09-1 能登半島地震 ボランティア報告 珠洲市 令和6年5月4日(1日目)
今回は珠洲市へ2泊3日の災害ボランティアに行った報告です。
珠洲市は震度7の揺れに加えて津波にも襲われた場所もあり、能登の中でも被害の酷い地域という認識でした。能登半島の最奥部でアクセスも大変です。他方で私はニュースでボラキャンすずというテント村がある事を知り、関心を深めておりました。
一方、主人は珠洲に何度か連泊し、私に状況を伝える写真を送ってきたり、地元の方やボランティア友達の話をしてくれました。
私はGWの予定に余裕ができたので、一泊二日でボラキャンに行きたいと、既にボラキャン宿泊中の主人に連絡。すると、主人が「前日に仕事が終わったら車でおいでよ。3時間で来れるだろう。そしたら2泊3日できるから、早起きしないで済むよ。二人用テントと自分のシュラフを持って来て。申し込みはしておくから」。
仕事の終わる5時から夕暮れの中3時間も運転して、果たしてあの崖崩れ工事の道を無事にキャンプ場に辿り着けるのだろうか?イヤあの道を逆にたった3時間で行けるのか?と不安も感じました。
主人の話では、活動のひとつに炊き出しもあるとのこと。私は今まで災害廃棄物の片付けをして来ましたが、能登では炊き出しをする人が減って困っているという話も聞きますし、色々な仕事を覚えたいとも思っていました。
現地の人や他のボランティアとの交流という点でも今まであまり出来ていなかったので、炊き出しを機会に交流したいという希望もありました。
こんな風に色々考えを巡らせ、ボランティアとキャンプの道具を車に載せました。
1日目
5月4日夕方5時に仕事を終えると、職場からそのまま珠洲に向かって出発です。
能越道は明るく道路も快適。七尾市で下道を走り、次にのと里山海道に入ると急に道が悪くなりました。かつて輪島へ行くボラバスで通ったあの道です。あちこち道が崩れ、迂回と狭いアップダウンの繰り返し。制限時速40kmとなっていますが、もっと低速でないと不規則にくねった通行は難しい。車の往来もほとんど無く、一度後ろからすごいスピードのハイエースが追い上げできたので道を譲ると、これまたものすごいスピードでみるみる遠ざかって行きました。工事関係者でしょうか。
しばらくして軽トラと乗用車が後ろに二台ゆっくり近づいて来ました。それ以外に車の影はありません。だんだん道も暗くなって、SAも街灯もなく、車のヘッドライトで反射する工事のバリケードや三角ポールを頼りに走行。車は私だけです。
走り始めて2時間超え、珠洲道路に移ってから閉店したコンビニばかりで休憩できそうな場所はなし。ひた走りながら道案内の看板が曲がっているのを見て恐々走行。真っ暗で周りの状況も分からず。キャンプ場が近くでようやく営業しているコンビニを見つけました。トイレは使用できたのでこの辺りは上下水道が使えると確認。
ほどなくキャンプ場に到着。意外と早く2時間45分ほどで着きました。待っていた主人にテント場まで案内してもらい、ふかふかの芝生にテントを設置。ボランティアは1人一泊500円。車もテントの近くに停める事ができ、電源も使用可能。トイレは仮設トイレで、水は川か井戸から引いているらしく飲料には適さない様子。ペットボトルに4リットルほどの水道水を詰めて持ってきているので問題ありません。
用意して来た夕飯を持って、ボランティアが大勢集まっている大きなテントに移動。大学のボランティアサークルも参加しており賑やかでした。学生さんは女子が多いです。明日は早いので夕食、自己紹介も程々に自分のテントへ。七尾のキャンプで私は薄っぺらいシュラフを持ち込み寒くて失敗したので、今回は暖かい冬用シュラフで気持ちよく就寝。
2日目に続きます