三題噺SS『ハルキムラカミツンドクのタタリ』 NUE
お題目
「ガマガエル」
「入浴」
「スローモーション」
ハルキムラカミツンドクのタタリ
夜、唐突に呼び鈴が鳴った――。
視線だけ動かすと、青一色に染まったドアモニの液晶が目に入った。
――通話――
カメラ映像に切り替わらないところを見るに、客人は一階エントランスではなく、この部屋の前に居るらしい。
時刻は夜の九時を過ぎている。一体、誰だこんな遅くに。
「はーい、どなたでしょうか?」
用心の為にチェーンを掛けてから、俺はゆっくりドアを開いた。
すると目に飛び込んできたのは、苔のような真緑の……体。
「こんばんは。初めまして、カエルくんです。こちらは片桐氏のお宅でしょうか」
喋る蟇蛙がいた。しかも、一メートルはゆうに超えている。ギネス記録とか片足けんけんでも余裕で取れそうな奴が。
「あ、へ、あ……」
俺は驚くほど何も言えなかった。
蛙は横に長い瞳孔を見開いて俺の顔をじいっと凝視した。
「ともかくお邪魔します」
蛙はその巨体をぐりゃぐりゃと蠢かし、器用にもドアの隙間を潜り抜けて玄関へと侵入してきた。
「う、おっ――」
一瞬の静寂。俺と蛙は互いににらみ合った。ちなみに俺は巳年だ。
じゃばじゃばと風呂場の水の音だけが廊下にこだまする。
「これは申し訳ない。入浴前でしたか」
蛙はそう言って、ぺろんと舌を出した。今夜の湿度は四十パーセントほどしかない。
「かっ、あ、はア――」
ともかく俺は声を出してみたが全く発声できなかった。極度の緊張が唇をくたくたのアワビにしてしまった。こういうときにはセロトニンだ。セロトニンが必要だ。
「落ち着いてください」
蛙がいかにも冷静にそう言い放った。いや、俺に対し優しく声をかけた。
すると、急に腹の底からむかむかとした怒りが湧きあがってきた。セロトニン不足がいよいよ深刻なようだ。
だが、お陰でようやく俺は声を出すことが出来た。
「か、かかっか、か、カエル! ……さん!」
「カエルくんです」
「か、カエルくん! ……さん!」
「……はい」
「ああなた、一体、なななんでですか!」
「カエルくんです」
「じゃなくて! なんで喋っているんですか!」
「喋れるからです」
「か、勝手に、いい家に、入らないで、もらいたい!」
「申し訳ない。あまり外で見られたくないもので……それで片桐さん――」
「お、おお俺は、か片桐じゃない! 片岡だ!」
「え……あ、いやっ、そうでしたか。これは失敬失敬」
「ひと人違いに、も、ほほほど程があるぞ!」
「すみません。私としたことがとちってしまいました」
「とにかく帰ってくれ」
「そうはいきません。今夜は誰かに私の話を聞いてもらわねばならないのです」
「蛙の話なんて聞いてられるか!」
明日は午前中から会議だし、午後は出張、その足で明後日の研修の為に新幹線に乗らなきゃならないんだ!
「明日はどちらに行かれるのですか?」
「会社だよ!」
「それは東京の?」
「そうだよ!」
「ならばそれは止めておいた方がいい。明日は東京で大きな地震が起きます」
「は? 地震?」
「はい。本当に心から申し訳ないのですが、もう私の力一つではミミズくんを抑えられないのです」
蛙はそれから滔々と語った。
なんと蛙は東京の地下に居るというミミズと長年戦い続けてきたらしい。ミミズは東京に壊滅的な巨大地震を起こそうとしているという。そして、蛙が言うには明日がその最終決戦の日で、それなのに敗色濃厚らしい。
「残念なことです。ひとつも目立たず取り柄もなく地味で誰もやりたがらないが必要な仕事を苦しみながらも耐えて孤独に続けている、そんな人が私を応援してくれていればこんなことにはならなかった。あなたのような成功を夢見、負けず嫌いで出世欲が強く、その為に無理をして寿命を減らし、たまの休みには風俗かパチンコでストレスを吐き散らして孤独にしゃにむに自分のことしか考えず、選挙にも行かないでスマホに溜まった通知だけをひたすら消化しているような人では東京は守れません」
「な、なんの話をしているんだ?」
「いいのです、もう。終わった話ですから。ともかく明日は仮病でもなんでも使ってこのマンションから出ないことをおすすめします」
そんなこと出来るはずがない。会議を欠席するなら誰もが納得するような正当な理由がなければならない。
「ああ。片桐氏にお会い出来なかったことは最後の心残りとなりましたが、最後に人とお話が出来て良かった」
蛙はそう言って玄関から出て行った。
そんな夢を見た。
起き上がると、俺は瓦礫の中を這いずりまわり数時間かけて潰れた有楽町駅から地上に出た。
見渡す限り煙と炎しか見えない。
サイレンと人々のさざめく声が空にこだましている。
脳裏に浮かぶのは地震が起きたときに見えた崩壊する東京の景色。
大手町ビルヂングが、帝国劇場が、皇居が、そして東京タワーが煙の中に崩れ去っていく光景がスローモーションのように何度も何度もフラッシュバックする。
俺は思った。
もっと真剣に村上春樹を読むべきだったと。
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