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着物でワークショップをする理由


ワークショップでは着物を着用することにしている。
その理由を書いてみたいと思います。


着物っていつ着るものだったんだろう

着物が嫌いな人、というのを私は見たことがない。着ているだけで喜ぶ人がいたり。私だって着物を着ている人を見るのが好きだ。もちろん着ることも。
だけど、着物はもう絶滅危惧どころか絶滅寸前・・・。

着ないと終わる文化、それが着物

当たり前だけれど、着物は日本人の民族衣装だ。だけどみんな着ない。面倒くさいし難しいのが、その大きな理由だろう。でもほんの100年前、大正時代ではまだ着物が主流。たった100年しか経ってないのか、と驚くけれど、着物という日本文化はもはや完全にはりぼて化している気がする。

だったら着よう、私から

きっかけはコロナだ。コロナで着物業界が大打撃を受けて、大好きだった悉皆屋さんも300年続く暖簾をおろした。そのことがなんとも悲しかった。

着物という存在がどんどんこの世から消えていくのを、鏡の前の自分はせめて着ることで阻止したかったのかもしれない。そんなわけで、ワークショップを着物でやることにした。

着物をはじめたいと思う人に言いたいのは、人目を気にしない勇気。これしかないw

好きな服を着てるだけだけれど

ワークショップでは、途中、着物の話も混ぜ込む。着物の話に引き込まれる子もいる。ほかのだれでもない、自分自身、日本人の話なのだ。着物を嫌いな人がいないのと同じで、DNAの話に近いからだと思う。

民族意識だと思う。ふだんあまり意識することのないものだ。それは当然ながら「日本語を意識すること」につながっていく。着物を着てのレクチャーの評判は概ねよいみたい。

ジーンズの着物は特に子どもたちにウケがいい。

働く着物の美しさ

私が好む着物は地味な、労働着と言われるジャンルだ。派手さも華やかさもない、けれど質実剛健な美しさがある。先人たちの知恵と工夫、そのものだと思う。

織りにその土地の名前を持ち、口伝で継がれてきた独特の文様には土着(まさに土を着た)だからこそ培われた誇りがある。愛おしさもある。

そういった着物が1000年以上も前にうまれ、現在にあるということ。

そこから何を感じるかは相手に委ねるが。子どもも、大人も、きっと何かあるように思えてならない。

着物もアップデートしている、ひとはどうだろう

最近はジーンズ着物が多い。全身ジーンズ生地なので、季節を選ぶがこれはこれでとてもかっこいい。帯は博多織だが、ベルト式だ。

こんなものがあるんですね、と驚かれる。

明治時代、私たちは洋装へと華麗に転身したが、着物を着ることを諦めたくない人たちにより着物は地味に、実はアップデートしている。そんなところも、またいい。

「着物はスーツです」

ワークショップだけではなくコピーライティング以外の活動は着物で行くようになった。説明がややこしいので、端的に、こんな風に伝えている。

着物はスーツ。

私は結構気に入っている。

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