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京都市内は自転車で回れるという風説に踊らされママチャリで往復約二十キロ爆走した話

京都におけるオーバーツーリズムが問題になって久しい。
そんな中で、注目されている交通手段がある。
「自転車」だ。
確かに自転車は身軽であるし、車よりも交通の制約は小さい(まったく無い訳ではないが)。駐車場の問題も排ガスの問題も一発クリアだ。
一見すると、これ以上ない交通手段に見える。
では、実際のところどうなのか?
こうだったのである。

序章

さかのぼること一年、二〇二三年の四月のことだった。
前年にお互いのエグい悪縁を切ってくれたということで、私は友人(ここではYとする)と、安井金比羅宮へお礼参りを兼ねて京都観光へ行った。
鈴虫寺にも向かう予定であった。
問題は交通手段である。安井金比羅宮は一番混雑するバスルート上にある。どうやって行くか……。と行きの新幹線の中で考えていたら、隣から、Yのはしゃいだ声が聞こえた。

「ねえねえ、今日自転車で回りたいんやけど!」

は????
え!!!!

ここから!?!?

この距離を!?!?!?

自転車で!?!?!?!?

待って待って待って待って絶対無理。スマホの画面にはエグい距離を表すGoogleマップが表示されている。この距離を自転車で!?!? 本気か!?!? 
どう考えても無理すぎる。私はさっそく説得に取り掛かった。

「いや~……自転車はキツイと思うよ……」
「え!? でも前に『京都市内は自転車で回ると余裕だよ』って聞いたことあるよ!」

誰だYにそんな風説を吹き込んだ奴は。
念のため地図も見せて確認するも、「自転車なら大丈夫だって!」と、まったく考えを改めようとする様子はない。大変にまずい。
このままでは京都市内を自転車で往復約二十キロを走破しないといけなくなる。普段から運動をしている人間なら余裕だろうが、こっちは運動不足の三十代である。どうあがいても無理。嬉々として京都市内のレンタサイクルを調べ始めるYを前に、私は別の手段で諦めさせる方法はないか探っていた。
そして。

「ねえ、どのレンタサイクルも〝事前予約制〟って書いてあるけど……」
「えー! ほんまに!?」

ホンマホンマ、ホンマである。京都駅から一番近いレンタサイクルには〝要予約〟の文字があった。いやー良かった。一安心だ。
だが、諦めきれないらしいYは残念そうに「当日枠あるかどうか、一応行ってみてもいい?」と尋ねてきた。
お安い御用である。まあどうせ当日枠なんて出払ってるだろうし、万が一なんて起こりっこない……。

「レンタサイクルの当日枠? ありますよ」

私の運命が、決まった。

事前予約制とは一体……。内心白目を剥く私と裏腹に、Yは嬉々として「二台お願いします!」と貸し出し用紙に記入していた。
もう仕方ない。私の命運は決まったのだ。自転車はごく普通のママチャリだ。前かごが大きめで荷物を入れやすかったのが良かった。
レンタサイクルの係の方は初老の男性で、心配そうに「最近流行りの電動機付きじゃなくて申し訳ないねえ」と言っていたが、テンションをMAXまで上げたYは「大丈夫です!」と何でもないように答えていた。本当かよ。

「ちなみに、今日はどちらまで?」
「安井金比羅宮と〜、鈴虫寺です!」
「ええ……」

係の人の表情が一瞬凍りついたのを、私は見逃さなかった。絶対今ドン引きしたよなこんなテンション高く往復二十キロ走破する発言したら……。しかもママチャリで。
その後も係の男性は「大丈夫……? 桂川超えるよ?」と始終心配してくれたが、もう後には引けない。
私とYは京都駅を発ち、七条通りを東へと走り始めた。

案の定トラブル

安井金比羅宮まではすこぶる順調だった。自転車で来ているのは我々くらいしかいなかったが。
表通りは人が多すぎてまともに走れないので、我々は裏道を選んで北上、そして西へと進路をとった。途中コンビニで適当に昼食を買い、近くの公園で食べつつ長めの休憩をとったが、この辺りまではまだ全然余裕があった。
京都市内も中心部を超えると一気に人も車も少なくなる。大変走りやすい。
知らない街を自転車で走るのは楽しいものだ。見たことのないチェーン店や、いい感じの個人経営の店舗など、興味深いものがたくさんある。バスや電車で来ていたらこうはいかない。これは自転車旅の一番いいところである。
この辺りで、私は結構楽しくなっていた。天気は晴れだし、少し寒いけれど自転車で走っていると気にならない。風も全然ない。絵に描いたようなサイクリング日和であった。
川縁の桜も満開で、花筏も見られた。ラッキー。最初はどうなるもんかと思ったけれど、何事もやってみないとわからないものだ。こんなチャンスを与えてくれたYに感謝を……。

あれっYどこ??????

振り返ったらYがいない。我々が走ってきた道は以下の通りまっすぐな一本道である。

この状況ではぐれることある??? まじでどうした???? 連絡すべきか????
振り返ったまま迷う私の目に、何かが飛び込んできた。道の遥か彼方にアリくらいの大きさで、必死に自転車を漕ぐYの姿が……。

「Yどうした?? 迷った???」
「大丈夫、大丈夫だから置いてって。ちゃんと着いていくから」

いや何があった。

明らかに余裕の失われた表情で「大丈夫」と繰り返すYを前に、私はとりあえず、スピードを落として走り出した。それでもYはじりじりと遅れていく。えっほんとに大丈夫なのこの状況!?!?!?
信号待ちで追いついたYに、私はもう一度尋ねた。

「ほんとに大丈夫?」
「自転車、あんま慣れてなくて……」

なぜこの交通手段を選んだ。
そうだった。彼女の普段のメイン交通手段は車だった。地元で自転車に乗っている姿を見たことがなかった。
じりじりと遅れていくペース、だがあまりぐずぐずしていられない。さっきの昼休憩でしっかり時間をとってしまったので、このペースだと鈴虫寺の閉門に間に合わない可能性がある。
焦りを感じながらも、私はどうすることもできなかった。Yがなるべく離れないよう気を遣いながら、スピードを調整して走る。Yも必死で着いてきているのはわかるが、やはりどんどん遅れていく。大丈夫かこんな調子で。
騙し騙し、なんとか道路の突き当たりまでたどり着いた。桂川だ。ここがレンタサイクルの人の言っていた桂川……。おっちゃん、我々は桂川までたどり着いたよ。一人半死半生だけど。
川越えはきついが、同時に京都の山々をのぞむ素晴らしい景色を堪能しながら走ることができた。完全に小学生の冒険だったが。
桂川を越えれば鈴虫寺までもう少しだ。Yを気遣いながらも、私は目的地を目指して走った。

そして、目の前に現れためちゃくちゃ長い坂に絶望した。

嘘だろこれからここを登るんか……? ストリートビューの画像だとわかりにくいが、鈴虫寺に詣でた経験があればお分かりだろう。かの寺院は山間にあるため、やたらと長い坂を上らなければいけない。えっこれ私はまだ立ち漕ぎできる体力残ってるけど、Yは……?
振り返るとYが無表情で坂を見つめていた。「大丈夫?」と声をかけても、「大丈夫、いけるから」としか言わない。

「むしろ先行って。閉門までには間に合わせるから」

私は彼女の、ちょっとかっこいい言葉を信じて、先に自転車を漕ぎ出した。分かってはいたけれど、純粋に坂をずっと登ってるのキツい。
ここまできて、私はレンタサイクルで、電動機付き自転車を選ばなかったことを後悔していた。というかそれ以前に、電動機付き自転車置いてなかったよな……。完全にリサーチ不足である。
己の不手際と運命を呪いながら、ようやっと山門前まで到着した。ちなみに自転車は駐車料金がかからない。今回の旅で、最も良かったのはこの、駐車料金と場所に煩わされずに済んだことであった。
しばらく待っていると、自転車を押しながら必死の形相で坂を登ってくるYが現れた。ギリギリ閉門に間に合った。
鈴虫寺でためになりつつも面白い説法を拝聴し、また鈴虫の声に今までの疲れを癒された気分になった。いただいたお菓子が、疲れた体には本当にありがたかった。
有名なお守りをいただき、庭を拝観する。鈴虫寺は山間にあるため、とても眺めがいい。京都市街を一望できる。
春らしい、霞たなびいたような青空に、はるかにけぶる京都の街並み、そして京都タワー……。

「私たち、今からあそこまで自転車で帰るんだね……」

あの絶望をどう表したらいいのだろう。目に映る世界は全て美しいのに、これから私たちに待ち受けている運命だけが残酷だ。
今でも忘れられないあの京都タワーを眺め、我々は帰路についた。

帰路、あるいはここからが本当の戦い

帰路である。
行きはまだいい。いくら大変でも、目的地に向かう楽しみがある。
だが、全ての予定を終えた今はどうだ? これから約十キロ、しかも時間的に休憩なしのサイクリングである。その上、一人は生きて京都駅まで辿り着くことができるのかどうかも怪しい。
とにもかくにも、私たちは鈴虫寺を出発した。鈴虫寺で休憩できたYは、最初の方は元気があった。坂道も下りだったし。
しかし、桂川を超える手前あたりで、また遅れ出した。ペースを落としたいがそうも言っていられない。ゆっくりしていると、レンタサイクルの返却時間に間にわない可能性が出てくる。
私はただ、「頑張れ〜負けるな〜」とYを励ましながら走るしかできなかった。
桂川を越える手前でやたらと木の茂っている場所があった。当時は余裕もなく通り過ぎるしかできなかったが、後からかの桂離宮であったことに気がついた。
桂離宮をスルーし、桂川をもう一度越え、京都市街に入ろうという頃、ついにYが限界を迎え始めた。どんなに頑張ってもスピードが上がらないのだ。じりじりと近づくタイムリミット。私は普通に焦っていた。
今から考えれば、「電話するなりすればいいじゃないか」と思うが、あの日は疲労と焦りで簡単なことにも思い至らなかった。山で遭難する際と全く同じ状況だ。焦りと疲労が冷静な判断を出来なくさせるのだ。
私は京都市内で、遭難と同じ状況に置かれていた。
相変わらずYはどんどん遅れていく。ついに振り返ったら姿が見えなくなった。2ブロックも離れてしまったのだ。危うく信号でYを置いていくところだった。
日はどんどん暮れていく。レンタサイクルのリミットは午後六時。私は走った。信号のたびに後ろを振り返り、Yを待ち、時計と睨めっこしながら、ひたすらペダルを漕いだ。
その結果。

「ここ、何処……」
「お待たせ! 全然大丈夫だよ!」

全然大丈夫じゃない。道を間違えた。

やっちまった。私は文字通り頭を抱えた。京都駅方面に向かっているはずが、何を勘違いしたか反対方向、西大路駅前に着いてしまった。
戻るのか? 今から???
レンタサイクルの返却時間、もはやゼロに近づきつつあるYの体力。そして己の疲労。
呆然と青ざめる私を見て、Yも異常事態を察しだのだろう。「大丈夫?」と聞かれてしまった。どう考えても私より大丈夫じゃない状況のYに。

「ごめん、道間違えた……」
「ううん大丈夫! 本当に大丈夫だから!」

Yの素晴らしいところはこういうところだ。彼女はどんな辛い時でも明るく前向きで、私が落ち込んでいる時はいつも元気づけてくれた(今回に限って言えば自転車を選択したのは彼女だが)。ありがとうY、申し訳ないがもう少しだけ頑張ってくれ……。

「大丈夫大丈夫! なんか楽しくなってきた!!」

本当に大丈夫なんだろうなこれ??????

疲れすぎて、逆にハイになってきたらしいYに一抹の不安を覚えながら、私は東に進路をとった。間違えたとはいえ、京都駅はもうすぐそこだ。鈴虫寺であんなに遠くに見えた京都タワーがもう目前だ。
後ろでYが「本当に楽しい!」だの、「いい経験ができた」だの嬉しそうに叫んでいる。相変わらず漕ぐスピードは上がらないが。まあ本人がそう言うんだし、時間もないしで、私は速度を落とさず走った。
そして。

「帰ってきた……」

我々は京都駅へと帰ってきた。ギリギリだが、レンタサイクルの返却時間にも間に合った。ミッションコンプリートである。脳内でロッキーのテーマが流れ出す。
Yと帰還をひとしきり喜び合うと、急いでレンタサイクル店へと向かう。受付にいたのは朝とは別の方だったが、「鈴虫寺どうだった?」と訊かれた。そりゃいい話のタネだよ……いい歳こいた女が二人、自転車で川越えして往復二十キロ走破するなんてさ……。

自転車を返却し終えて、私たちは言葉少なに帰路についた。帰りの新幹線内で、Yに、「どうだった?」と訊けば、冷静になったらしい彼女はただ一言、「どんな体勢を取っても痛い」とだけ教えてくれた。

まとめ

京都市内を自転車で往復約二十キロ走破。
できることはできるが、自転車は普段から乗っておいた方がいいし、運動も普段からしておいた方がいい。

ちなみにこの記事でGoogleマップおよびストリートビューを使用しているのは、写真を撮っている余裕がなく、己のカメラロールに当日の写真が一枚もなかったからである。ヘッダー画像に至っては京都まったく関係ない愛知県知多市佐布里の梅の花である。(直近の画像で一番京都っぽかったため採用)

(ここまで書いて、鈴虫寺が京都市外だったら困るな……と思ったが、ちゃんと京都市内でした。京都市、でかい)


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