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センスを重ねる

表装・・・書面芸術の一つ。その鑑賞のみならず、保存・管理も鑑みた仕立てのこと。掛物のイメージが強いですが、屏風や襖、衝立なども含まれます。その専門家を表具師と仰るそうです。

先日訪れた 泉屋博古館 | SEN-OKU HAKUKOKAN MUSEUM にて、直ぐに眼が合い求めたこちらの冊子。

実方葉子 編集 『表装の愉しみ』公益財団法人 泉屋博古館、2023年。

能書家の筆跡もさることながら、手紙や偉人の肖像、水墨画・日本画、連続作品の一部を切り取ったりしたものを、ひとつの美しく魅力的な景色にするというその心が、美しい。

追い求める美ではなく、発見する美。
柔軟で繊細なセンスを問われると思います。かつて、銀座松屋の美術展で
「表装は、お客様のご要望イメージを伝えて専門家に頼むのです」
と伺った意味が、この本ですこぉ~しだけ分かった気がしました。

そこで思い出したのが、連歌。
そもそもは、あのヤマトタケルの方歌に対し老人が方歌で応えたところが発祥だといいます。どなたかの上の句から始まり、別の方がそれを受けて下の句を、さらにそれをもってして別の方が続けて詠む、というようなものです。
作品によっては、句が続くごとに季節と景色が移り変わっていき、冬から早春の世界が展開していくという、ため息の出るような粋で繊細なカットの連続が脳裏に浮かぶものもあります。
センスのみならず、知性も必要な芸術ですね。いや、この場合、知性がないとセンスが出てこないのではないか。。。

その、言葉じゃないよバージョンが、表装だと思うのです。
メインの作品を尊重し、そこから展開させる演出方法。そして全体として一つの作品となる。
例えば、こちらはわたくしは好みなのですが

P.22  藤原定家  《熊野懐紙》1201年。
[一文字・風帯]紫地唐花唐草文印金 [中廻し]白茶地牡丹菊唐草文金襽 [上下]浅葱地平絹

一文字一文字の間に空間のある、わりとはっきりとした書に対し、柔らかで明るいカラーで囲んでその広がりを増す。これが逆に、柄がみっちりとして重い色の表装だと、文字間の余白が浮いてしまうかもしれません。
わたくしは書は管見にして読めませんので、 ”イメージ” として組み合わせを観ております。
いずれ、表装の持つ保管の機能が薄れた時には、また別の表装が入ります。そこからは、別の景色になることでしょう。

仕立てにはいくつかルールがあるようですが、心に残ったのは、素材に使用する布は、時としてメインの作者の着用していた衣からとってくることもあるとか。
そういえば、故人の書いた手紙の上に重ねて写経をし、弔った作品を観たこともあります。こういった、尊重の気持ちから始まるアートには、「美」という言葉の広さと深さを教えられます。

ご参考まで、掛け軸表装の成り立ちをご覧ください。

P.32

中でも、
これ以上、これ以外の表装はあり得ないんじゃないか、というものも見つけましたよ。次の時代には、同じ素材も無さそうです。

P.33  伝 巨勢金岡 《文殊菩薩渡海図》13世紀
[一文字・風帯]紫地牡丹唐草文金地金襽[中廻し]萌黄地牡丹唐草文金襽 [上下]縹地小花唐草文金襽
P.66  望月玉渓・玉成 《老松群鶴図》1933年。
[一文字・風帯]竹梅文描[中廻し]老松図[上下]浅葱地平絹

いつの世も「これ以上」は出てくるものです。
が、こうしてnoteを書いてくると、どうやらわたくしはそこに「尊重」のエッセンスがあるものに惹かれているようです。気が付きませんでした。

アートとの対話、というと大げさなようでとっつきにくいですが、自身に気づく、ということも、アートの醍醐味の一つかもしれません。







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