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【劇評】売り言葉(平体まひろ)

本当に観に来て良かった。本当に..……

仕事が終わらなくていけるかいけないかの瀬戸際だったが、なんとか観に来れた。
もともと野田秀樹作品が大好きで、さらにunratoの「三人姉妹」や文学座の「夏の夜の夢」で好きになった平体まひろさんが野田秀樹作品をしかも一人芝居で!!!これは絶対に最高だろうとチケットをとったが、本当に.……本当に、良かった。
小劇場であそこまで濃密な作品を味わわせていただく機会は初めてだったように思う。あまりに贅沢すぎる時間であった。 
なお、観劇後すぐに立てなかったし、泣きながら帰った。

見終わったあとの頭がポヤポヤした状態でこれを纏めているが、この衝撃をそのまま言葉として残すことも大事だと信じ、以下とりとめもなく感想をつらねたいと思う。


2024/10/10 
作:野田秀樹
出演:平体まひろ

野田秀樹✕平体まひろということで絶対の信頼をおいていたので特に事前に題材について調べてこなかった私が悪いのだが、客席についてパンフレットを開いて、固まった。
油絵芸術家としての理想と現実に押しつぶされ、やがて壊れていく「高村智恵子」という女性の人生が劇の題材であった。
私もささやかながら絵を描くことを趣味としている人間であり、女性でもあり、どうしても自分と重なる面があるように思われ、席はなぜか最前列だし、逃げ出したいような気にさえなったが、これは、もう、覚悟して観るしかないと始まる前から震えていた。

高村智恵子の「売り言葉」


話の内容は、こうである。

若く溌剌とした女性、智恵子。いいところのお嬢さんであるが自らの意志で高等学校、女子大へと進み、学問を身につけ、油絵画家という芸術家の夢を抱いていた。理想に燃え、未来は輝いて見えた。
ある時、おなじく芸術家(詩人、彫刻家)の高村光太郎と情熱的に恋に落ちる。
色覚異常の智恵子には、太陽の光が緑色に見えており、それを気にしていたが、光太郎の言う「太陽の光を緑色に書いたっていいじゃないか。芸術は自由なんだ!」という言葉に惚れたのだった。

芸術家二人、芸術で生活費を稼ぐこともできず、いくら二人とも実家が太いとはいえ生活は豊かではなかった。
それでも二人は芸術家として同じ夢を見て、理想を追っていたから幸せだった。
光太郎は自身の詩の中に、愛する智恵子を書く。詩の中の智恵子はいつでも輝き、そして美しかった。 

しかし、次第に状況は暗転していく。
智恵子の家族が立て続けに死に、実家は破産。光太郎は二階で若いモデルの女性と2人きり。
加えて、智恵子は光太郎と一緒になってから彼を支えることに周ってばかりで、自分は油絵を描く機会が減っていた。絵は落選し、光太郎は智恵子のデッサンは褒めるが、一度も彼女の油絵を褒めたことがない。智恵子はいつでも光太郎の詩や彫刻を褒めていたのに。智恵子は自分が色覚異常だから、彼女の描く色が変だから、油絵が褒められないのだと思った。

様々なことが彼女を苦しめた。

智恵子はいつでも光太郎が詩の中で書く「智恵子」であり続けようとした。自分がいくら苦しくとも、詩の中の智恵子が美しく笑うのであれば、自分はそうならなければならないのだ。詩の中の「智恵子」に、どんどん押しつぶされていく。
いまや実家は破産していれば、女として職も無く仕方なく機織り、油絵なんて描けないし、どこにも誰にも認められない自分なんて、一体何者なんだろう?自分は誰なんだろう。
そうして、彼女は、追い詰められ、とうとう自殺未遂。精神病院に入れられる。

精神病院の錯乱の中で智恵子は紙をちぎって絵をかく。かく。油絵の具はなかったが、紙をちぎって、彼女が見えている色で絵を描いた。その数は千にものぼったという。
光太郎は5ヶ月見舞いに来なかった。その頃彼には他の女がいたのだ。

智恵子は最後まで苦しかっただろう。
それでも光太郎の描いた詩の中の智恵子は、最期まで美しく、儚く、「生涯の愛を一瞬にかたむけた」。

.…最後まで、智恵子は、光太郎の望む智恵子を詩の中に描き続かれたのだ。

詩の中の「智恵子」に押しつぶされてしまった現実の「智恵子」。その叫びを、訴えを、売り言葉を、残した作品であった。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

高村光太郎『智恵子抄』より

一人の女性がそこで確かに生きていた


作品概要にかなりの文字数と体力を使ってしまった。しかし、作品の概要を自分の言葉でまとめなおすことこそが、この作品においては感想を語ることと同じくらいの意味を持つように思われる。

野田秀樹がいつだかどこで「こんな事があったと、覚えていてほしいから、作品にするのだ」というようなことを言っていた。
「売り言葉」はまさに、その言葉を思い出すような作品だったと思う。

『智恵子抄』という高村光太郎の詩の中の女性としてのイメージが知られた智恵子。多くの人は智恵子の精神病院の中での実際はわからないし、また智恵子自身も、何が自分なのか分からなくなってしまった。
だからこそ、「こんな人間がここにいたのだ」という主張を、しなければならない。
詩の中の「智恵子」だけが生き残るわけにはいかないのだ。
智恵子は生きた。智恵子が生きたのは美しい詩の中ではない。たしかに、現実に、生きていた。

そういう売り言葉を、演劇で、つまりもっとも生身の人間を感じる演劇という手段で、つよく、つよく訴えるのである。

想像で無限に広がる世界


内容で語るべきところが多すぎて記述がおいついてないが、演出もかなり良かった。かなり、よかった。
一切舞台セット変えない、かつ一人舞台でのあそこまで様々な景色が見えるのは、ひとえに演出と、平体さんの演技力のすごさだと思う。

ひとり芝居なのに、「智恵子」「光太郎」「女中」などなど様々な人物がありありと浮かび上がり、さらには智恵子の精神が崩壊したところでは、いま喋っているのが「智恵子」なのか「女中」なのか分からなくなる。この作品がなぜ一人芝居なのかがわかった瞬間であった。

それにしても、野田秀樹作品というのは前半がやけに明るくてコメディタッチで笑え、後半、坂を転げ落ちるように暗転していくのが常である。それを分かっているから前半の明るくてかわいくて面白く智恵子に爆笑しながらも、これから先のことを思うと内心震えていた。

おわりに


どうしよう。これだけ書いても書ききれないが、そろそろ息切れしてきている。客入れ時に流れていた曲を聴きながら、そこらへんの居酒屋で薄いハイボールを飲みつつ、一旦ここらで感想をしめたいとおもいます。

本当に良い演劇を観た。
円盤とサントラリストが欲しい。


関連リンク


『智恵子抄』

『売り言葉』収録戯曲集

『智恵子抄』と『売り言葉』の戯曲を読み比べたりしてみたい。

平体まひろさん


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