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いのちを繋ぐ。

私の祖父と祖母は、結核を患い、40代半ばでこの世を去ってしまいました。

母親は、いつもこの話をするときには
涙ながらに、〜もう少し早く病院へ連れて行くことができたら、ストレプトマイシンという良薬が手に入って、死に至らなかったかもしれなかったのに。〜と言っていました。

昔の結核とは、今で言うコロナの流行りだした頃と同様、得体のしれない病だとされてきました。

一昔前は、今でこそ早期発見すれば生存率が高くいられるガンの病気も、罹ってしまえばほぼ死を意識せざるを得ない病気でした。

結核とは、その種の病であったと話では聞いています。


昔は、結核患者の家族であるというだけで、友だちや近所から敬遠され、意地悪なことを言われることが多かったようです。


そんなこんなで、両親を小学3年と5年の時に失った母親は、病気にかかったらすぐに病院へ行くという考えの強い人でした。

風邪にかかっても、それを拗らせると肺炎〜結核へとなる可能性を秘めている怖さを、まじまじと幼い頃から頭に焼き付けていた母親なので、すぐに病院へ連れて行ってくれました。



私は、そのような血筋の御先祖さまを持つ母親に育てられて、いのちの尊さや大切さをとても感じております。

いのちとは、繋いでいくもの。

自分らしくありたい。
自分らしく生きて、死に際も自分らしく死んでいきたい。

私は、いのちを繋いでくれた親、祖父母、御先祖さまに申し訳が立たないような生き方や死に様はしたくありません。


大切に御先祖さまから引き継いでくださったいのちについて。

私は、私なりに至らない点が沢山あるし、他人さまにもご迷惑のかかる失敗などを数多くしながらも、こうして生きております。

また、息子がひとり生まれてからは、いのちを繋ぐことができた喜びとともに、しっかり育てなくちゃいけない
責任も感じるようになりました。



人を育てるのはむずかしいことです。

人は、放っておけば勝手に育つ、という考え方もあるようですが、
自分〜親の接し方や育て方で一人の
人間の人生までも左右してしまうことは往々にしてあると思えば、人を育てるっていうことはむずかしいことだ、と思うのです。

これが正解、という育て方って子育てしている時には分からないです。

あるやり方をしたり、接し方をしてみては、果たしてこれがよかったのかな?と悩み悩み、子育てをしています。



私は、大したことの出来る母親ではありませんが、子どもに愛情はかけてあげたいと思う日々です。

時々、ひどいことを言っちゃったりして、反省しきりのうっかりした母ですけど。



最後まで、自分自身を失わないように、御先祖さまから受け継いだいのちを尊く思いながら、子どもにも自分の生き様や後ろ姿を焼き付けて、生きていきたいと思います。


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さゆゆ
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