肉体の死・存在の死

人間にとっての「死」の概念は2つある

「死」とは、生物にとって必然の現象である。
生きているものは必ず死ぬのだ。
生物体には寿命があって、寿命の後半で段々老化が起こり、心身の諸機能が低下してやがて死に至る。
また、外的及び内的要因により突然機能停止が起こり、死に至る時もある。
これは言わば、「肉体の死」と言える。
肉体の死は、

一方で皆さんは、人の死に
際して、このような発言を耳にした事はないだろうか?

「皆さんにはいつまでもこの子の事を忘れないでやって欲しいです」
「先生の偉業は、私達が後輩達に語り継いでまいります」
「お父さん、これからも私達家族を見守っていてね」
「被害者の為にもこの事件を風化させてはならない」

これらの発言からは、
ある人が亡くなって、その人の存在を大切に想っている人が、その人が存在しない未来に対して、
その人の存在の記憶が消えてしまわないように、想いを発している事がわかる。

ここにもう1つの死である「存在の死」がある。
存在の死とは、その人が確かにこの世に存在していたという事が、
死後に忘れ去られてしまう事だ。

存在の死は

大事故や大災害等で多数の人々が亡くなった場合はどうだろうか?
私が思うに、この場合、マスコミ報道を通じて多くの人々がその大惨事を知り、
社会の一部とも言える多くの人々が間接的に、亡くなった人々の関係者となっている為に
それらの人々が、記憶を残すよう想いを寄せているのだ。
ただ、間接的な関係者となった社会の一部は有機的に変化し、
毎年行う慰霊祭を通して、その大惨事の体験を防災面等の教訓として得ようとする社会の意識こそは持続するが、
亡くなった人々の存在の記憶は、社会からは消え、
最終的に直接的な関係者のみの心の中に小さく留まる。

存在の死は、直接的な関係者は食い止める事ができるが、
社会においては、生体の死と同様に、存在の死もまた必然となる。

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