あるホテリエの終戦の日
私の祖父、のちに日光金谷ホテル3代目社長となった金谷正夫は、軍の要請により、昭和17年(1942)から日本占領下の上海バンド地区にあるパレスホテルの管理のため上海に赴任していました。この頃、日本の多くのホテルが同様に中国や南方のホテルの運営を委託され、大勢の人を日本から送り、 従来の経営陣を追い出す体制をとった例もありました。帝国ホテルはバンコクへ、軽井沢万平ホテルはジャワ島へ、シンガポールのラッフルズホテルは「昭南旅館」となりました。各ホテルは大東亜共栄圏への事業拡大の好機