山のようにあります。
ひとつひとつの失敗は塵のように些細なことでも・・・
伊奈かっぺい氏は
「塵が積もって山となる光景なんて見れない」
と言っていましたが
地球の造営力は・・・海抜0メートル以下の海底にあった
貝殻を抱えたまま8千メートルの山を作ったり・・・
ハワイと同じように遠くの南洋にあった島を・・・
日本列島まで運んで・・・
富士山と伊豆半島を作る
塵だと・・・
些細なことだと・・・
自分が努力したこと・・・
住民のためにやった改革にくらべたら・・・
「カニを余分にもらったくらいどこがわるい!世の中にはもっとズルいことをしている奴は大勢いるのに・・・なぜじぶんだけ」
そんな想いにとらわれること自体が
努力を無駄にする・・・・
もう一度
その努力を無駄にするなら
政治家には向きません
政治家とは
「誰かに嫌われるのを覚悟のうえで・・・
些細な努力を続ける人」
政治家の資質も・資格もない人が・・・
首長になり自民党の総裁選へ出馬するから
政治を庶民が嫌いになる!
天才とは努力を
「困難な行為だと感じない特殊な人」
天才でない凡人は
努力して天才の足元にしがみつく秀才となる・・・
でも
「私はこんなに努力したから・・・これくらいは・・」
その瞬間に・・・天才は遠く遠くどこまでも遠く
追いつかなくなる。