自分らしい人生を創るという事

至極当たり前の事を言う。
あなたの人生はあなたのものだ。
人生は短い。人生の価値を長さの尺度で実感すると、確かにそう感じる。
例え実感はそうであっても、果たして人生の価値は、長さ(長寿)なのだろうか?
あまりに唐突に早くについえてしまう人生に、嘆き悲しむ人の話を耳にする。
一方で、愛する人達が、人生の終末にいる自分より早く逝ってしまった時、残りの人生を生きる意味を失い、自らの長生きを空しく思う人もいる。
私がリハビリテーション支援を通して、多くの高齢者から学んだ事は、
「どう生きるか」が人生において最も大切だという事だ。
人生の長さは私達の希望通りにはならない。
さらには、多くの高齢者が抱える慢性疾患は思ったように治らない。
人生の長さや疾患の推移は、神様が決める事だ。
神様による沙汰に拘らず、誰にも平等に人生の価値を高められる考え方、
それが、「人生をどう生きるか」なのである。
決して「健康長寿」を否定するものではない。私が言いたいのは、
まずは健康で長生きではなく、病気を抱えていても、短くとも、
「自分らしく生きる」が最も大切なのではないだろうか?
そもそも、「自分らしく生きる」と「長生き」には決定的な違いがある。
「自分らしさ」という価値は、尺度ではないのだ。
つまり、長さや太さ、さらには重さでもない
「自分らしさ」は主観的な価値であり、客観的な尺度、指標ではないのだ。
本人の主観の世界に立ち入らない事には、その価値は推し量れない。
今の世の中では、人生に関する価値観の頂点に「健康長寿」が君臨している。
100歳を超える最高齢者に「長寿のヒケツは?」などと、マスコミが騒いでいるが、
当の本人は、そんな事分かっちゃいない。意識して長生きしているわけではないからだ。
気になるのは、本人が長寿を素晴らしい人生の一部だと感じているか?
他者からみれば、確かに喜ばしい事ではあるが
本人がどう思っているのかによって、人生の価値の評価は大きく変わってしまう。
自分で「良い人生だった」と感じたい。
感じる為の時間がたくさんあった方が良いと思うから、
長く生きたいと思うだけだ。
もし人間が、人生の中程に差し掛かって、
いつか終わる事をやんわり遠くに思いながらこのまま行きつくであろう未来予想を総括し、
端的に自分の人生をについて、満足感を得る事が出来るなら、
長生きに対する考え方も大きく変わるんだろうな。
その為にこそ、物心つく幼い時分から、
自分らしく生きる事について考え始める事が重要ではないかと思う。
「いま私は自分らしく生きているだろうか?」
幼い頃から、苦難に向き合うたびに、そう考える習慣をつけたいね。

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