私を支えてくれた言葉たち**言の葉⭐︎想うこと
思春期の頃は
血の繋がった親もなく、乳飲み子を捨てるような親の血を引いたあたしには、とても汚れた血が流れているのではないだろうか…
宿命とか運命という言葉に翻弄されていたのかもしれないあの頃の私。
(当時育った工事現場の飯場には訳ありの職人さんが多かったので)荒くれ者の中で育ち…世間一般的な躾けや常識など無縁に育ってしまった自分に何ができるのだろうと混沌とした想いを抱えてもいた。
バイトで稼いだお金で、海に泊まりに行ったり、学校サボって電車に乗って友達とフィールドアスレチックに行ったり(昔の高校生は今より無邪気かも?)、楽しい時間も過ごしていたけれども、ひとりになると襲ってくる重い感情。
小学校の高学年の頃から詩をつくったりしていたけれど、その頃のペンネームは"海の藻屑"とか"彷徨う◯◯(ド忘れしましたが)とか、ちょっと寂しい感じのものが多い。
そんな思春期の頃に知った言葉のひとつに無財の七施がある。
『何の価値もない私(自己肯定感低すぎだったなぁ)にもこれなら出来るかもしれない』とても嬉しく感じた事を覚えている。
優しい眼差し
笑顔
思いやり
自分が本当に欲しかったものたち
『自ら実践していけばいいんだ』と…
足りないものは自分で満たしていけばいい
たまに、うっかり微笑みかけると「何笑ってんだ‼︎」なんて怒る人もたけれど、受け取り方もひとそれぞれ、仕方ない。
特に宗教的な信仰は持たない私だけれど、スピリチュアル…宇宙の心理とか八百万の神とかアメニズム的な想いはあって、仏教の言葉の中にはいくつもの生きる知恵や術が込められているようで、若い頃はたくさんの書物を読んでいた。
SF小説やコロボックルの話とかも好きだったな😊
ふと、まだ23~24歳頃…結婚した相手に連れて行かれた居酒屋さんで、酔ったおじさんに「あんたは観音様顏をしてるなぁ。人の為に苦労しそうだ」的な言葉を言われた事を思い出した。
わたしの生きる道は、子どもの頃に出会った文章に影響されつつ、紆余曲折あったものの、少しずつ今に繋がっている。
10年ほど前に人生のテーマを決めようと思った時に迷いなく
"慈愛"にしようと思ったのも
今思えば当時からの積み重ねかもしれない。
小さな手帳に無財の七施含め、心に泊まる言葉などを書きまとめ何度も読み返していたものだ。
辛い時や、虚無感でいっぱいな時も、ふと開くと目に飛び込んでくる言葉たち。
その言葉たちに支えられて
かろうじて自分を真っ直ぐに保っていたのかもしれない
今もいいなと思った事などはノートに書いていて、そこに自分なりの解釈をいれたりしている。
昔書いたものを読むと、また新たな気づきがあったりして面白い。
無財の七施
1.眼施(がんせ)
いつも優しい眼差(まなざし)しで人に接する
2.和顔悦色施(わがんえつじきせ)
笑顔で接する
3.言辞施(ごんじせ)
優しい言葉で接する
4.身施(しんせ)
困った人を見たら助けてあげる
5.心施(しんせ)
ほかの人のために心を配る
6.床座施(しょうざせ)
席や場所を譲る
7.房舎施(ぼうじゃせ)
訪ねてくる人がいれば一宿一飯の施しを行い労をねぎらう
***2015年9月にamebloにアップしたものを手直ししてアップしています