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夢の観光鉄道 尾瀬観光線第3回後編

鉄道に不可欠な要素とは
なんであろうか?


車両イメージ

乗客がいなければ・・・

貨物輸送など
収益手段が別にない限り経営は成り立たない。

ローカル鉄道に限らず集客こそが

鉄道の維持・利便性を確保するための
原資となる。
そんな当たり前の講釈をたれるために
ながながと
栗子カニ並みに脳みそがすかすかの小生は
思案に私案を重ね試案に明け暮れる。

安全・快適な公共輸送機関

を成立させることは
鉄道が社会的な使命を果たすために
必要不可欠な命題である
絶対条件と言っても過言ではないだろう。

公共交通機関として道路を利用する限りにおいて
渋滞問題は避けて通れない道だ。※

※道路だから避けて通れないとオヤジギャグを
炸裂させているわけではない。
本当に避けられない課題だ。

渋滞の解消策について有効な方策はKei先生が数理で説いている。

もと銀行員でMBAを取得された努力家Kei先生の
渋滞解消策は一読に値する記事である。

京葉線のような
「首都圏の国電区間」まで

快速の改廃によって
利便性が低下した。

快速によって得られた約10分の
アドバンテージを
検見川浜以遠の利用者から奪った構図だ。

「渋滞と鉄道のどこに関係性があるのか?」

怒りまかせに記事を閉じるのは早計だ。
まどろっこいと怒る前に
そう判断する根拠をのべる。

地方の閑散区間に準じた
「尾瀬観光鉄道」は渋滞が頻発するアクセス道路を
周辺部へ抱えている。

多客期に限らず
景観保全を意図して進入車両を規制する施策のため
規制区域の外縁部で自然の風景を台無しにする
渋滞が発生する。

上高地や尾瀬に限らず
昨今議論の遡上にあがる

「山梨県の富士登山鉄道構想」における
最大の争点は
「環境負荷の低減と入場者数の制限」が
「地域経済へもたらす影響」である。

入場者数を一定に保つことは
危険負担や環境負荷を低下させる効果と
客数減による減収という問題を発生させる
負の側面を考慮せねばならない。

環境保護派の主張は明快だ!

自然環境保護地域へ入域する員数を減らすことは
環境保全に明確な効果があると立証されているからだ。

アクセス手段を公共交通機関へ限定することは
ガソリンやディーゼル自動車による大気汚染や
観光客が持ち込むごみ問題
心無い観光客による自然破壊を防ぐ効果があることは
間違いがない。

しかしそれはあくまでも表向きの理由だ。

アクセス手段を限定し一定の費用負担を負わせることは
安易に観光地へ殺到し値段の多寡だけで価値判断する低廉指向の観光客
を心理的に尾瀬や上高地から遠ざける効果を産む。

安易にアクセスできて・・・
誰でも登れるから

富士登山客は外国人観光客も含め激増し
事故発生件数を増加させた。

一度でも富士登山を経験し
頂上まで到達すれば判ることだが。

「日本一の山をなめてかかったら死を招く」

富士山を「高尾山の延長」だと考えて
軽装備で登頂するのは自殺行為である。

SNSのイメージによって

「世界的な高峰とくらべればさほど高くない富士山は
老人も登れるほどたやすい山」

だと勘違いが蔓延した。
外国人や一部の日本人にはサンダル短パンなどの軽装で
富士登山を企図するものまで発生した。

富士山頂の気温は
湿潤な場合の温度変化は
3776m(山頂標高)ー2300m(富士吉田口5合目標高)
≒1500m×0.6℃/100mで
およそ9℃
5合目が気温25℃なら頂上は16℃であり短パンが不適切な
恰好だというのは当たりまえだ。
乾燥断熱減率ならば・・・15℃は低下する。
富士山は途中で雲を抜ける可能性が高く
雨で衣類が濡れる可能性がある
「雨カッパが必要装備」なのだ。

9合目から山頂までは岩肌むき出しの危険地帯であり

サンダルどころかスニーカーでも危険である。
そして・・・
足を一歩前へ進めるだけで息が切れるほどの低酸素だ。

「過酷な登山」が実態なのに
「入場者数が多いから大丈夫だろう」

という過信を産んでいたら
SNSの果たす負の効果は絶大である。

富士山において最大の問題は
「殺到する自動車をどう整理するのか?」
その解決策が「富士登山鉄道構想」である。

そして「渋滞が発生する」という点において
上高地周辺や尾瀬周辺も同じような悩みを抱えている。

急峻な山岳地帯へのアクセス道路は
「大胆に地形を改ざんするか地中へトンネルを掘るか?」

その手段を講じた場所以外

「運転者泣かせの難易度の高い道路」となる。
日光のいろは坂を思い浮かべて欲しい・・・
由緒と歴史がある観光地ほど道路設備が古い。
これらの道路は平均勾配がキツク
バンク角やカントが不足する
運転困難な道路が大半だ。

それでも地元のドライバーは慣れているし
運転環境や道路の形状・危険な場所を
熟知している。

しかし観光に訪れるお客様は

「リピーター」ばかりではなく
日常的に「自動車を運転している人」
とは限らない。

観光地で発生する渋滞の原因は
道路の容量不足が最大の原因であるが
運転者の技量不足もその誘因であることは
あまり語られない真実である。

そして・・・
その渋滞発生こそが

環境保護派に
「尾瀬にマイカーを近づけさせないぞ!」
というモチベーションを与える。

渋滞によって低速移動と停止・発進を繰り返せば
「大気汚染を発生させる」
その要件は十分すぎるくらいに満たしてしまう。

「電気自動車」だけをアクセス可能にすれば・・・・

という

珍説を堂々と開陳する交通専門家

も存在するがそれは一面の真実ではあっても
問題の根本を見誤っている。

「排気ガスだけが悪者」ではないからだ。

道路の舗装が痛めばアスファルトの破片はそこかしこへ
散乱し・・・土壌へ浸透し
地下水によって広範囲に散らばっていく。

車両重量が車体サイズに比べて重い電気自動車は
道路を傷める点に関してはガソリン車より悪党である。

そして騒音問題はどちらも同じである。
電動機がいかに静音であっても
「車両走行音」まで消し去ることはできないからだ。

「電気自動車が環境にやさしい」とは

ドイツなど欧州の自動車メーカーが
日本のガソリン車やハイブリット車に太刀打ち不能になった局面で
「絞りだした悪知恵」である。

①発電する段階の環境負荷
②電池の重量によって車体が重くなる点
③発生するロードノイズ
④タイヤの消耗頻度

その点を全く考慮していない暴論を
「ヨーロッパ=環境先進国」だと
無分別に受け入れた世界の国々は
現行のドイツ自動車産業の艱難辛苦を
どう受け止めるているのだろう。

閻魔様は環境活動家より嘘を適確に見定める!
その眼力がエンマ様だ。


環境保護派以外の地域経済を重視する
地元の人々にとっても
「渋滞は悩ましい問題」である。

地方で生活する人間にとって
「車は生活の足」などという比喩では
不十分なほど
「不足する公共交通機関」を補う
自家用車の存在は重大である。

生活の一部なんて生易しいレベルではない。

「生活の基盤と継続性を担保する重要な手段」

がマイカーである。

そして輸送経費が嵩む山岳地域では
ガソリンや軽油の単価は非常に割高である。
高価な燃油費を負担しなければ生活が成り立たない。
それに渋滞が加われば・・・

二重苦三重苦の悪夢が到来する。

地方経済の根幹は観光収入だけではない

農産品や林産品の販売
道路・施設の維持にかかわる土木建築業と
その業者へ提供する宿泊や飲食など
サービス部門全般が地方経済を支えている。

渋滞の頻発は裏返せば

①旅館やホテルは稼働率が上がる。
②地元飲食店は売り上げが増える。
③名産品や土産物が売れる。
という効果を地方へもたらす。
が一定の水準を超えて渋滞が発生すると
消費効果ばかりでなく負の効果が
真綿のように地方財政を苦しめる。
道路維持に必要な税金が不足するからだ。

尾瀬のアクセスポイント周辺でも渋滞が頻発する

これによって

近隣の自然公園へ大気汚染問題をもたらすという

デメリットばかりへ目が向くが
「集客力と収容力を向上させ・・・環境負荷を低減させる。」
その方策を考えるきっかけも提供する

その意味では
「環境問題と地域経済」のバランスを
どうやって解決するのか
地元の自治体や住民も交えた地域創生を
地元目線で考えるきっかけとなる。

富士山が入山料と同様の施策を実施したように
一定の金額を負担させる方法はいくつか存在する。

その方策は
①アクセスポイントの駐車料金へ入域利用料の上乗せ
②公共交通機関へ入域利用料の上乗せ
③徒歩入域者からの入域利用料の徴収

などだろう。

しかし・・・尾瀬にせよ上高地にせよ
地域の鉄道駅からは十分すぎるくらい遠い

「自分の足で全部歩く」人は一定数存在するが
それは主流派ではない。

多くの入域観光客は
「限られた時間内で日常とはかけ離れた自然を体現する。」
人々であり。

「マイカー利用が可能なら極限まで近づきたい」
そう考えるのは当然である。

観光前は体力も気力も十分であるが
「徒歩行動のあと くたくたになって自宅や宿泊所へ帰る道を運転」
疲労困憊の身体へ鞭を打って・・・

それゆえ
アクセスポイント周辺の駐車場ではなく

「便利な鉄道駅や宿泊所周辺」にマイカーを収容し
適切な料金で尾瀬の入口へお客様を誘導する・・・
そして疲労困憊で運転せずとも・・・
ゆったりと下山する。

渋滞の回避だけではなく
「運転者の安全確保」や
「道路容量の確保」

という面でもDMVによる観光鉄道は有効な手段となる。

アクセスポイントの駐車料金と在来の小型ディーゼルバスによる
尾瀬口までの輸送料金の合計額は意外と大きい。

一名で利用すれば往復で3000円は下らない。
それならば土地に余裕のある沼田や水上駅周辺に
マイカーを収容し
渋滞に巻き込まれない観光鉄道を
駐車料金込みで4000円以下に設定すれば
十分に集客効果は見込める算段である。

価格設定が適切であれば・・・
一定の収益と持続性も担保されるだろう。

国立公園周辺の手狭な場所に


広大な駐車スペースを確保する現行の方策より
様々なメリットがあると判断するのは
いささか事案に拘泥しすぎであろうか?

次回は収支のみにこだわらず
環境性能や持続性について考察する。

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