Tagliatelle all'uso di Romagna(ロマーニャ風タリアテッレ)
「勘定は短く、タリアテッレは長く」と、ボローニャの人々は言うが、
まったくその通りである。
勘定が長くなると哀れな夫たちを仰天させるし、
タリアテッレが短いのはつくった人の腕の未熟さを示すようなものである。
短いタリアテッレを出されると、料理の余り物のような印象を受ける。
それゆえわたしは、カッペリーニやタリエリーニを細かく刻んでブロードに入れるという、外国人の好みに合わせて広まったやり方には反対である。
このようなミネストラはイタリアに特徴的なものであるから、この国ならではの性格を保たねばならない。
生地をつくって切る。軽く茹でて水気をきる。
田舎風ソースを入れてパスタの量にふさわしい大きさのバターを落とす。
そこにタリアテッレを入れて少し火にかける。
ゆっくりとかき混ぜてソースと絡め、食卓に運ぶ。
これはとても味の良いミネストラだが、よく消化するにはロマーニャ地方にあるような空気が必要だと思う。
あるとき、フィレンツェの人たち(歯なしの老人、中年の男性、若い弁護士の3人)と旅でいっしょになった。
彼らは遺産相続のためにモディリアーなまでいくところだった。
わたしたちは、とある宿屋によったが、そんな場所で
40年以上も昔のこと、どんな宿かは想像できよう。
主人の出す食事は、ミネストラはタリアテッレのみ、前菜は豚の首肉。
とにかく硬くて食べにくく、老人は必死になってかじっていた。
だが、このご老人も連れの人たちも、たいそうな食欲で、首肉もその他の料理も、とても美味しい、いや、最高だ、と言うのだった。
そして、彼らはしばしばこう感嘆していた、「ああ、この空気をフィレンツェまで持っていくことができたなら!!!」。
フィレンツェの地名が出たついでに、
この話をお聞かせするのをお許し願いたい。
フランチェスコーネ銀貨が通用していたころのことである。
ゴルドーにの芝居に出てくるフォルリンポポりの侯爵と似たり寄ったりの
ロマーニャのある伯爵は、財布の中身は乏しいが見栄っ張りで、
胃袋は爆弾にも耐え得ると言う御仁であった。
当時のフィレンツェではあまりお金がなくても生活ができ、
主要な都市にあって物価が安いことで知られていた。
ミネストラ、3種の料理から1皿、果物またはケーキ、パン、ワイン付きで1トスカーナ・リラ(84チェンテジミ)と言う食堂がいくつもあった。
一人前の量は少なかったが、それでも、ひどく飢えているので限り、お腹を満たすことができ、裕福な人たちもこういう食堂に通っていた。
しかし、伯爵はそれには見向きもしなかった。
さて、お金を使わずに見栄を保つのに、
この人物はいかなる妙案を考え出したのか。
彼は定食コースの時間になると1日おき、町でも一、二を争うとある高級ホテルに赴き、半フランチェスカコーネ(2.80リラ)で
贅沢な料理をたらふく詰め込んだのであった。
そして翌日は家でパンとチーズとサラミだけの食事をした。
これが皆様方の手本、奥の手とならんことを。
「イタリア料理大全 抜粋」