推しの幸せ=私の幸せ?
どうも筆者です。
「推しの幸せが私の幸せ」とは言うけれども。
私も基本は「でも幸せならOKです(例の男性の画像略)」なんですけど、
それと、身を切るような推し活は勿論、精神面含めて推しの幸福>自分の幸福みたいになってしまう事は違うよな、と思っています。
あくまで推しの幸せというのは、
数ある私の幸福を感じる要素のうちの一つで、
その比率が人よりちょっぴり大きいんだよ、って事を頭の片隅に入れるようにしてます。
じゃないと、例えばもし推しの方向性に共感できなくなったとき、結婚して考え方が変わったときなどに自分の気持ちに嘘をついて無理してしまう気がするんですよね。。
それはなんか本末転倒な気がするので、なるべく自身の幸せを推しに依存しないように努めているのですがいざその時が来たら自分もどんな心境になるか分からないです。。(何せ人生で初めて、実在してる人のファンになったので…。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?