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(ほぼ)100年前の世界旅行 イエローストーン 1925/6/27-30
6月23日、曽祖父はヨセミテから旧友マンワリング氏のサンフランシスコのPalace Hotelに戻ってほっと一息。その晩は映画を見に出かけます。役者のセリフ音声がつくトーキー映画がアメリカで登場するのは1927年ですから、この頃セリフは字幕のみの「サイレント」映画、音楽伴奏がつくのが一般的でした。真一は、「フルオーケストラ付きの映画が50セントで見られた」と喜んでいます。
当時のホテル料金を想像してみる
翌日はトーマスクックの事務所に出向き、東部行きの旅程を手配しました。
・ニューヨークまでの汽車代$124+$7でアップグレードして131ドル
・イエローストーン4.5日分のホテル代とツアー代 $54 合計 $185
1925年1月の金谷ホテルのレートが真一の手帳に残っていますが、一番高いのが3食付きでシングル(乙・普通)12円50銭と見られます。真一が使っているドル円レート($1=2.39円)で換算すると約$5です。イエローストーンの宿泊代は現地観光ツアー代を含むので個々のホテルの1泊の料金がわかりませんが、$54で4泊しているので$13程度と見ると、一泊$5の金谷ホテルより、ツアー代を除外してもだいぶ差があることがわかりますね。
「田舎ホテル」建築家 ロバート・リーマー
6月25日にサンフランシスコからユタ州ソルトレイクシティ、さらにワイオミング州イエローストーンへは乗り継ぎの待ち時間もあり27日に到着しました。1872年に世界で初めて国立公園に指定されたここの輸送事業や宿泊事業を一手に手掛けていたのがHarry W. Child(1857−1931)という人物です。真一がYellowstoneで宿泊した4つのホテルは全てChild氏が経営するYellowstone Park Companyのホテルで、Child氏と懇意の建築家R. Reamer(1873−1938)が関わっています。Reamerの関与を並べてみるとこんな感じです。
・1903年 LakeHotelを改築 (2015年 National Historical Landmarkに指定)
・1904年 設計したOld Faithful Inn開業(1987年 National Historical Landmarkに指定)
・1910年 設計したCanyon Hotel開業 (1960年焼失)
・1913年 Mammoth Hotel 改築 (2019年大規模リノベ。現Mammoth Hot Springs Hotel)
Reamerは世界的建築家として今も名の残るFrank Lloyd Wright(1867-1959)が始めたプレーリースタイルの影響を受けていたようで、特にCanyon Hotelについて真一は「梁が帝国ホテル(Wright設計)のピーコックアレーの組み方と同じ、電気機器のデザインもよく似ている」と驚いています。Wright設計の帝国ホテル・ライト館(大正12年開業)のことは、大正11年から翌12年の開業前まで帝国ホテルの役員をつとめた真一はよく知っていました。大谷石とレンガを多用した特徴的な建物は、もし残っていれば今年開業100周年ですが1967年に解体され、現在は玄関部分を含む一部が犬山の明治村に移築保管されています。強烈に個性的で、圧巻です。おすすめです。
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ピーコックアレー。似てますね。
真一は Canyon HotelでReamerのことを知り、帝国ホテルはCanyon Hotelより後に建てられたから、「元祖はReamerなるを知る」と書き残しています。ただ、Wrightのプレイリースタイルの最初の作品は1908−10年の「ロビーハウス」とされていますので、やはり元祖はWrightではないでしょうか。冒頭にあげた絵葉書のCanyon Hotelのように、自然豊かな公園によく馴染むこのスタイルは”parkitecture (parkとarchitectureを合わせた造語)”として流行しました。WrightとReamerの関係性について、建築史に詳しい方にご意見を伺ってみたいところですね。
真一は、日光にも似たこうした自然豊かな観光地のリゾートホテルを親しみを込めて「田舎ホテル」と呼び、この4軒にも大いに刺激を受けています。特にCanyon Hotelの建物の大きな一枚ガラスの窓について「Kanayaの角(部屋)にもかくの如きものが欲しくなれり」と日記に書いています。金谷ホテルメインダイニングのテラス席の大きな窓を思い起こすかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
オーナーのChild氏に会えなかった真一は、Mammoth Hotelにいた女婿のNichols氏に「Child氏に、8年前のSanDiego近くのお宅での約束を果たしたと伝えてほしい」と伝言を頼みました。8年前といえば弟・正造夫妻との米国旅行の時で、恐らくChild氏が避寒に行っていたLa Jolla(ラホヤ)で出会っていたのだろうと思われます。氏がこの伝言を聞いて、日本から来たホテリエを思い出してくれていたら、うれしいですね。
Yellowstoneの後は、ニューヨークへの向かう途中でまた懐かしい人に出会います。今度は大都市ホテル視察です。
追伸:日光金谷ホテルのバーの名前は「デイサイト」、大谷石という意味です。Wrightのデザイン、と言われるとそうかもしれない暖炉をぜひお見逃しなく。