自分を大切にするために。
おはようございます。
今朝は昨晩眠れず、今を迎えています。
自分を大切にするために、人も大切にしたい、と思っていました。
自分と考えの違う人は星の数程いますが、できるだけ沢山の人を解ろうと無理をしていました。
しかし、昨日大変疲弊しました。
自分と違う考えの人に、やたらと自分をわかってほしいとか言われたり、私は嫌だと思っているのに、勝手に自分の仲間になれとか言われたりとか。
かなり難しい要望に思いました。
理解まではしてみようかと思ったことはありましたが、何で自分が組みたくもない相手に無理に合わせてまでも、仲間にならなくてはいけないのか?
小学校や中学校でも、嫌な相手と仲良くする子はいたのかもしれないけど、私は嫌いな子とは仲良くしたくないし、仲良くなれない子どもでした。
そこまで嫌な気持ちで、一緒にいるのは苦痛だと思ったから。
そういう私を、白黒はっきりしてるなぁと思う人もいるでしょう。
人を大切にしても、自分を自分が大切にできないようなら、自分を犠牲にしてまで大切にしたいのか?と。
私の答えはNOです。
私の考えは、自分を自分が大切にするのが大前提。
自分を大切にできないような人間関係を重んじるのは、私にとっては違うことです。
自分らしくあるというのはもっとその先にあることで、
『自分を大切にする』というのは、
私にとって生きるにあたり、とても大事にしたいことです。
自分を大切にすることと、人を大切にすることの両立ができる人間関係ならまだしも、自分をないがしろにしてまで守るべきものってなんだろう?
自分を大切にする。
人のために自己を犠牲にする生き方もあるでしょう。
私は、そういう生き方をするより、自分の命を大切に愛おしく思って生きたいです。
人と関わるのも必要かもしれません。
しかし、自分に無理してまで関わる人間関係は、なるべく避けられるものは避けて、最小限にしたいです。
例えば、仕事をするにあたり必要な人間関係だとか。
そういうときでも、自分に素直になるならば、自己を犠牲にしてまで付き合う必要があるかどうかを考えて過ごしたいです。
我慢や辛抱が必要なときがあるのはよくわかります。
しかし、度を超えて自分を犠牲にすることを強いられるようなら、そこの人間関係はあまり真剣に取り組まないことです。
自分が生きる、ということが自分の人生なのだから、自分を大切にすることができないような人間関係は私にとって希薄であってもいいと思います。
こう書くと、とても冷たく受け止めるられる人もいるかもしれませんね。
しかし、どう受け止められても、
「自分を大事に、そして命を大切に生きたい。」
と思うので、敢えてこんな記事を書きました。
自分の我を押し通すということではなくて。
自己主張ではあると思いますが。
あくまでも自分を犠牲にしてまで自分をないがしろにしてまで付き合う人間関係はなるべく断捨離してでも、自分を大切にしたいです。
そして、周りで支えて下さる友だち、家族や、ご理解してくださる人たちに感謝し、また日々過ごしていくことにも感謝しながら、日々を重ねていきたいです。😊🍀